メニコンの森山久営業本部長は、阪神淡路大震災の復興に尽力してくれた思い出があります。

メニコンの昔話をしても、昔のことを知っている人はうんと減りました。森山久営業本部長は、メニコンソフトを販売したとき、家庭用蒸留水製造器を販売キットにつけていたことを知っていました。

メニコンの森山久さんと九鬼真之さんと安部優さんの年末のご挨拶の後は、場所を変えて、センタープラザ19階の中華料理「東天紅」で昼食です。

東天紅の支配人が気を利かせてくれて、個室を用意してくれました。

ここなら、秘密の話も周りの人に聞こえません。

森山久さんは営業本部長になってから出張が増え、1ヶ月のうち10日がホテル泊まり、

10日が名古屋のマンション泊まり、そして残り10日が自宅泊まりだそうです。

1番良く眠れるのは、当然自宅の寝床です。

メニコンは、東証一部の上場会社なので、色々な話を株価に反映されることになり、それを踏まえて話をしないと、インサイダー情報になりかねません。

なので、当たり障りのない話になってしまいます。

当たり障りのない話としては、昔話です。

昔話なら、インサイダー情報になることはありません。

森山久さんは、各地を転勤しています。

現在の出世の糸口になったのは、岡山営業所時代の成果です。

岡山営業所の時代では、メルスプランを始めたばかりの頃で、地方の古くからの取引先である眼科が、メルス加盟店に加入してくれることが、メルス会員を増やす原動力になります。

森山久営業本部長は、岡山営業所の管轄のなかで、島根、鳥取の山陰地方の開拓に力を注ぎ、山陰地方の眼科の先生方にメルス加盟店に加入して頂くように、お願いをしてまわったそうです。

その結果、多くの眼科の先生方から、支持を頂けたそうです。

地方の眼科では、その地方の患者さん達は、眼科の先生のお勧めならと、メルスプランに入会して頂けたそうです。

このことは、山陰地方の先生方の人柄が良かっただけでなく、お願いした森山さんの人柄が良かったこともあると思います。

社内の評価では、森山久さんは、バランスが取れた人だと言われています。

忙しい役職につくと、一年があっという間に過ぎていくようです。

これまで年末の挨拶に来られていた役職の皆さんは、現在では他に転出された方が多く、いつまでも一つところに留まっているのは、私ぐらいになってしまいました。