ペナン島は、元イギリスの植民地です。イギリスの右手に銃、左手に聖書の、力と愛の矛盾と思える国家政策で、力尽くで占領された島です。

ペナン島は、マラッカ海峡に位置する重要地のため、力による支配を受けてきました。辛い歴史のある島です。 マレーシア旅行記(4)

世界遺産ジョージタウン観光の始まりは、コーンウォリス要塞から始まります。今は平和な時代で、要塞は観光地になっていますが、ヨーロッパの列強諸国がアジアに進出し、植民地獲得の戦争をしていた時には、このペナン島も、奪い合いの対象でした。

要塞があります。昔刑務所だった所です。壁は世界遺産になっています。これが刑務所かと思えるくらい、広い敷地に、長い長い塀を作って、囚人を収容していた大きな刑務所です。

1786年、イギリス人のフランシスコ・ライトさんが懲役中の囚人を沢山連れて来て、開発しました。囚人なら、使いやすいと思う考えは、日本にもありました。

日本では、佐渡の金山の開発は、江戸市中の無宿人を捕まえて、佐渡に送って、金山を掘る時の湧き水をくみ出す、過酷な労働をさせていました。

このことは、松本清張の佐渡流人行に詳しく書かれています。

ヴィクトリアメモリアル時計台がありました。この時計台は、100年以上も時を刻み続けている時計です。ヴィクトリア女王の即位60周年を祝い1897年に建造が始まり、出来たのは1902年です。高さは18mです。

要塞には、1km先まで届く当時としては驚くべき程射程距離の長い大砲が海をにらんでいます。この海に、2004年12月26日のスマトラ沖地震によって発生した、津波が押し寄せてきたそうです。

画像:デジタルグローブ(digitalglobe)社 ホームページより

ここまでの津波は東南アジア最後の津波です。波の高さはこの辺は2.5メートル、北の方はもっとひどかったようです。スマトラとは距離があるので、幸い、ペナンは大津波にはなっていません。

ペナン島は人口約100万人です。マレーシアは多民族国家ですが、マレー、中華、インドの3大民族が主で、その中でも中華民族が一番増えています。

ペナン島の中の人口比率は、7割が中華民族、2割がマレー系、1割がインド系です。ペナン島だけでなく、マレー半島のペナン州でみれば、中華民族は、50~60万人位います。マレーシア全体の8割がイスラム教徒のようです。

左の方向に見える、高層ビルの建物がある場所は、10年前の埋め立て地です。元は、海で、神戸と同じように、海を埋め立てて、海上に造った都市です。

音程の高い、綺麗な声で鳴いている鳥が、羽を休めに、道ばたにとまっています。えさを探しているのかもしれません。

この大砲が、1km先の敵の船を沈めた、当時としては、最高の軍事力の証です。

コンウォリス砦は、1786年東インド会社のフランシス・ライトが上陸した土地に、建てられた要塞です。それぞれの街角には、灯台や、白い協会が建てられています。

この大砲は、真鍮製の大砲で、オランダ製の大砲スリ・ランバイと呼ばれる大砲です。

英国人墓地も、写真に撮れていませんが、ちらっと見えました。あの、東インド会社のフランシスコ・ライト船長はここに土葬されています。

バスでジョージタウンを回っていれば、あちらこちらに教会が沢山残っています。イギリスは、右手に銃を、左手に聖書を持って、植民地を広げ、右手と左手の役割が、相反する行動をとっています。

当時は、銃と聖書の二つが、矛盾しないと考えられていたのですから不思議です。

2014年3月14日(金)