同窓生と行く マレーシア旅行記 マレーシアの観光、食事、ホテル、体験を記録。マレーシア旅行記(1)~(28」

同窓生と行く マレーシァ  マレーシア政府観光局

マレーシア旅行はマレーシア航空機が行方不明になったことで、実行が一時危ぶまれるほどの緊張感がありました。 同窓生と行くマレーシア旅行記(1) 

同窓生と行く マレーシア旅行記 はじまり 

マレーシア旅行に行ってきます。

学校の同級生のグループで、一部奥さんも参加です。綿密な企画と、

旅行会社への詳細な打ち合わせを繰り返してくれた幹事の方には、感謝です。

マレーシアへ旅行に行こうと、個人なら湧いてこない考えです。

それがみんなで考えると、

少しでも同級生との繋がりのある訪問先として、

マレーシアになりました。

同窓生と行くマレーシア旅行 関空発

出発地は関西国際空港です。

9時集合で、参加者は13名です。

松葉博雄と奧さんは、朝ご飯を空港でする予定にしているので、

荷物のキャリーケース2個をマレーシア航空に預けると、飲食街に向かいます。

しばらく和食と離れるので、

選んだのはおにぎりとお蕎麦の朝食セットです。

ほとんどの空港設備では、いろいろコストがかかっているのか、

独占体質なのか、ほとんどのメニューは、

空港外よりかなり割高になっています。

マレーシア航空MH053便に乗って、定刻通りに11時に離陸です。

正直なところ、このマレーシア旅行は成立するかどうか、

心配な面がありました。

一つは、参加者がグループ旅行として、

成立するかどうかの人数の問題です。

もう一つは、直前に起きた、マレーシア航空の北京行きの便が、

消息不明になったことです。

今日の出発時にも、まだ交信が途絶えたマレーシア航空機は、

機体発見が出来ていません。海上の探索は、

南シナ海やインド洋にも範囲を広げていますが、まだ見つかっていません。

今回のマレーシア航空事件を受けて、

念のためにマレーシア旅行を実行するかどうか、

意思確認のメールがまわってきましたが、

全員楽天的に考えて、予定変更無しです。

マレーシア航空で行くマレーシア

関西空港を飛び立つと、しばらくして昼食です。

関西空港で調達した昼食は、和食が使われています。

おそばと、海老のサラダなど、

食べやすいものが用意されています。

これから向かうマレーシアはイスラムの国です。

その戒律は厳しく、公共の場所での飲酒は禁じられています。

しかし飛行機の中は、イスラムの戒律は適用されていません。

ビールやワインは、自由に注文できます。

一夜漬けの勉強を始めます。何の勉強かと言えば、

旅行ガイドブックを買ってきて、

飛行機の中でマレーシアについての記事を読んでいます。

娘から注意されたのは、身につけている物が高価な物だと、

目を付けられるから、ご用心という忠告です。

以前、神戸商科大学大学院の有志で、オランダ旅行をしたとき、

一瞬の油断でパスポートを盗まれた友人がいました。

日本のような治安の安全な生活に慣れていると、

気が緩んでしまいますが、海外では油断大敵です。

そこで、関西空港で買ったのは、マレーシア旅行に使うための腕時計です。

100円ショップダイソーで、105円の腕時計を見つけました。

これを松葉博雄と奧さんが、ペアルックで腕に巻いて使います。

日本とマレーシアの時差は、たった1時間です。

マレーシアの方が、日本の時間より1時間遅くなります。

飛行時間はおよそ7時間です。四国を通って九州を横切り、沖縄を通過します。

ここまでは、これまで145回行った沖縄に行く航路と一緒です。

沖縄までは2時間ですが、この後5時間多く飛ぶ事になります。

航路を見ると、今どの辺りを飛んでいるのかよく分かります。

お昼を過ぎてしばらくすると、おやつタイムです。

おやつには、アルコールとアイスクリームを選ぶ事が出来ます。

ビールの他に白ワインを飲みながら、

少しずつマレーシアに近づいている事を実感しています。

マレーシアに着けば、神戸の寒い気候から、

30度を超える真夏の温度が待っています。

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2014年3月13日(木)

マレーシア航空機で、クアラルンプール空港に着きました。飛行時間は約7時間です。同窓生と行くマレーシア旅行記(2)

クアラルンプール着、ペナン行きに乗り換え、50分でペナン島着です。 

マレーシア航空機の中では、長時間座っていると、

いわゆるエコノミークラス症候群の症状が現れてきました。

窮屈なスペースの狭い座席でじっとしていると、

血行が悪くなり、足がむくんできます。

フライト記録を見ていると、マレーシア航空のMH053便は、

南シナ海を南下して、ベトナムの近くに来ています。

窓から見る景色は、高度1万mなので、雲ばかりです。

まもなく着陸という機内アナウンスがある頃には、窓から見る景色は、

湘南海岸よりも遙かに長い海岸線です。

あの長く伸びた海岸線は、どんな海が広がっているのでしょうか?

きっと珊瑚礁と、熱帯魚の素晴らしい海ではないかと、

考えるだけでわくわくしてきます。

ここは亜熱帯地域です。

積乱雲が所々に、標高にすれば2000~3000mもありあそうな高さにまで発達して、

まるで一つ一つが切り立った山のように見えます。

マレーシア航空のMH053便の右の翼を通して、

マレー半島の一部が見えてきました。

亜熱帯植物に覆われた、緑の美しい半島です。

所々、緑の亜熱帯植物を切り裂くように、道が付けられれています。

長い河も見えてきました。いよいよマレーシアに近づいて、

まもなくクアラルンプール空港に着陸です。

クアラルンプール着は、定刻の17:05分です。空港を見渡すと、

関西空港よりも、馴染みの神戸空港よりも、はるかに広い広い空港です。

この空港も、きっと何十年か前には、

亜熱帯植物に覆われた、森林だったかもしれません。

その頃の亜熱帯植物森林に住む動物たちは、ブルドーザーで追い立てられて、

今ではコンクリートに覆われた滑走路に変わっています。

クアラルンプールに着いても、ここで泊まるわけではありません。

今夜の宿泊地は、ペナン島です。

ペナンには、マレーシア航空のMH1162便に乗り継ぎです。

その間、およそ2時間クアラルンプール空港で待機していました。

クアラルンプール空港は、霧か、スモークか、黄砂か、はたまたPM2.5か、

どんよりした空気に覆われて、向こうも見えないほど霞んでいました。

このときは原因が分かりませんでしたが、この空気の濁りは、

近隣の森林火災から発生する煙だったようです。

クアラルンプールからペナン島へは、国内便ですが、

国内便といえどもパスポートの提示が求められます。

およそ50分のフライトで、ペナン島に到着しました。

ペナンは、マレー半島から少し離れた四角い形の島です。

この小さな島に、沢山の人が住んでいます。

荷物検査は厳重で、脱帽し、上着を脱いで、

金具の着いたベルトは外して、金属探知機を通ります。

ペナン空港では、マレーシアで使う現金の両替所がありました。

一万円で300リンギットです。

これからは、物の値段はリンギットで表されるので、

一回ずつ1リンギットがおよそ33円として、円に換算して考える事になります。

ペナン空港を出ると、現地のトラベル会社の担当員が待っていました。

マレーシア旅行 現地案内人

これからお世話になる担当者は、中国系のマレーシア人です。

その名前は、多分ニックネームと思われる、SUM(サム)さんです。

サムさんの案内で、これから5日間利用するバスに乗り込み、

かなり遅い夕食に向かいます。

周りは暗く、着いたばかりのマレーシアは、

まだどんな文化なのか分かりません。

マレーシア旅行 最初の夕食

空港からバスに揺られて、

やや下町の中華料理店に案内されました。

円卓テーブルに座って待っていると、

細麺のワンタン麺が、全員に配られました。

えっ!と驚くような、質素な晩ご飯です。

もう日本時間で22時半なので、夕食というより、夜食です。

マレーシアはイスラムの禁酒の国

マレーシアはイスラム教なので、アルコールは禁止ですが、

旅行者は、お金を払えば、飲食店でアルコールが飲めます。

ただし、アルコールはマレーシアでは作っていないので、

全て近隣からの輸入品です。

ラーメンが300円、ビールが450円位でした。

マレーシアでは、全ての値段が旅行代金に入っているので、

そう大したものは出ません。

デザートには、スイカが出ました。

マレーシア ベイビューホテル着

夕食後は、1泊目のペイビューホテルに向かいます。

レストランからホテルへは30分位で着きます。

今夜は長旅で疲れているので、

同級生が集まるミーティングはありません。

松葉博雄と奧さんは、神戸から持ってきた、スダチ酎をお水で割って、

寝る前のお酒にしました。

マレーシアでは、決して生水は飲んではいけません。

全てペットボトルの水で通します。

マレーシアの人達も、水はペットボトルか、水道水を浄化して、

煮沸して飲んでいるようです。

明日は、ペナン観光です。2014年3月13日(木)

