ニチコンの宮脇理取締役へ、長きにわたり、多くのご協力をいただき、ありがとうございました。社長ブログ/神戸の社長/コンタクトレンズメーカーブログ/ニチコン
宮脇理さんと、田野泰子さんとは、亡くなった松葉登美子院長、松葉賢一院長の頃からの、長いお付き合いです。 東天閣(2)社長ブログ/神戸の社長/コンタクトレンズメーカーブログ/ニチコン
松葉眼科を、神戸三宮のさんプラザビルで開院したのは、1971年5月です。
当時は、コンタクトレンズは、ハードレンズだけの時代でした。
ジョンソン・エンド・ジョンソン、ボシュロム、アルコンなどの外国企業が、日本に参入する以前には、ニチコンと、メニコンは、国内企業としては、有力な企業でした。
ニチコンの宮脇理さんは、眼科の先生を主体とする、医療ルートに強く、幅広い人脈をもっています。
ハードコンタクトレンズの販売には、眼科知識と、コンタクトレンズフィッティングの経験が必要です。これを宮脇理さんは備えていました。
昔話になってきました。松葉眼科が、小さな一室から始まって、少しずつ部屋を広げていった頃の話です。
昔の話をしながら、今目前にある、アワビの煮込み料理を、美味しい、美味しいと、4人が絶賛しながらいただいています。
松葉賢一院長と宮脇理さんは、とても親密なお付き合いをしていたので、今夜の話の中に、田野泰子さんも知らなかったような話も出て、そんなことがあったのかと驚きながら、笑いながら、ビールが進みます。
そろそろ終わりの頃になると、もう食べきれないわと思えるほど、沢山いただいています。
東天閣のルームサービス係の方は、年配の男子スタッフが中心です。
皆さん耳にイヤホンをつけて、厨房に対して、そろそろ次の料理に取り掛かるようにと、現場からの指示をしています。
甘いものをいただいた後は、脂落としのお茶です。飲茶でしょうか?
沖縄のホテル日航アリビラで、飲茶料理を頂いた事を思い出します。
お茶の種類もいっぱいあって、自分でお茶を選んでいただきました。
宮脇理さんは退職されたので、もうビジネスとしての会社訪問は終わりましたが、業界の生き字引として、話し相手に会社に寄ってほしいと思います。
田野泰子さんは、松葉眼科に採用された頃から松葉博雄は知っています。
阪神淡路大震災の時は、一緒になって松葉眼科とさんプラザコンタクトレンズの再建に力を尽くしました。
最後の甘いデザートになった頃に、宮脇理さんと田野泰子さんから、本来なら今夜のこの席に亡くなった松葉賢一院長がいらっしゃったらいいのですが、その代わりに松葉博雄社長が院長になり代わってこのようなおもてなしをしていただき、本当にありがとうございましたと、お礼の言葉がありました。
東天閣を出て、振り返って東天閣を見てみると、全ての部屋の窓ガラスからは、蛍光灯とは違うような、柔らかい明かりが窓の外まで輝いています。
私たちは、中にいると分からない事が沢山あります。外から見て、気が付いたことがあれば、外からの意見として、アドバイスを宮脇理さんにお願いしました。
2015年5月30日(土)