ブッタの言葉 幸せになれるには スッタニパータ:こよなき幸せ
投稿No:8464
幸せとは ブッタの言葉 スッタニパータ:こよなき幸せ
幸せになれるには ブッタの教えでは
私のブッタに、お詣りしてきました。
私の父、母、兄、祖父、祖母、祖先にお詣りしてきました。
私のブッタに、私は語り掛けます。
人は、幸福を望み、幸せを願っています。幸せとは、なにかを説いてください。
私のブッタは、「スッタニパータ」の中で、私に説いてくれました。
こよなき幸せとは スッタニパータより
こよなき幸せ259
諸々の愚者に親しまないで、諸々の賢者に親しみ、
尊敬すべき人々を尊敬すること-これがこよなき幸せである。
こよなき幸せ 260
適当な場所に住み、予め功徳を積んでいて、
自らは正しい誓願を起こしていること
-これがこよなき幸せである。
こよなき幸せ 261
博学と、技術と、訓練をよく学び受けて、弁舌巧みなこと
-これがこよなき幸せである。
仕事に秩序あり混乱せぬこと、こよなき幸せである。
こよなき幸せ 262
父母につかえること、妻子を愛し護ること、-これがこよなき幸せである。
こよなき幸せ 263
施与と、理法にかなった行いと、親族を愛し護ることと、
非難を受けない行為、-これがこよなき幸せである。
こよなき幸せ 264
悪を厭い離れ、飲酒を制し、徳行をゆるがせにしないこと、
(適当な)時に教えを聞くこと、
-これがこよなき幸せである。
こよなき幸せ 265
:尊敬と謙遜と満足と感謝と、-これがこよなき幸せである。
こよなき幸せ 266
耐え忍ぶこと、温良なこと、諸々の<道の人>に会うこと、
時々理法についての論議をすること、安らぎを証すること、
-これがこよなき幸せである。
こよなき幸せ 267
修養と清らかな行いと聖なる真理を見ること、-これがこよなき幸せである。
こよなき幸せ 268
世俗の事柄に触れても、その人の心が動揺せず、憂いなく、汚れなく、
安穏であること、-これがこよなき幸せである。
こよなき幸せ 269
これらのことを行うならば、いかなることに関しても敗れることがない。
あらゆることについて幸福に達する。-これが彼らにとってこよなき幸せである。
以上の259から269までの偈(ゲ)は、「ブッダのことば」に著されています。
幸せになれるには 2019年の安寧を感謝
東広島市の広島空港周辺に、我が家のご先祖様のお墓があります。
12月に入ると、田んぼは乾いて田園地帯の彩はあまりありません。
紅葉もそろそろ終わりで、紅葉や楓は散り始めています。
山の斜面にあったお墓は、竹藪に覆われてしまったので、日が当たらなくなりました。
そこで、山からお墓を移して、平地に安置しました。
前方後円墳の石は、JR山陽本線から飛んでくる鉄粉が綺麗な石を黒く染めていっています。
高圧洗浄機で洗えば、鉄粉は飛ばせるようですが、鉄道から飛んでくる鉄粉
は毎日のことなので、石を綺麗に磨いても、また黒ずんでくることが分かっています。
幸せになれるには 祖先を護る
神戸から車で4時間ほどかかるので、なかなかお墓参りに来れません。
これでは、ご先祖様に申し訳ないので、
せめて雑草が墓地に茂らないように敷地全体に防草シートを張り、
その上に砕石した砂利を敷き詰めて、雑草が生えないようにしました。
効果は上がって、2019年の春・夏を通して、雑草は茂っていません。
今回来てみても、前方後円墳の敷地は、砂利を敷いたときのまま綺麗な状態です。
一年を通して、春・夏・秋・冬に花が咲くように、
植木を植えてみましたが、植木が付いたのは春の枝垂桜と、冬のサザンカです。
山茶花は咲き始めで、小さな花があったので、
これをお墓にお供えすることにしました。
守り本尊の仏陀の像に、山茶花のお花をお供えしました。
仏陀の像の頭上から、太陽光が仏陀の像を明るく照らしてくれています。
前方後円墳建立から20年経過
1999年9月に、前方後円墳を建立して、今年2019年で20年が経過しました。
20年経つと、前方後円墳の石は自然石のように少しずつ風格が出てきました。
日当たりのいい場所に移ったので、墓石は太陽の日を浴びて輝いています。
長い時間かけて、ご先祖様に感謝とお祈りをして、お墓参りが終わりました。
2019年11月28日(木)