マレーシアの観光、食事、ホテル、体験を記録。ペナン島のホテルの朝食は、大抵のホテルの朝食のように、バイキング料理が並んでいました。マレーシア旅行記(3)

マレーシア旅行2日目 モーニングコールで起きる

ペナンの朝は、ぐっすり眠っていて、

起きた瞬間、ここはどこだろう?と思ったほど、

昨日の事を忘れてしまっていました。

マレーシア旅行2日目の朝です。

現地時間6時半、日本時間7時半に、

モーニングコールがあって起こされました。

窓を開けてみると、マレーシアの朝6時半は、まだ薄暗い朝です。

マレーシア旅行は、これまでの個人旅行と違って、

同期生の仲間と一緒の団体旅行なので、

時間のスケジュール管理がしっかりされています。

皆さんに迷惑をかけないように、

大急ぎで身支度を整えて、1階の食堂に行きます。

金曜日のマレーシアは忙しくなります。他のイスラムの国は、

木曜がお祈り日なので、金曜は暇になります。

一般的なイスラムのモスクは、男性しか入れません。

昼間は女人禁制です。

朝食はバイキング方式です。

沢山の料理が並んでいる中で出来るだけお米、お粥を選んで頂きます。

マレーシア旅行 食事は食べ過ぎないように

今回の旅行で気を付けることは、むやみに食べないことです。

体重が一度増えると、減量はとても大変な事がよく分かっています。

1kg太ることは、1日でも可能です。

しかし1kgの減量は、3日も4日もかかります。

それを思えば、むやみに食べないことです。

窓から外を見てみると、マレーシアでも東の空から陽が昇っています。

この辺りは空気が少し曇っています。

椰子の木があちらこちらに茂っています。

こんなトロピカルな光景が大好きです。

ほっとするくらいです。

マレーシアの日の出は、日本より遅いようです。

日本なら6時以降に明るくなりますが、

マレーシアは7時前ならまだ真っ暗です。

少しずつ周りが明るくなってくると、ここはマレーシアのペナンだという事が、

当然のようにはっきりしてきます。

中学校か、高等学校のような学校が、窓のすぐ下にありました。

日本と同じように、マレーシアの学生は制服を着ています。

窓越しなので声は聞こえてきませんが、

きっとガヤガヤ、ワイワイと、騒いでいると思います。

イスラム教は一日に5回も礼拝があるそうなので、

礼拝の音が聞こえてくるのかなぁ?

と、思っていましたが、コーランを読む声は聞こえてきません。

朝日が昇る東の方向には、

何本もの港に使うクレーンがそびえています。

少しだけ海が見えました。

ペナン島の観光スケジュールは、ぎっしり詰まっています。

マレーシアペナン島 世界遺産ジョージタウン観光

最初はペナン島の世界遺産ジョージタウン観光です。

ホテルのロビーに皆さん集まっています。

バスが来るまでわずかな時間ですが、

ホテルの前で記念撮影です。

日本の狛犬のような、マレーシアのライオンの像の前で、記念写真です。

マレーシアはイギリスの植民地であったために、

イギリスの文化が残っているようです。

色々これから見て回ります。

他の二人の奥様達は、レディーファーストの精神で、バスの席は窓際ですが、

松葉夫妻の場合は窓側は私です。

それは写真を撮るためです。車窓から見える景色を、

一瞬に判断して撮影していく事が、松葉博雄の役割です。

さて、これからどんな光景が撮影できるでしょうか?楽しみです。

2014年3月14日(金)

マレーシア旅行 ペナン島は、元イギリスの植民地です。イギリスの右手に銃、左手に聖書の、力と愛の矛盾と思える国家政策で、力尽くで占領された島です。マレーシア旅行記(4)

世界遺産ジョージタウン観光

世界遺産ジョージタウン観光の始まりは、

コーンウォリス要塞から始まります。

今は平和な時代で、要塞は観光地になっていますが、

ヨーロッパの列強諸国がアジアに進出し、

植民地獲得の戦争をしていた時には、

このペナン島も、奪い合いの対象でした。

要塞があります。昔刑務所だった所です。

壁は世界遺産になっています。

これが刑務所かと思えるくらい、広い敷地に、

長い長い塀を作って、囚人を収容していた大きな刑務所です。

1786年、イギリス人のフランシスコ・ライトさんが

懲役中の囚人を沢山連れて来て、開発しました。

囚人なら、使いやすいと思う考えは、日本にもありました。

日本では、佐渡の金山の開発は、江戸市中の無宿人を捕まえて、
 
佐渡に送って、金山を掘る時の湧き水をくみ出す、
 
過酷な労働をさせていました。
 
このことは、松本清張の佐渡流人行に詳しく書かれています。
 

ヴィクトリアメモリアル時計台がありました。

この時計台は、100年以上も時を刻み続けている時計です。

ヴィクトリア女王の即位60周年を祝い1897年に建造が始まり、

出来たのは1902年です。高さは18mです。

要塞には、1km先まで届く当時としては驚くべき

程射程距離の長い大砲が海をにらんでいます。

スマトラ沖地震の時 津波が押し寄せてきた海

この海に、2004年12月26日のスマトラ沖地震によって発生した、津波が押し寄せてきたそうです。

画像:デジタルグローブ(digitalglobe)社 ホームページより

ここまでの津波は東南アジア最後の津波です。

波の高さはこの辺は2.5メートル、

北の方はもっとひどかったようです。

スマトラとは距離があるので、

幸い、ペナンは大津波にはなっていません。

マレーシアペナン島 人口100万人

ペナン島は人口約100万人です。

マレーシアは多民族国家ですが、

マレー、中華、インドの3大民族が主で、

その中でも中華民族が一番増えています。

ペナン島の中の人口比率は、

7割が中華民族、2割がマレー系、1割がインド系です。

ペナン島だけでなく、マレー半島のペナン州でみれば、

中華民族は、50~60万人位います。

マレーシア全体の8割がイスラム教徒のようです。

左の方向に見える、高層ビルの建物がある場所は、

10年前の埋め立て地です。

元は、海で、神戸と同じように、

海を埋め立てて、海上に造った都市です。

音程の高い、綺麗な声で鳴いている鳥が、

羽を休めに、道ばたにとまっています。

えさを探しているのかもしれません。

の大砲が、1km先の敵の船を沈めた、

当時としては、最高の軍事力の証です。

コンウォリス砦は、1786年東インド会社のフランシス・ライトが上陸した土地に、

建てられた要塞です。

それぞれの街角には、灯台や、白い協会が建てられています。

この大砲は、真鍮製の大砲で、

オランダ製の大砲スリ・ランバイと呼ばれる大砲です。

英国人墓地も、写真に撮れていませんが、ちらっと見えました。

あの、東インド会社のフランシスコ・ライト船長はここに土葬されています。

バスでジョージタウンを回っていれば、

あちらこちらに教会が沢山残っています。

イギリスは、右手に銃を、左手に聖書を持って、

植民地を広げ、右手と左手の役割が、相反する行動をとっています。

当時は、銃と聖書の二つが、

矛盾しないと考えられていたのですから不思議です。

2014年3月14日(金)

仏陀(ブッタ)最後の言葉 涅槃仏は仏陀が入滅された時の、お姿を伝えるものです。 マレーシア旅行記(5)

