インド巡礼記:インドに真理を求めて、インド巡礼に行きたい

インド巡礼記の動機:真理を求めて インドに、インドに真理を求めて、インド巡礼に行きたい、こう思ったのも、家庭を築き、仕事に精を出し、人生も順調に歩んでる時、ふと心の中に、「これで良いのかな?何か大事な事を忘れていないかな?成る程と腑に落ちる様な真理を理解できてるのかな?」このように、ふとした疑問がどんどん膨らんできたからです。インド巡礼は、真理を求める巡礼の旅になるはずです。 【その1】

浄土真宗と原始仏教との違いが気になって

我が家の宗旨は浄土真宗で、幼いころから仏壇に祀られていた阿弥陀如来と

親鸞聖人を礼拝してきました。

法事でお寺とのかかわりがあったとき、不思議に思ったのは、浄土真宗は、

お寺の和尚さんには、奥さんがいて、飲食はお肉も食べれば、お酒も飲むといった肉食妻帯の生活でした。

書物を読んで、仏教の原点はブッタ(お釈迦さま)の教えであり、ブッタは

悟りを得て、悟りを弟子に伝えたということを知ると、現代の仏教と原始仏

教との違いをもっと詳しく知りたくなりました。

ブッタが悟りを開くまで苦行した場所、悟りを開いたところ、初めて教えを

説いたところ、弟子が集まってブッタの言葉を聞いた広場、そして入滅まで

の布教をした足跡など、インドへ行ってその現場を見て、残されたものに触

れてみたくなりました。

これがインド巡礼への動機です。

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カルカッタの国立博物館にて松葉博雄撮影

未だ見ぬ未知の仏跡

皆さんには何か歌の思い出はありませんか。

あの曲を聴くとその関連で何かを思い出す。何かの思い出と曲が連想することです。

私は、布施明の「霧の摩周湖」を聴くと、インドの仏跡を旅行した時のことを思い出します。

なぜ、「霧の摩周湖」とインドが結びつくのでしょうか。

私以外のヒトには理解できないことだと思います。

最近、何かのきっかけで「霧の摩周湖」をふと聴きました。

♪「霧に抱かれて静かに眠る……霧の摩周湖」(※注意:音が鳴ります)

私はまだ摩周湖を訪れたことはありません。

憧れにはしていますが、なかなか機会がありません。

「霧の摩周湖」は今では自然環境保護のために周辺への立ち入りが制限されているそうです。

きっと静かに 眠る摩周湖の夜は今でも素晴らしいのではないかと想像しています。

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旅行社のキャッチコピーに魅かれて

さて、インドに何をしに行ったのかというと、それは「真理」を求めて行ったのです。

なにが真理なのかわからないまま旅行社の広告を見たときに

「インド巡礼の旅~真理を求めて~」のキャッチコピーに惹かれたのです。

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おみやげは象の卵と偽って出発

その当時、まだ3人の子供達は幼く、私が年末年始のお休みを利用してイン

ドに行くことを言った時、一番下の幼い息子は、お父さんがいなくなるので

つらくて 泣きました。

泣く子をなだめるために、私はインドに行くとお土産に象の卵を買って帰る

からと、いい加減なことを言ってしまいました。

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私の不在のときに、幼い子供達は象の卵がうちの家にきたらどうしようかと

ダンボールで小屋を作っていたそうです。

後から、亡くなった母に幼い子供にそんな嘘をつくもんじゃないとえらく叱られました。

真理を求めながらも、随分と勝手なことを言ったものです。

このようなレベルで果たして真理は求められるのでしょうか。

そして、私のインドの巡礼の旅はどのようにして「霧の摩周湖」と繋がるのでしょうか。

さて、これからゆっくりとこの思い出の話に浸りたいと思います。

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インド巡礼第2話