四国巡礼 第二十三番霊場 薬王寺 徳島・日和佐訪問記(3)
投稿No:8325
日和佐の薬王寺
日和佐(ひわさ)に来たら 四国第二十三番霊場 薬王寺
四国に来ると、お遍路さんの八十八か所の巡礼姿が目立ちます。
最近、私は八十八か所巡礼が止まっています。
日和佐には、四国第二十三番霊場 薬王寺があります。
そこで、お詣りに行くことにしました。
道の駅日和佐のすぐそばなので、薬王寺にお参りすることは、すぐできました。
以前、巡礼装束を買ったのですが、今日は持ってきていないので残念です。
霊場には、ほとんどのお寺に坂道
四国八十八か所の霊場は、ほとんどのお寺に坂道があります。
山を切り開いて、石段を作っているので、本堂にお参りするまでには、長い石段を上がっていくことになります。
石段を登るのは大変ですが、石段を作る方が大変だったと思います。
退職したら八十八か所巡り
お遍路さんの姿が見えました。八十八か所巡りをしているのは、ご夫婦で来られている方が多く見られます。
在職中は、巡礼する時間的ゆとりがなかったと推測します。
定年退職して、夫婦で一緒に過ごす時間ができると、巡礼を思い立つようです。
ご夫婦でお堂の前で、声を出して、真言密教のを唱えています。
薬王寺縁起
醫王山無量寿院薬王寺は、神亀3年(726年)、行基菩薩が聖武天皇の勅願を受け、この地に巡錫し、一寺を建立されました。
弘仁6年(815年)、弘法大師42歳のとき、平城上皇の勅命によって本尊厄除薬師如来を刻んで開基した阿波の国薬王寺は、四国八十八ヶ所第23番の霊場であり、厄除根本御祈願所として全国にその名が知られています。
寺号を無量寿院医王山といわれているのは、無限の生命を伝え、医の王である意味です。
また、寺名を薬王寺というのは、薬の王であることを意味しています。
高野山真言宗の別格本山とされ、嵯峨上皇、淳和天皇は勅使を使わされて厄除の祈誓を願われ、土御門上皇は嘉禄2年皇居として行在せられ、また後嵯峨天皇は寛元元年当山伽藍の再建をして仁助親王が落慶の法筵に入れられたと伝えられています。
(薬王寺HPより)
お寺に多い クスノキ 楠
境内には、日和佐町指定文化財として薬王寺の大楠が何本かありました。
樹齢は何年でしょうか? とても大きなクスノキです。
お寺や、神社には楠が多いことに気が付きます。
楠の実を、小鳥が食べて、その結果糞をあちらこちらに撒く結果、楠は自生してきます。
一旦、楠が自生すると、神社、お寺では、保護するので、樹齢の長いくすのきが育つと考えました。
日和佐の海が見えました
境内から向こうを見ると、日和佐の海が見えました。
ここは穏やかな気候で、海にも近く、住みやすそうなところです。
薬王寺のシンボル 瑜祇塔(ゆぎとう)
向こうの方に瑜祇塔(ゆぎとう)です。
あちらのほうまで行こうかと思いましたが、階段を上がり続けてきたので、もうしんどくなって、遠くから見るだけです。
道順に沿って、薬王寺を一巡すると、霊場巡りは終了です。
日和佐の町を絵で描いたマップがありました。
コンパクトな町なので、車で回ればすぐに一巡できそうです。
次は町をめぐってみます。
まとめ
道の駅日和佐のすぐそばなので、薬王寺にお参りすることは、すぐできました。
境内には、日和佐町指定文化財として薬王寺の大楠が何本かありました。
樹齢は何年でしょうか? とても大きなクスノキです。
お寺や、神社には楠が多いことに気が付きます。
楠の実を、小鳥が食べて、その結果糞をあちらこちらに撒く結果、楠は自生してきます。
2019年7月14日(日)