仏陀(ブッタ)最後の言葉

次はとても巨大で長い寝釈迦仏がいる、寝釈迦仏寺院に向かいます。

仏陀は80歳で入滅されました。

仏陀が亡くなるときに、最後に弟子達に諭した言葉は、

『もろもろの事象は、過ぎ去るものである。

怠けることなく修行を完成なさい』と言い残されました。

寝釈迦仏寺院は、1845年にイギリスとビクトリア女王から土地を与えられ、

1900年に建てられた、タイと中国の雰囲気が入り交じった、ユニークな造りです。

入館するときは、神様の仏像を尊重するため、

帽子と靴を脱いで下さい、と説明がありました。

本堂には、とても大きなお釈迦様が寝ています。

その名も『リクライニング・ブッダ』とも呼ばれる、『寝釈迦仏』です。

こちらの寝釈迦様の全長は33メートルです。

涅槃仏の長さの世界ランキング第1位は、

チャウッタージー・パヤー(ミャンマー・71メートル)、

ブロンズ製の世界第一位は、日本の福岡県、南蔵院にある全長41メートルの像です。

涅槃仏は、安らかな顔を描いています。

ブッタの入滅は80歳

仏陀が亡くなる原因となったのは、供物を受けたキノコにあたり、

今で言う食中毒の状況で、80歳というお年もあって、だんだん衰弱されました。

そしてとうとう力尽きて、入滅の時期を迎えていました。

摩耶夫人と象の絵です。

摩耶夫人は、お腹に象が入る夢を見て、

釈迦を身ごもったのだと言われていて、

この絵にはその様子が描かれています。

こちらの如来像は、両手で、説法をするときの印相を現しています。

目鼻立ちがはっきりしていて、表情に力があって、今にも話しかけてきそうです。

寺院の中は写真を撮っても大丈夫ですが、後ろの方の、

地元の仏教の信者の位牌、骨壺が置かれている所は、

写真を撮らないで下さいと注意がありました。

ここにも象がいます。マレーシアでは、日本の狛犬やシーサーの代わりに、

象が設置されているようです。

ブッタのお顔は、その国の美的感覚で現されています。

インド、スリランカ、タイで、見るお顔と、

中国、韓国、日本で見るお顔は、違いが出ています。

松葉博雄と奥さんは、燈明をお供えすることにしました。

修行僧にお布施を渡し、ロウソクで蓮の花をかたどった燈明を受け取り、

仏陀の前にお供えしました。

外に出ると、芝生の広場に、鹿の象が見えます。

これは仏陀が覚りを開いて、初めて弟子に教えを説いた、

サルナート(鹿野苑)での初転法輪をイメージして、鹿がいるのだと思います。

近くには、キリスト教の大聖堂と同じように、

仏教でも、上に上にと高く延びていく寺院が、

黄金色に塗られ、光り輝いていました。

あちらのお寺も参拝してみたかったのですが、

これは予定のコースに入っていませんでした。

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2014年3月14日(金)

ペナンの植物園で見た、オオオニバスが、野外で育っていました。 マレーシア旅行記(6)

寝釈迦仏寺院の後は、ペナンの植物園に立ち寄ります。

 ペナン植物園は、1884年にイギリスの植物学者チャールズ・カーティスの監督のもと、

造園されました。

ペナン植物園 オフィシャルホームページ http://botanicalgardens.penang.gov.my/en/

植物園の中で何が見どころかというと、

自然の緑、熱帯雨林の風景です。

ペナンの島全体で見れば、この辺りの植物園とは違い、

どこを向いても街、家なので、人口が溢れて道路が狭くなっています。

今ペナンでマンション1件購入するとすれば、

最低でも1500万円以上かかります。

もっと高級な住宅分譲地は、海向きの家で約3000~4000万円します。

現地のロングステイの駐在員、ヨーロッパ人もいます。

ガイドのSUMさんが、日本の桜によく似ている花があると紹介してくれたのは、

インドローズと言われる花です。

確かに、遠くから見るとよく似ています。

近付いて、落ちた花を見てみると、桜の5弁よりも多い、8弁でした。

イギリス、ノルウェー、ドイツ、スウェーデンなど北ヨーロッパの人達は、

1年中でもほとんどの季節が寒いので、マレーシアの暖かさは嬉しいようです。

沖縄でよく見かける、ヘゴヤシの栽培室がありました。ペナンでは、沖縄より温度が高いので、ヘゴヤシはやや気温を抑えた部屋で栽培しています。

そろそろ3月の中旬位になると、日本は暖かくなって、

日本の南端から桜の季節が始まります。

マレーシアの学校はこの頃お休みになるので、

ベストシーズンの日本に観光に来る人も多いそうです。

マレーシアの人たちが、日本に観光に行くようになったのは、

2005年頃が始まりで、それから9年間経ちました。

以前はVISAの取得が厳しかったのですが、2009年7月以降は規制緩和されて、

簡易的なチケットで日本へ遊びに来られるようになりました。

3月の例年にない寒い神戸から、真夏のようなマレーシアに来て、

もう汗がにじみ出るような暑さに、目が眩むような眩しさが加わり、

どこかで冷たいコーラでも飲みたくなります。

しかし、自販機が見あたらず、冷たい飲料水はなかなか買えません。

駆け足で植物園を見て回るので、引率のSUMさんは、

もうバスの傍に行って、みんなを待っています。

松葉博雄は、もっとゆっくり見たいのですが、

後ろ髪を引かれながら、バスに向かっています。

2004年9月に、沖縄海洋博公園・熱帯ドリームセンターに行った時、子どもが乗れるほどの大きなオオオニバスが、温室の人工池の中に浮かんでいたのを思い出しました。

2004年9月 綺麗だなぁと、思わず足を止めたのは、蓮池です。

蓮の池では、沢山の蓮の花が咲いています。

蓮は仏教では、心の落ち着きを表す、

ニルヴァーナ(平安)花として、よく登場しています。

ペナン植物園の後は、海外ツアーでお馴染み、

現地旅行会社の、提携先の宝石店へ連れていかれています。

金製品が今値上がりしているので、お値段は随分高くなっています。

と言われても、高価なものほど、一見の店で買うのは、リスクがあります。

マレーシアで成功しているのは、中国人の経営者が多いそうです。

なぜでしょう?物事によく気がつくからでしょうか。

商売が上手なのは、一代だけではなく、

長い間で築く、家の文化のせいでしょうか。

マレーシア人に比べると、華僑の人たちは、子どもの教育にも熱心です。

アメリカの大学へ留学して、そのままアメリカで就職して家庭を持てば、

もうマレーシアには帰ってこない人も多いそうです。

お店の期待に反して、ここで買い物をする人は、あまりいないようです。

スケジュールの詰まった旅行では、現地の普通のお店に行く機会が、ほとんどありません。

そこで、土産物を買おうとすれば、旅行会社が案内するお土産店で買うしかないのです。

旅行会社が案内する土産物屋では買う気がしないので、

この店では見ているだけです。

一応、お目当ての土産物の価格水準は覚えておくことにします。

2014年3月14日(金)

ペナンの昼食は、マーシャントホテル(MERCHANT HOTEL)で飲茶料理です。

ペナン大橋は、韓国の現代建設(ヒュンダイ Hyundai Engineering & Construction Co., Ltd.)が、工事を請け負って建設した橋です。 マレーシア旅行記(7)

