ブッダ(ゴータマ・シッダールタ)の生涯 インド巡礼記:第8話

インド巡礼記:真理を求めて  ブッダの生涯とその思想に関する私の知識のおさらいをしておきます。【その8】

インド巡礼記

 

さて、いよいよインドでのブッダの遺跡を巡礼することになります。

最初はカルカッタの国立博物館から始まることになりますが、その前に、簡単にブッダの生涯とその思想に関する私の知識のおさらいをしておきます。

真理を求める旅なので、その中心は仏教の始祖であるブッダを理解することになります。

どの宗派、どの教団でも、一応仏教であれば、ブッダが始祖であることは認めています。

ブッダが説いた初期の原始仏教から何百年、あるいは二千年もの歳月を経て、どんどん原始仏教から考えが発展していく中で、もともとのブッダの思想さえもなんとなく消えていきそうに見えます。

そこで、おさらいをしてみたいと思います。

子供の頃から、仏壇の前にお坊さんが来て、何かわけの分からない意味不明のお経を上げていました。

正座をして聞いていると、痺れが切れてきて、早く終わることのみを願っていました。

このような育ち方なので、今までありがたいと言われるお経の意味も深く理解することなく、お経とは、痺れとの闘いであると理解していました。

そのうち、お経の中身について少し本で読むことで理解ができることがありました。

そうなると、あの長いお経の意味はいったい何なんだろうかと思ってしまいました。

そこで、少しずつ本を読んで得た知識をこれから整理してみます。

私の理解では仏教というのは、ブッタ(仏陀)の教えのことです。

お釈迦さまは、今から約2500年ほど前に実在した方です。

ゴータマ・シッダールタが本名です。

ブッダ(Buddaha)とは「目覚める」という動詞の過去分詞形で、広く「目覚めた人」「悟った人」を意味します。

広い意味では、悟った人すべてを意味する一般名詞です。

この仏陀が省略されて「仏」となり、日本語では「ほとけ」と読まれるようになりました。

インド巡礼記

 

ブッダは、シャカ族の王であるシュッド-ダナと王女であるマーヤ夫人の間に、シャカ族の王子として、4月8日にルンビニーという所でお生まれになりました。(降誕)

そこで、4月8日は「花祭り」となり、仏教ではブッダのお誕生日のお祝いをします。

キリスト教であれば、クリスマスのようなものです。

インド巡礼記

 

私の見たお寺の経営する保育園では、クリスマスを毎年盛大におこない、お祝いをしていました。

不思議に思います。

神戸の摩耶山は、この「マーヤ妃」からきています。

ブッダはその後、成人し、ヤショーダラーと結婚して、子供ラーフラを儲けたのですが、29歳の時に思うところがあり、周りの反対を押し切って、とうとう髪を剃って城を出て修行生活に入ってしまったのです。(出家)

インド巡礼記

 

その後6年間、骨と筋になるほどのやせ細る壮絶な苦行をなされました。(苦行)

インド巡礼記

 

ある時、苦行だけでは「さとり」は得られない事に気づき、苦行から離れました。

そして、ガヤーという地のナイランジャナ河(尼連禅河)をのぞむ沙羅双樹の下で深い瞑想に入り、ついに35歳の時の12月8日の朝にさとりを開いたのです。(成道)

そして、ブッダ(目覚めた人)と言われるようになりました。

インド巡礼記

 

その後、その地はブッダガヤーと言われ、また、沙羅双樹も聖なる樹(菩提樹)として崇められるようになりました。

それから、その覚った内容を人々に説いて導こうと決意し、バーラーナシー郊外のムリガダ-バ(サールナート)で、初めての説法をしました。(初転法輪)

その後は次々とお釈迦さんの下にお弟子さんが集まってきました。

教団自体も成長し、信者も増えその信者の寄進であちこちにお坊さんが集う場所が出来ました。

その中でも日本の平家物語に出てくる「祇園精舎」と、「竹林精舎」が有名です。

お釈迦さまはその後45年間も各地で教えを説き、80歳になってふるさとをめざす 旅に出発しました。

しかし、途中で重い病にかかり、クシナガラと言う地で亡くなりました。(入滅・涅槃)

出典 財団法人 仏教伝道協会 「仏教聖典」

ここまでのブッダの生涯については、各宗派とも共通しています。

ブッダが仏教の始祖であり、現在のそれぞれの宗派は、このブッダから発展

したそれぞれの教義を掲げています。

原始仏教から現代の各宗派までの道のりと経過が分からないので、頭がこんがらがっているのではないかと思います。

そこで、これからの巡礼をとおして、初期のオリジナルな考えをまずしっかりと理解したいと思います。

第7話に戻る

インド巡礼記 アーカイブ