田中恭一会長と、田中英成社長が、メニコンスーパーコンサート『あしたの瞳』のモデルとプロデューサーです。社長ブログ/神戸の社長/コンタクトレンズメーカーブログ/メニコン
宮川彬良(みやがわあきら)作曲・指揮、脚本:響敏也、出演:佐久間広一郎による、歌劇『あしたの瞳』を鑑賞しました。 名古屋出張(1)社長ブログ/神戸の社長/コンタクトレンズメーカーブログ/メニコン
メニコンスーパーコンサート歌劇『あしたの瞳』を観劇するために、名古屋に向かいます。
旅の楽しみは、お天気と同行者で決まります。更に追加をすれば、電車の旅はお弁当の善し悪しで、楽しみがかわります。
以前は、電車に乗れば駅弁があり、窓を開けてお弁当を買っていた時代がありました。今は新幹線の時代で窓は開きません。電車に乗る前に、駅の構内でお弁当を選んで買っておきます。
売れ筋の表示がありました。表示があった人気No.1から、No.5まで、ほとんど売り切れです。
残っていたのがこのおかめ弁当です。このおかめ弁当を新幹線が発車すると同時に食べて、電車の旅を楽しみました。
着いたところは名古屋です。名古屋に着いてから、名古屋東急ホテルにチェックインして、一休みすると、本日の出張の目的のメニコン主催のメニコンスーパーコンサート歌劇『あしたの瞳』を鑑賞しにいきます。
場所は、愛知県芸術劇場の大ホールです。入り口の周りには、メニコンの社員の皆さんが待機していました。
以前の担当者であった、出口吉正さんが迎えてくれました。
他にも、村上博志さん、篠田浩樹さんも、お客様を迎えるために、整列していました。
今の大阪の責任者である九鬼真之部長も、お出迎えのメンバーです。
森山久さんは、ちょっとご挨拶するだけで、ゆっくりと話す時間がありませんでした。
結婚式の新郎新婦のように、田中恭一会長と、田中英成社長のお二人が並んで、多くの方のご挨拶を受けていました。
松葉博雄と奥さんは、会長と社長にスーパーコンサートが開催されるお祝いを申し上げました。
全て指定席です。松葉博雄の指定席は、2階の正面で、そのお隣は田中英成社長のお席です。
周りを見れば、四日市中部視力センターの西川次一社長や、尾張旭市まじまコンタクトレンズの馬嶋久恵社長もいらっしゃいました。
実に優れた場所です。音響がまっすぐに伝わってくる、いい場所でした。
指揮者は宮川彬良さんです。宮川彬良さんは、2011年のメニコン60周年の記念の時にも、『あしたの瞳』を舞台で、さわりの部分だけ指揮されました。
舞台の様子は、一切オフレコードなので、写真で紹介する事はできませんが、代わりに、リーフレットを貼り付けておきます。
ストーリーは、若き田中恭一会長が、米兵将校婦人が持っていた、コンタクトレンズに初めて出会い、そこから、日本で初めての角膜コンタクトレンズを、自らの工夫で作っていく話です。
出演者の皆さんは、最後に宝塚歌劇のレビューのように、全員が舞台に集まりました。
スーパーコンサートが終わると、愛知県芸術劇場の大ホールのロビーには、田中恭一会長が作った、コンタクトレンズの見本が展示されていました。
戦後まもなくのことなので、十分な資材や工具がない時代に、現代に負けないレベルのコンタクトレンズを作り上げています。
M.Tコンタクトレンズは、昭和28年(1953年)1月に作られています。
当時は、高卒の平均初任給が約5,000円だったのに対し、コンタクトレンズ両眼が8,000円だった時代です。
この写真は、田中恭一会長が、若き頃、コンタクトレンズを試作していくときに、自分自身の目に入れて、完成度を確かめていたと、言われる頃の写真です。
スーパーコンサートの中でも、重要な意味を持つ、将校婦人との出会いがあった時の写真が、ロビーに展示されていました。この将校婦人との出会いが、田中恭一会長がコンタクトレンズに進むきっかけになっています。
今日のメニコンスーパーコンサート『あしたの瞳』は、メニコンの企業文化を伝えるためには、とても重要な歌劇です。メニコンは、なぜ存在するのか、その企業の使命はなにであるのか。企業が存続する意味は、なんであるのかを、伝える素晴らしい歌劇でした。
2015年2月13日(金)