ペナン植物園の後は、マーシャントホテル(MERCHANT HOTEL)で昼食です。

外は30度以上の暑い日差しですが、ホテルに入ると、

クーラーが効いて、涼しい環境です。

ロビーから見て、右側の奥の方に、

これから利用する中華レストランがあります。

SUMさんは、常に携帯電話で誰かと連絡を取り合っています。

2つの円卓テーブルに分かれて、これから中華料理をいただきます。

協定価格のように、ビールの大は、30リンギットです。

小は、15リンギットです。

ビールの銘柄は、カールスバーグ、デンマーク産で、日本でもよく目にする輸入ビールです。

ビールが届くと、一同で乾杯です。

暑いときの冷たいビールは、たまりません。

最初、揚げ物が出てきました。蛸の足か、イカの足のように、

沢山の数にカットされているのは、中味が練り物のお料理でした。

マレーシアは中国人が多いため、日本と同じように、お豆腐がよく出てきます。

今いただいているのは、揚げ出し豆腐のような、揚げ物です。

揚げそばをいただきながら、ビールが進みます。

ごま団子は、中にひょっとして、

あんこが入っていたら困るので、見るだけでパスです。

沢山のせいろに入った点心を、大勢で囲んでいます。

今日の中華飯店は、飲茶料理店でした。

次から次へと、飲茶が出てきます。どれも熱々で、とても美味しい飲茶でした。

これなら、揚げそばやご飯は見送った方が良いくらい、美味しい飲茶でした。

お腹いっぱいになって、ホテルの外に出ると、ホテルのそばには、

観光客用の輪タクが、待機しています。

いずれも目立つように、花飾りやリボンで、ドレスアップしています。

再び、SUMさんの案内してくれるバスに乗って、

これからオランウータンを保護している島に行きます。

途中、ペナン大橋を渡っています。SUMさんの説明では、

この橋は韓国のヒュンダイ建設が請け負って作った橋です。

1500人の囚人を連れてきて、工事に当たらせたそうです。

建ってから30年経っています。

海上に架かる橋なので、橋の左右は海です。

バスの右車窓はマラッカ海峡、左側は東インド洋です。

右のマラッカ海峡には、今日は霧が多いのではっきり見えていないですが、

この奥に無人島があります。

韓国の企業が請け負って造った、

全長13.5キロの橋を走り終えました。

オランウータンが保護されている所は、淡水の大きな池の中にある、小さな島です。

この中に、野生のオランウータンの中で、親にはぐれた、

親が育児放棄した、事情のあるオランウータンが保護されています。

島には、モーターボートを使って渡ります。

およそ10分で島に渡れます。

しばらく、船着き場の前で、ボートが帰ってくるのを待ちます。

世界的にも有名な保護センターに渡る船着き場なので、

大勢の観光客が来るので、土産物屋が立ち並んでいます。

2014年3月14日(金)

ブキットメラ湖のオランウータン島へ、ボートで渡ります。オランウータン島では、観光客が檻の中から、島で暮らすオランウータンの自然な姿を、柵越しから見ています。 マレーシア旅行記(8)

ブキットメラ湖の、オランウータン島です。

この島は、母親からはぐれてしまったり、

森林伐採によって森を追い出されてしまったオランウータンの保護区となっている島です。

マレーシア語で「オラン」は「人」、「ウータン」は「森」という意味から、

マレーシアでは、オランウータンは、「森の人」と呼ばれています。

オランウータンはボルネオ島とスマトラ島の熱帯雨林だけに生息する類人猿です。

WWFのホームページによると、

オランウータンの個体数は、過去100年の間に、

およそ90%以上も減少したと見られています。

その主な原因は、違法伐採や農地開拓などによる生息地の減少。

また、ペットにすることを目的とした、

違法な密猟や密輸なども大きな脅威です。

WWFはこれまで、インドネシア、およびマレーシアで、

オランウータンの保護活動を、

地元の人々と協力をしながら行なってきました。

その活動は、現在残るオランウータンの生息地を結びつけ回復させる

「回廊」造りや、政府機関に対する新しい保護区の設立要請、

そして密猟や密輸の防止活動など、多岐にわたります。

なぜオランウータンは生息地からわざわざ離れた保護区へ移されているのでしょうか?

オランウータンが、熱帯雨林からはるばる保護区まで移送されて来ている経緯には、

WWFが、主導して関わっているようでした。

WWFが保護区となる候補地の選定に関わり、

地域へ働きかけをしているためと思われます。

これからオランウータンに会いに行きます。

オランウータンが保護されている島は、ブキットメラ湖にある、小さな島です。

周りは湖なので、ここにオランウータンを放し飼いにしても、

オランウータンは湖を泳いで脱出することはありません。

オランウータンは、島全体を使って自由に生活出来るので、

オランウータンはきっと喜んでいると思います。

観光客がオランウータンに会いに行くには、

ブキットメラ湖の渡し船に乗って、島に上陸することになります。

オランウータン島に渡るには、およそ10分ほど渡し船に乗ります。

ブキットメラ湖は、波のない、とても静かな湖です。

何だか、沖縄の西表島にある、水車に乗って由布島へ渡る時のことを思い出しました。

世界各国から集まる観光客は、

オランウータンが遊ぶブキットメラ湖のオランウータン島に行くことが、

マレーシア観光の中では、大きなインセンティブを占めていると思います。

オランウータン島に上陸すると、島に向かって左手が、

オランウータン保護施設がある場所で、右手の方に、オランウータンと出会える、

金網でトンネル状に作られた、観光客用の通路があります。

オランウータン島では、観光客の方が檻の中に入り、

オランウータンは、自由な森から、観光客を見ることになります。

通路を歩くと、すぐにオランウータンが現れます。

すぐ近くの至近距離で、木からぶら下がるオランウータンの姿を見ることができます。

所々、通路側からオランウータンのいる場所へ、餌を送り届けられるように、

筒状の挿入経路があります。

オランウータンは、性格がとっても穏やかで、

それぞれの性格が、はっきりしているそうです。

 木の枝にぶら下がったり、走り回ったりするオランウータンは、とても可愛いです。

一回り、観光客用の通路を一巡すると、

次は、オランウータン保護センターの施設に行きます。

施設にも、幼い3匹のオランウータンを、アクリル板を通して見ることが出来ます。

一緒に行っている同行者が、暑さを凌いで、冷房のある部屋で待っているとき、

松葉博雄は冷房室に入ることなく、

3匹のオランウータンの行動をじっと見ていました。

3匹は、年長順に行動規範があって、

一番身体の大きい年長のオランウータンが、何かを見つけると、

一番にそれを掴み、他の2匹は、年長のオランウータンのすぐそばで、

欲しそうに見ているだけです。

この行動は、幼い3人兄弟で、

年長のお兄ちゃんが3人の兄弟を支配する行動に似ていました。

次の船が出るとき、クーラーのある部屋で待っていた人たちは、

ボートに乗って、オランウータン島を離れ、

また対岸のブキットメラへ戻ります。

松葉博雄のカメラは、調子がおかしくなりました。

調べてみると、オランウータン島で撮った写真は、全て消去されてしまっています。

消去したのは、誤作動を指示した松葉博雄自身です。

この記事の写真は、帰国した後、同行者の友人からメール送信してもらい、

善意の写真を使いました。

2014年3月15日(土)

イスラム教のモスクは、眩いばかりの黄金色に輝いています。

キャメロンハイランドに向かって、バスは七曲がりの難所を、対向車に気をつけながら、速い速度で走っています。谷底を見ると、落ちたらどうしようかと思う程の、険しい山道です。 マレーシア旅行記(9)

オランウータンの保護センターから戻ってきて、

次にイスラム寺院の、ウブティアモスクを見学です。

イスラム教徒でなければ、モスクの中には入れません。

外からモスクを見るだけです。

イスラム教のモスクを外から見て、写真に収めました。

外から見るイスラムのモスクは、輝くような眩しさです。

どのような礼拝をしているのか、窺い知ることは出来ません。

この後、これからキャメロンハイランドを目指して、

バスで標高1600メートルの高さまで、山登りです。

その前に、有料トイレで皆さん用を足していますが、

外の温度は30度を超えて、真夏の暑い暑い気温です。

そして湿度もあるので、とっても蒸し暑い暑さです。

ペナンの市街地から、キャメロンハイランドに向かう途中に、

山を削って、大理石の石材を採取している場所がありました。

これは、写真で見た、中国の桂林みたいな感じです。

1時間30分位、ひたすら登っていきます。山道は、全くトイレが無いそうです

向かう先は、標高1500メートル以上の、キャメロンハイランドです。

涼しい気候と、山の景色が、皆を魅了します。キャメロンハイランドには、

英国統治時代の面影を残す建物が残っているそうです。

キャメロンハイランドは一年中気候がとても爽やかで、

日本の軽井沢みたいな所だと言われているようです。

夜と朝は寒いけれど、日中は20度前後です。

今日泊まるホテルは、現地の人たちは、

避暑に来るのか、ロングステイ、長逗留する人が多いそうです。

「今夜の宿は、周りがジャングルなので、

夜は、皆さんちゃんと窓を閉めて下さい。

マレーシアはストーブが必要ない位、気候が暖かいので、毛布も一枚です。

夜寒くなって、毛布が必要になったら別途料金になります。」と

、SUMさんから注意がありました。 段々険しい道になってきました。ガードレールが無ければ、

車はかなり深い谷へ、ずるずると落ちてしまいそうです。

対向車が来ると、一瞬ひやっとするほどの細い道で、

しかも七曲がりの難所です。これから開発中なのか、

道路の脇には建設資材が沢山置かれています。

そして、砂埃や、工事から出る土埃が、空気を汚しています。

2014年3月14日(金)

