しし鍋うどん 丹波篠山玉川楼の猪鍋うどん鍋を食べて、まけきらい稲荷参拝

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しし鍋うどん 丹波篠山玉川楼の猪鍋うどん鍋を食べて、まけきらい稲荷参拝 しし鍋うどん 玉川楼の個室は落ち着いた個室で。     :079-554-2266

しし鍋うどんを丹波篠山で

丹波篠山で、猪鍋を食べたいと思い立って、

奥さんと丹波篠山市へドライブしました。

2020年1月は例年より暖かくて、

丹波篠山でもまだ雪は降っていません。

車の温度計は6度の気温でした。

しし鍋を食べる前に、丹波篠山市呉服町の玉川楼へ行って、

鯖寿司を注文することにしました。

しし鍋も、玉川楼で

奥さんが玉川楼で鯖寿司を買ってくる間、私は車の中で待っていました。

奥さんが車に戻ってくると、新しい提案です。

しし鍋も玉川楼でも頂けるそうです。

さば寿司だけの積りが、お店の方と話しているうちに、

しし鍋も薦められたようです。

しし鍋を料理旅館でいただけるなら

老舗の料理旅館で食べるのもいいかなぁと思って、

玉川楼に入っていきました。

入口にはお正月を飾る鏡餅が飾られていました。

鏡餅は日にちが経つと、お餅の表面が割れてきたり、

カビが生えたりしてきます。

鏡餅が固まってくると、

包丁で鏡餅を切断するのは難しいほど固くなってきます。

子供のころ、鏡餅を何とか割って、炭火で焼いて、

砂糖醤油をつけて食べたことを思い出します。

玉川楼は奥が深く、向こうの方まで廊下が続いています。

京都風の建て方は、間口の広さで税金がかかっていた時代、

商家の家は間口を狭くして、行きを深くして、

税金を安くするように工夫した建て方です。

竈(くど)発見

玉川楼では、今でも使っている竈(くど)がありました。

釜がずらりと並んでいたので、きっと釜飯をここで焚いているのだと思います。

昔の竈(くど)は、薪を使っていたので、煙が出ました。

家の中に煙が立ち込めると、息苦しくなって困るので、

竈(くど)には、排煙のための煙突がありました。

今は、プロパンガスなので、煙は出ません.

したがって、煙突もありませんでした。

寿司を握るカウンターがあって、寿司ネタがケースの中に並んでいます。

篠山には、海がありませんが、海の魚もケースの中に並んでいました。

しし鍋、食べきれなさそう。

個室に案内されて、メニューをみながら、何を注文しようかと考えました。

若いときのように、たくさんは食べられなくなっています。

ぼたん鍋の写真は、盛り沢山の具材です。

猪鍋を食べるつもりでしたが、

奥さんと私の二人では大きな猪鍋が食べきれません。

 一人用の鍋といえば、猪鍋うどんがありました。

ぼたんうどんセットなら、鍋も小さく、うどん鍋にしました。

ぼたんと書いてあるのは、猪肉が入っているからです。

しし鍋うどんで決まりです。

奥さんは一番量の少ないレディースセットを選びました。

しし鍋うどんセット 登場

一人用のうどんセットですが、鍋には中々食べきれそうもないくらい、

沢山の具材の量です。

猪肉もちゃんと入っていました。

しかも、ご飯付きです。

茶碗蒸しは嬉しいセットメニューです。

しし鍋うどんの出汁は美味しい!