キャメロンハイランドでは、名物のスチームボード(マレー風鍋料理)をいただきました。

キャメロンハイランドでは、ナスやピーマン、イチゴの春夏野菜と、白菜、大根の冬野菜が、同時に栽培されています。 マレーシア旅行記(10)

キャメロンハイランドのホテル、ケアバレー アパートメント(HOTEL KEA

VALLEY APARTMENT)に着きました。

ここで、キャメロンハイランドの名物料理、スチームボード(マレー風鍋料理)を、

夕食に頂きます。

キャメロンハイランドという地名は、

1885年にイギリスの国土調査官ウィリアム・キャメロンが

初めてこの地を訪れたことから名づけられました。

マレーシアのインフラは、電気、火力、水道が通っていて、比較的整っています。

しかし、生水は飲めません。

水道局に管理してもらって、低地からでも、高地へ水道を引っ張っています。

ただ、キャメロンハイランドの人は、マレーシアのルールとは違って、

 

 

山の水を使っています。

マレーシアの政府に、

2020年、コタキナバルへ原子力発電所を持ってくるという提案がされています。

コタキナバルは海が近い所です。

原子力発電所の建設は、福島原発の事故以来、

他の国はもう建設はダメみたいで、マレーシアでやれるかどうか、

心配されるところです。マレーシアの国内でも、やはり、

原子力発電所建設に反対意見は出ます。

スチームボードの名前を聞いたときは、どんな料理かと思っていました。

実際、テーブルに出てきたのは、簡易コンロの上に、鍋を乗せて、

鍋の中には日本でもお馴染みの、寄せ鍋のような食材を一緒に煮て食べる、

 

ごっちゃ煮料理です。

ちくわとか、海老、豆腐、きのこ、湯葉など、

まるっきり我が家で食べる鍋料理と変わりません。

しかしこれが、キャメロンハイランドのスチームボードに変わる、

秘訣があるのです。それは、秘伝のタレの味です。

「夕食の鍋にはよく火を通して下さい。」とSUMさんからアナウンスがありました。

多分、これまで生煮えで食べて、中った人がいたのでしょう。

松葉博雄の奥さんは、ビールの代わりに、

SUMさんに聞いた、イチゴを100%絞っているイチゴジュースを注文しました。

すると、出てきたイチゴジュースは、お湯で割ったイチゴジュースです。

これは、大失敗です。温かいイチゴジュースは、

飲めたものではありませんでした。

給仕係の方が、鍋を取り分けてくれます。

食事の時ハエが飛んできたら、皆さん少し手を振って払って下さいと、言われた通り、

ハエが飛んできて、食材に止まると、急いで手で追い払いました。

SUMさんの話では、ここは周りには、あまり遊ぶところもありません。

この辺の人たちは、働いても遊ぶところがないので、

お金を使うことがありません。

それで、マレーシア、キャメロンハイランドに住む人たちは、

年に2~3回、海外に行ったりします。

日本の農業観光ツアーに行くこともあります。

北海道8日間の旅、ここの経営者の家族も、

先月北海道に行ったそうですが、行くまでみんな元気だったのに、

寒くて雪が多くて、慣れない雪に転んで怪我したりして、

 

大変だったようです。

キャメロンハイランドは、ヒマワリのはちみつが有名です。

今日は鍋料理なので食卓に出ませんでしたが、

洋食やおやつを頼んだ時には、

現地産のハチミツが頂けるかもしれません。

この辺は昔は道路が無く、山でした。キャメロンハイランドには、

2万人位の人が住んでいて、村が7カ所あります。

ホテルへ来る途中、屋根の繋がったインドアハウス(ビニールハウス)が見えました。

ここで有名なのはイチゴ、他にも高原野菜は色々種類があって、

たとえば白菜、青梗菜、ほうれん草、

きのこ、えのきなど、色々栽培しています。

食後、食堂の周りの、野菜を置いている場所を見て回りました。

マレーシアは暑い国ですが、キャメロンハイランドは高原なので、

日本と同じような野菜が栽培されています。

標高は100メートル上がると、気温が1度下がる勘定なので、

1000メートルだと、10度、1500メートルだと、

15度、平地より低い気温になります。

どこかで見たような蜜柑です。そうです、これは金柑です。

金柑を観賞用の鉢物として育てています。

支柱を立てて、金柑の枝を上向きになるように、支柱に縛っていました。

高原リゾートは3カ所あります。

1600メートルと、もう一カ所が1800メートル、もう一カ所が2300メートルです。

途中、先住原住民がいます。

彼らは、途中のテント屋台で商売しているのだそうです。

ホテルの台所を見て回ると、キャメロンハイランドの高原野菜が並んでいます。

お馴染みの、ピーマン、ニンジン、なす、白菜、大根、キャベツなどが、

スチームボードの食材として、用意されています。

キャベツや白菜は、日本のものに比べると、やや型が小さい感じがします。

白菜などは、寒いときに市場に並ぶ冬野菜なので、

いくら高原でも、日本の国内ほど、気温が下がっていないことが分かります。

しかし、白菜や大根の冬野菜と、

なすびやトマトの夏野菜が、並んで育つのですから驚きです。

こうなると、漬け物は、冬の漬け物もあれば、

夏の漬け物も出来るような、お漬け物が好きな人にはたまりません。

ナスの糠漬けは美味しいし、白菜の浅漬けも美味しいし、

一年中、夏の漬け物も、冬の漬け物も食べられそうです。

なんと、サツマイモというか、マレーシア芋もありました。

鳴門金時のような、細い芋もありました。

道路に向かって、野菜を売っている女性は、

松葉博雄が近付くとにっこり笑って、手で指さして、

野菜を買うように勧めてくれましたが、

松葉博雄はゼスチャーを交えて、お腹をさすって、

もうお腹がいっぱいのマネをすると、笑っていました。

キャメロンハイランドのイチゴは、奥さんが買って食べてみると、

日本の様な甘さの追求はありませんでした。

キャメロンハイランドにバスで登ってくる途中、

ビニールハウスを沢山見ましたが、

あのビニールハウスで、ここに並んでいるような、

高原野菜でイチゴを栽培していることが、実際に見て分かりました。

食事が終わってからホテルまで20分位、

1600メートルから1400メートルまで降りてきて、

ホテルにチェックインします。

2014年3月14日(金)

キャメロンハイランドのバラ園と、紅茶畑の見学です。

キャメロンハイランドの紅茶畑は、スリランカの紅茶畑を思い出します。どちらも、イギリスの統治時代に切り拓かれた紅茶畑です。 マレーシア旅行記(12)

キャメロンハイランドの、 

ローズバレーに来ました。いわゆる、バラ園です。

とても狭い、傾斜地を利用したバラ園です。

人が一人通るのが、やっとぐらいの、狭い幅の通路です。

両脇には、バラがたくさん咲いています。

日本であれば、バラが美しく咲く時期は、5月です。

このキャメロンハイランドのバラ園の気候は、

寒くもなく、暑くもない、5月頃の気候かもしれません。

バラだけではなく、いろんな植物が咲いていました。

六甲山に沢山咲いている、紫陽花の花も咲いていました。

紫陽花が咲くのは、6月の頃ですが、キャメロンハイランドは、

日本の6月の頃の気温でしょうか?

バラ園の天井は、観光客用に、ビニールテントが張られています。

ビニールテントは、雨除けには良いのですが、

バラやその他の植物には、太陽の光が当たらなくなります。

こんな所に、サボテンの鉢が、沢山並んでいます。

バラ園の、傍を流れる渓流ですが、キャメロンハイランドが、

あちらこちらで山を削ったり、道路工事や、建設工事があるので、

渓流の水は、すっかり濁っています。

バラ園では、傾斜地を利用して、上層部に噴水を作り、

噴水から流れる水で、細い滝を作り、水の流れで、躍動感を演出しています。

一番下には、流れた水を溜める、小さな池があり、

池には錦鯉が泳いでいます。池の水は、ポンプを使って、

再び上の噴水に吸い上げられています。

これはこれで、水の循環が出来ています。

沖縄で見る、葛の花です。素晴らしい美しさです。

どういう訳か孔雀の檻があり、孔雀の足下は金網なので、

孔雀の糞は、下の渓流に流れるようになっています。

これでは、美しい水の循環にはなりません。

まだ、マレーシアでは衛生に対する規制は、緩いようです。

さすがマレーシア、観光客はインターナショナルです。

全身を黒い装束で身を隠している、

アラブ系の女性のイスラム教徒も見えました。

どこでもあるのが、観光客用の駄菓子屋です。

 

バラ園は、それほど見るところが無くて、

すぐに次の場所に移動です。

次の場所は、紅茶農園の見学に行きます。

松葉博雄は、仏教遺跡の勉強のため、

スリランカに行ったことがあります。

スリランカでも、高地を使って、紅茶畑にしていました。

それが、セイロンティーです。

丘陵地には紅茶畑が一面に広がり、この気温を利用して、

イギリス人好みの紅茶の栽培が、行われています。

山の変わりやすいお天気で、雨が降り出しました。

こうなると、足下が悪くなり、誰も紅茶畑を散策しようとしません。

新幹線に乗って、静岡県に入ると、窓から一面に、

日本茶の茶畑が見えるように、

この紅茶店から、周囲を見回すと、綺麗な紅茶の畑が続いています。

ティーハウスで、紅茶をいただきます。

ティーハウスのなかでは、生産された紅茶などの販売も行っています。

紅茶には、底の方にこの地方特産の蜂蜜が沈んでいて、

ハニーティーといいます。よく混ぜて飲んでみると、

かなり甘い紅茶でした。これは、15リンギットで、約450円です。

この紅茶がとても美味しかったので、

ここで色々な種類の紅茶を買うことにしました。

これを従業員の皆さんへの、お土産にすることにしました。

マレーシアに来たというより、日本の中国地方か、四国地方に見られるような、

山を耕して段々畑を作り、傾斜地を利用した、

高度な集約的な農業をしていることが分かりました。

またまたスコールです。日本なら通り雨です。

シャワーを浴びるように、頭上からぱらぱらと雨が降ってくると、

防ぎようがなく、急いでバスに向かいます。

次から次へと、観光バスは、お客さんをティーハウスに送り込んでくれて、

ティーハウスは立派なティーハウスに建て替えたのか、

かなりの充実した施設になっています。

お昼前になってきたので、少しずつ気温が上がり、

折からの曇り空は、湿気を含んだ梅雨のような気温になってきました。

ムシムシする感じです。

2014年3月15日(土)

新紀冷気酒家の名物は、きしめんです。

新紀冷気酒家では、水槽に沢山のディスカスが泳いでいるのを見ながら、きしめん料理をいただきました。 マレーシア旅行記(13)

キャメロンハイランドの紅茶館を出て、再びバスに乗り、山を下っていっています。

車窓から見る景色は、キャメロンハイランドの傾斜地を削り取り、

開発中の、工事現場が目立ちます。 キャメロンハイランドの土地は、

土が柔らかいため、あまり高層ビルを造れません。

高地なので、お天気の変わり具合はめまぐるしく、

雲が空を覆うと、どんよりした天気になり、

雲が流れ過ぎると、日が差してきます。

かなり速い速度で、バスは曲がりくねった道を走っていて、

同行者の中に、車酔いを起こす人が出てきました。

SUMさんにお願いして、バスの速度を少し緩めてもらい、

車酔いを防ぐことになりました。

まもなくして山道は終わり、平地に下りてきました。

平地になると、桂林の写真のように、

山が重なり合い、その山も大理石の山なので、

採掘があちらこちらで進んでいます。

これだけの大理石の山となると、

建設資材としては、宝の山です。

ビルの建設が、増えれば増えるほど、この大理石の需要は増えてきます。

採掘現場は、水をかけないで大理石の採掘をしているので、

この辺の集落は、砂埃だらけです。

日本の九州から来た会社が、この辺りの地元企業と合弁し、

セメント工場を作っているそうです。

そこに働く日本人社員は、九州から持ってきたザボンの木を、

40年前にこの土地に植えたので、この辺りにはザボンの木が沢山茂っています。

もちろん、大きなザボンの実も収穫出来ています。

延々と続く採掘現場です。削っても削っても、山は沢山あるので、

仕事のやりがいはあるでしょうが、ある時期になって振り返ってみると、

これだけ自然破壊をすれば、きっと、自然破壊の副作用が出るはずです。

風が吹いて、この粉塵を人の住む街へまき散らせば、

洗濯物はたまったものではありません。

バスは時々駐車場に停まり、小休止をします。

バス停の近くには、ブーゲンビリアの花が、

この辺りでは何の珍しさもなく咲いています。

小型マイクロバスに、現地の人が沢山乗り込んで移動中です。

しばらくバスは走り続け、その後は昼食をとるために、

レストランに向かいます。

今回のレストランも、中華レストランです。

街の中心部に、飲食店が固まっている地域があり、そちらに向かいます。

お昼ご飯は中華料理です。お店の名前は「新紀冷気酒家」です。

日本語で、ウエルカムとドアに書いているのを見れば、

この日本人向けツアー会社が、よく利用する店であることが分かります。

SUMさんの後について、新紀冷気酒家に入ります。

クーラーが効いて、涼しいお店です。

円卓テーブル2つに分かれて、お昼をいただきます。

いつものビール大は、30リンギットです。

新紀冷気酒家の名物は、きしめんです。

もちろん、新紀冷気酒家のコース料理は、

きしめんだけではありません。蒸し鶏もあります。

もやし炒めもあります。円卓テーブルで、皆さんで、

出てきた料理を、分け合いながらいただきます。

次から次へと、お店のスタッフが料理を運んできてくれます。

円卓テーブルは、瞬く間にお皿の置き場が無いほど、

料理のお皿でいっぱいになりました。

向かいに座っているのは、今回のマレーシア旅行の企画担当して頂いた、

徳永弘美さんです。

徳永弘美さんは、商社勤務の経験があるので、

海外に出張するのは、日常的なことで、とても海外旅行に慣れた方です。

昼の暑いときに、少し辛い目の中華料理を食べながら、

遠慮無くビールをいただくのは、堪りません。

最後は、デザートのスイカです。マレーシアの爪楊枝は、

とても細くて、1本だけで使っていると、折れてしまいます。

2~3本重ねて使う方が、折れなくて使い勝手が良くなります。

一通り食事が終わると、ビール代の請求に、お店のスタッフが集金にやってきます。

新紀冷気酒家の奥に、大きな水槽があります。

水槽には、淡水魚のディスカスが、ゆったりと泳いでいます。

松葉博雄は、円卓テーブルから離れて、

一人ディスカスを見に、水槽に向かいます。

ディスカスは、ゆったりと、まるでクラゲのように、

スローな動きをしていますが、飼ってみれば、

その飼育は、なかなかの神経質な魚です。

水の温度、水の浄化、餌やり、ディスカス同士のケンカなど、

これだけ大きな水槽だと、相当なケアが必要です。

念のために、水槽の下の部分を見てみると、

上の水槽から水が流れ出て、下層部分で浄化をして、

再び上の部分にポンプで循環している、その仕組みが分かりました。

ディスカスが泳ぐ水槽のすぐそばに、液晶パネルがあり、

マレーシア航空の行方不明になっている飛行機の件について、報道がされています。

水槽のディスカスは、アクリル板を通して、

この新紀冷気酒家に来るお客さんを、じっくり見ています。

昼食後、ビールを飲んで少し良い気持ちになって、

外に出てみると、外は30度を超える熱気が、身体全体に伝わってきます。

日本では観葉植物に使われている、アレカ椰子が、

マレーシアの太陽の光を浴びて、元気そうです。

新紀冷気酒家の周りは、飲食店が続いています。

もう、他の料理を食べたいという気持ちはありませんが、

この辺りはどんな料理店があるのか、

ちょっと歩いて見てみたくなります。

 