熱いうちに鍋を頂くように、取り皿にとって食べてみると、

だし汁はとても美味しい味です。

味噌味ですが、辛くはありません。

味噌が効きすぎると、後から喉が渇いてきますが、そうはなりませんでした。

1800円で、これだけのセットはお得です。

奥さんのレディースセットもいろいろおかずがいっぱいです。

しし鍋うどんセットも、レディースセットも、茶碗蒸しがついていました。

茶碗蒸しを頂いてみると、とても美味しい茶碗蒸しです。

エビ、ゆり根、銀杏、なども入っていて、とても上品な味でした。

しし鍋うどんセットで、大満足

個室だったので、周囲に気兼ねなくゆっくりと料理を頂くことが出来ました。

神戸の三宮でこんな店があったらきっとこんな値段では食べられないと思います。

料理を食べている間に玉川楼の鯖寿司もできました。

帰り、負け嫌い神社の前を通って、

神社にお参りしようかなと思っていましたが、

負け嫌い神社の近くには、車を止める場所がありません。

道幅も狭く、対向車が来ると困るので、車を止めて神社にお参りすることはあきらめて、

以前の記事が代わりに登場です

丹波篠山の「まけきらい稲荷」を参拝してきました。

丹波篠山の「まけきらい稲荷」の由来について

昔、篠山藩主・青山忠裕(ただやす)公が幕府老中だった

文政年間(1820年頃)、毎年春と夏に、

江戸両国の回向院広場で将軍上覧の大相撲が催されていましたが、

いつも篠山藩のお抱え力士たちは負けてばかりだったそうです。

しかし、ある年の春場所のこと、

篠山から来たという王地山平左衛門ら8名の力士と行司1名、

頭取1名の一行10名が現れ、土俵に上がると連戦連勝しました。

”負け嫌い”のお殿様は大変喜んで、

その者達に褒美をやろうとされたが見つからず、

後で調べてみると、全員が篠山藩の神社のお稲荷さんの名前だったそうです。

そこで、それぞれに幟や絵馬などを奉納し感謝したことが

「まけきらい稲荷」の由来・・・、とのことでした。

8月の暑い時、この神社に参拝し、

あまりに暑いので涼をとるために涼しそうな拝殿に上がり、

しばし天井を眺めながら仰向けになっていました。

ふと目を横にすると、

拝殿の横の壁に相撲をとる力士の絵巻が板塀にかけてありました。

神社を上る石段に、まけきらいの幟がたくさん立ててありましたが、

なんの意味かわからなかったのが、

この力士の絵巻を見て、

初めて「まけきらい」の意味がわか りました。

昔のお殿様には贔屓力士がいたり、お抱え力士がいて、

自分の藩の力士と他の藩の力士が土俵で勝負を競い、

勝った、負けたで藩の名誉がかかってい た事を、

子供の時に「講談社」の本で読んだ事があります。

今も覚えているのは、雷電為右衛門が雲州松江藩の松平公のお抱え力士で

松平公はこの雷電為右衛門がとっても強い事が自慢で、

他の大名に自慢していたことを本で読みました。

今年はオリンピックの年で、世界中からメダルを目指し、

各国の名誉をかけた競技がありました。

今も昔も、地元や自分の贔屓の選手やチームが勝つと、

うれしくなったり、負けると”くしゅん”となることは、

人の気持ちとして同じだなぁ、と天井を見ながら思いました。

殿は涼しくて風も通り、

いつのまにか少しウトウトと寝てしまいました。

夢に出てきたお稲荷さんが、私を勝たせてくれたらいいのになぁ・・・

と期待しながら、ウトウトしていました。

鯖寿司で夕食

夜は玉川楼の鯖寿司で済ませました。

ご飯がいっぱいで、鯖の肉厚はそれほど厚くなく、すこしがっかりでした。

今日は玉川楼の鯖寿司は、木箱に入っていませんでした。

どうしたのでしょうか? 

鯖寿司を切ってみると、包丁にご飯がついて、

なかなかお店のように綺麗には鯖寿司をきれませんでした。

鯖寿司の切断面を見ると、ごはんが多いことが分かります。

他に食べるものがないので、この鯖寿司が今夜の夕食です。

奥さんと二人で鯖寿司一本がちょうど適当な量でした。

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                                        2020年1月5日(日)