新紀冷気酒家の隣も、飲食店です。中国人の経営する飲食店のようです。

店の構えは、入り口が狭く、奥が深い、長細い店の造りです。

入り口の近くで、店主が料理をしている様子を、道行く人が見ています。

もちろん、埃もどんどん入ってきます。

そんなことはお構いなしに、料理をするのが、東南アジア風の風習のようです。

2014年3月15日(土)

マレーシア鉄道に乗って、イポーから、クアラルンプールへ、2時間半の鉄道旅行です。

マレーシア鉄道は、各国の技術が結集した鉄道です。日本からも、車両と電気の技術が活かされています。   マレーシア旅行記(14)

マレーシア鉄道に乗るために、近くのイポー駅に向かいます。

イポー駅から、クアラルンプール旧中央駅まで、マレーシア鉄道の旅です。

バスは、イポー駅で私達を降ろした後、バスだけでクアラルンプールへ向かい、

私達がマレーシア鉄道で、クアラルンプールに着いた時には、バスが先着していて、

私達を待っていてくれる予定になっています。

バスの中で、マレーシアの医療費の話になりました。

昔、ガイドのSUMさんは中央病院で生まれたそうですが、

出産費用は今の日本円で、だいたい150円だったそうです。

15年前、子供さんが市立病院で生まれたときは、

15万円かかったそうです。

今でも中央病院の自然出産は3~4千円ぐらいです。

駅が見えてきました。マレー鉄道のイポー駅です。

外観は、アメリカのホワイトハウスのような感じで、

白亜の駅舎がとても美しいです。

駅の案内図を見ると、ペナン島から、

オランウータンの住むブキットメラ湖までの位置関係が分かりました。

そして、イポーからクアラルンプールまでの位置も分かりました。

これからマレーシア鉄道に乗り、

イポー駅からクアラルンプール旧中央駅まで行きます。

出発は15時で、乗車時間はおよそ2時間半だそうです。

駅の中は、売店、コーヒーショップがあります。

近くには郵便局、裁判所、そしてオフィスビルが多いです。

マレーシアでは、駅のホームに入るのは自由です。誰も止める人はいません。

見送りをする人は、列車の窓にまで近づいて、見送りすることができます。

マレーシア鉄道は、韓国の企業が請け負って、

電化工事をし、最近リニューアルした鉄道です。

日本の企業も、丸紅と三菱電機が、マレーシア国有鉄道南北幹線の、車両と電気制御部分を受注しています。

イポー駅は1893年に開業した駅ですが、

2008年に駅構内を全面改築したため、とても綺麗な駅です。

ちなみにイポーは、マレーシアで3番目に大きい都市で、

「ホワイトコーヒー」が有名な地でもあります。

福岡市が、姉妹都市として指定されています。

電車が来るまで、向こう側のホームに渡り、

付近の景色を写真に収めました。向こうに見えるのは、

インド風の、ヒンドゥー教の寺院のように見えました。

長い間、イギリスの植民地であった影響で、駅の造りも英国風です。

マレーシアをまわってみると、

イギリスに植民地支配されたことへの反発はでていないのかと、不思議に思います。

マレーシア鉄道は、日本の鉄道と同じように、

レールは狭道です。

このマレーシア鉄道を使えば、マレーシアを超えて、

タイにまで進むことが出来ます。

さて、いよいよ列車が来ました。

車体は韓国のヒュンダイでつくられた、

まだ3年目の新しい車体です。

マレーシア鉄道はきっと、韓国が他の国との競争入札に勝ち抜いて獲得した、

鉄道システムだと思います。

ここで働く人のユニフォームは、車両と同じ、

黄色と青を基調としたユニフォームです。

列車に入り、窓越しに駅舎を見ると、窓のガラスがかなり、煤けていました。

出発までまだ時間があるので、松葉博雄は、奥さんからティッシュペーパーを受け取り、

電車から出て、自分の席の外側のガラスを拭きました。

写真を撮るためには、出来るだけ、透明なほうが良いからです。

マレーシア政府観光局ホームペ

ージより) これからマレーシア鉄道に乗って、

クアラルンプールに向かいます。マレーシア政府観光局の地図では、

位置関係はこんな感じです。

2014年3月15日(土)

マレーシア鉄道の女性の乗務員は、黄色の制服を着ていました。

マレーシア鉄道の車窓から見る景色は、山や森や畑が続く、のどかな景色です。クアラルンプールに近づくと、超高層ビルが建ち並んでいます。   マレーシア旅行記(15)

マレーシア鉄道の、クアラルンプール行きが出発進行です。

発車間もなく、車内に指定席の点検に、

女性の車掌さんがやってきました。

終点まで2時間半ぐらいかかりますが、

日本の新幹線のように、車内販売はありません。

窓から見ると、イポーから出た列車は、

窓から見える範囲には、多くの人が住んでいるような都市部は走っていません。

ローカルな景色が続きます。

中でも多いのが、椰子の木畑です。

この椰子の木は、高くなる椰子の木ではなく、

油を取るための低い椰子の木です。

時々、駅に停まります。イポーの駅では、10分停まりましたが、

その他の駅では、1分停まるかどうかぐらい短い時間です。

車窓から見ていると、行き交う人は、マレーシア人、

中国人、インド人など、多様性があります。

国際便では、クアラルンプールから、シンガポールに行く便、

またクアラルンプールからタイまで行く寝台列車があります。

今は新しい線路が出来ていて、

何年後かにはクアラルンプールからシンガポールまで300kmを90分で走れるようになります。

日本の新幹線ぐらいの速さです。

これから向かうクアラルンプールは、マレーシアの首都です。

そして、東南アジア有数のグローバル都市でもあります。

窓から見ると、大量の雨水を含んだ、

どんよりした雲が山からせり出してきています。

クアラルンプールはマレーシア語で

「泥が合流する場所」という意味があるそうです。

市中心部にある代表的なモスク「ジャメ・モスク」の付近で、

ゴンバック川とクラン川が合流していることが基になっています。

(ウィキペディア参照)

マレーシアにも、サトウキビ畑がありました。

沖縄でよく見る、サトウキビです。

サトウキビ畑の面積は、椰子の畑から見ると、

比較にならない程、僅かな面積です。

至る所で、建設中の建物が見えます。中国からの投資が、

流れ込んできて、マンション需要を作っているようです。

日本と同じように、棟の繋がった長屋形式の住宅も見えます。

列車は、クアラルンプールに近づいてきました。

これまで、ローカルな景色でしたが、

都市部に入ってくると、超高層ビルが目立ってきました。

およそ2時間半の旅で、クアラルンプールに現地時間17時30分、

日本時間18時30分につきました。

駅を出るとKTMの大きなビルがあります。

マレー鉄道事務局ビルです。

マレー鉄道の旧クアラルンプール中央駅は歴史的な建造物として知られています。 

クアラルンプール市内では最古の駅で、観光名所の一つとなっています。

周辺にはマレー鉄道事務局ビルのほかに、

国立モスクや、イスラム美術博物館などがあります。

クアラルンプール駅は、市街地のど真ん中にあって、

どの都市も同じように、狭い敷地の中に、

交通の要所が作られているため、その混雑具合は東京並みです。

車がどんどんこちらに向かって進んでくるので、

イポーの駅で、一旦乗車客を降ろしてクアラルンプールに先回りしてきたバスは、

停めるところが窮屈な様子で、駐車には困っていました。

これから、クアラルンプール郊外のホテルに、バスで向かいます。

2014年3月15日(土)

マレーシアで生活するには、万事鷹揚な生活に慣れないと、イライラしてしまいそうです。

プトラジャヤマリオットホテルは、マレーシアのクアラルンプール郊外にあります。夏日宮(SUMMER PALACE)で、級友との懇親の食事です。  マレーシア旅行記(16)

マレー鉄道に乗って、イポーからクアラルンプールに到着したあと、

ガイドのSUMさんと一緒に、クアラルンプール郊外のホテルに向かいます。

日本の東京や大阪等の大都市に比べると、

クアラルンプールは、都市設計がとても広大な面積を使っています。

アジアの雑多、狭い路地裏、ひしめく交通と言ったイメージとは違い、

アメリカのロサンゼルスに見られるような、

高速道路網が整備された近代都市です。

高速道路を1時間ほど走って、都心部から郊外へと移動しています。

だんだんと、緑の多い郊外に近づいてきました。

高速道路からの分岐する道路も、整備された道路です。

かなり広大な敷地の、プトラジャヤマリオットホテルに到着しました。

クアラルンプール市内からは、かなり離れた場所です。

ホテルに入ると、さすがマリオットホテル、部屋は広くて、

調度品は整っていて、泊まるには快適そうなホテルです。

このマリオットホテルには、2連泊します。

荷物を部屋に置いて、お風呂に入って、しばらく寛いだ後、

みんなでマリオットホテルにある、

中華料理の「夏日宮(SUMMER PALACE)」で晩ご飯です。

中華料理の「夏日宮(SUMMER PALACE)」は、

天井の高い、格式の高そうな、中華料理店です。

今回の予算の中で、かなり多いめの予算を占めています。

というのは、この「夏日宮(SUMMER PALACE)」で、

同級生の長野さん夫妻を迎えて、懇親会の円卓を囲みます。

長野さん夫妻は、日本の企業を退職した後、

クアラルンプールでのロングステイを選んで、こちらのマンションで生活をしています。

 

ひとつのテーブルで話せば、全員参加の会話ができるのですが、

15名の参加者なので、円卓テーブルは2つに分かれました。

夏日宮(SUMMER PALACE)のメニューには、

コースの御料理1品1品の料理名が書いてありました。

この中から、予算を睨みながら、今回の旅行のお世話をしてくれている幹事が、

一品ずつ選んで、皆さんで頂くことになります。

北京ダックが出てきました。

タラのグリル蜂蜜ソースがけと白魚のフライと、続きます。

松葉博雄は、長野さん夫妻のお隣の席で、

長野さん夫妻と、クアラルンプールでの生活の一端を、

お聞きすることができました。

3種の蒸しキノコと野菜 鮑ソースを頂きながら、会話は続きます。

こちらでは、マレーシア人の気質があり、

万事鷹揚のようです。細かいことにはこだわりません。

細かい憶測は、あてにできません。

細かい注文は実行してもらえません。

細かいことを期待しても、無理のようです。

夏日宮(SUMMER PALACE)のお料理もさることながら、

出費の中で頭を悩ませたのは、ビールとお酒代です。

これが、日本に比べると、とても高い値段です。

なにしろ、ここはイスラムの国で、公式にはアルコールは禁止の場所です。

しかし旅行者には、特別にアルコールが許されます。

その代わり、お値段は高くなります。

ホタテ貝と卵と鶏肉の炒飯が出る頃は、そろそろ食事の終わりの頃です。

席を入れ替わり、松葉博雄は、長野夫妻の席から離れ、

もう一つの席に移動して、長野夫妻の席には他の人が座り、

話が聞けるように交代しました。

デザートは、フレッシュフルーツの盛り合わせです。

これも、果物に恵まれた、マレーシアにしては

、おままごとの様な、フルーツの盛り方でした。

円卓テーブルのすぐそばに、日本でもよく見るネコヤナギが飾られています。

ここで質問です。同席している皆さんに質問です。こ

のネコヤナギは、本物か、偽物かという質問です。

松葉博雄は、このネコヤナギは偽物と判断しました。

しかし、触ってみると本物でした。

 

長野夫妻を囲んで、昔の同級生と、その奥様方との記念撮影です。

長い間、会っていない級友との会食でした。

最初は、見知らない人との会食のようでしたが、

食べながら、飲みながら、ゆっくりと話しているうちに、

少しずつ記憶が繋がってきて、まるで記憶喪失の病状が回復するように、

昔のことを思い出してきました。

明日は、長野さん夫妻のお家を訪問する予定になっています。

2014年3月15日(土)

マレーシアのお天気は変わりやすく、天気予報の予測がつきません。  マレーシアのクアラルンプールから、マラッカまでは、バスで2時間の旅です。  マレーシア旅行記(17)

マレーシア旅行には、お酒の好きな人は、準備が必要です。

準備とは、スーツケースの中に、日本酒、焼酎、泡盛、ウイスキー、

ブランデーなどを詰めておくことです。

昨夜は、中華料理店の夏日宮(SUMMER PALACE)では、

十分な量のアルコール摂取が出来なかったので、

その後はひとつの部屋に集まって、二次会をして、

大いに飲んで話すことが出来ました。

 

今日は16日の日曜日です。マレーシア4日目の朝です。

今日は予定がゆったりとしているので、

モーニングコールは現地時間の7時半、日本時間の8時半にかかってきました。

空はどんよりとしています。スモークかな?と思ったら近くの山火事で、

煙が立ちこめていることが昨日、分かりました。

雨が降って来ました。この時期相当乾燥していたようで、恵みの雨が降っています。

しかし観光には、恵みの雨ではありません。

今日はマラッカ海峡に観光に行くので、

出来れば雨はやんでほしいと思います。

今朝もバイキング朝食です。奥さん同伴なので、

栄養のバランスを考えて、野菜の多いめにお皿に盛りつけてくれました。

中華料理のバイキングは、好きな物が多いので、

選ぶのに困ることはありません。

昨夜の長野さん夫妻もプトラジャヤマリオットホテルに泊まって、

今朝ロビーでお会いしました。長野さんが見せてくれたのは、

現地の日本人向けの新聞、南国新聞です。

この南国新聞には、お買い物、食べ物、遊ぶ所、見る所など、

日本人向けにマレーシア生活を快適に過ごすための、

詳しい情報がたくさん掲載されています。

今朝、今日の観光予定をSUMさんが、話してくれました。ホテルの周りは雨ですが、

亜熱帯性気候は、お天気がすぐ変わります。

すぐ離れた場所とのお天気の違いもあります。

これから行くマラッカ日帰り観光は、バスで片道約2時間かかります。

1時間後ぐらいに、一旦トイレ休憩で停まります。

高速道路をずっと走ります。地図で見ると、上の左側がクアラルンプールで、

マラッカは地図の下の海に面した場所にあります。

途中ずっと雨が降っていました。雨の車窓から、

カメラで外を写しても、窓ガラスは水滴ばかりが写って、

撮りたいような写真にはなりません。

SUMさんの言うように、マレーシアでは天気予報は意味がないのです。

お天気はどんどん変わり、予測がつかないほどの変わり方です。

しばらく移動すると、雨が降っていない地域になりました。ここで小休止です。

屋台のお店は出ていますが、美味しそうな物でも、生ものは買えません。

道路が整備されていて、道路の休憩所も、あちらこちらにあります。

駐車場があると、そこにはトイレと、もうひとつ大切なイスラムの礼拝所があります。

1日に5回も礼拝するので、

ドライブ中に礼拝所に立ち寄って、礼拝する必要があるからです。

少しずつ、雲が途切れてきて、

どうやらマラッカ方面は雨がやみそうです。

クアラルンプールからマラッカまで、約2時間走っても、

日本の過密住宅のような、住宅だらけのような光景は、

高速道路からは見えませんでした。

2014年3月16日(日)

マレーシアで、ニョニャ料理を頂きました。

ニョニャ料理とは、主に中国料理の食材を使って作った料理に、ココナッツミルク、レモングラス、ウコンなどの、東南アジアのスパイスをブレンドしたもので、中国料理とマレー料理が混合したようなものだそうです。  マレーシア旅行記(18)

マラッカに向かう途中です。バスの中から、途中の景色を撮っています。今日は日曜日です。マレーシアでも日曜日は、学校も、仕事もお休みの日です。 マレーシアは数ヶ月、雨も降らず乾燥していました。それで、今日の午前中の雨はとても久しぶりで、二ヶ月ぶりぐらいだそうですが、雨が降れば植物は喜びます。渇いた道路の埃を鎮めてくれます。 郊外に向かうと、新築の住宅がたくさん建てられていて、そのあたりは工事現場の砂埃にまみれています。それが今日の雨で埃が鎮まるのです。 亜熱帯性の気候では、植物の成長は早く、雨さえ降れば、また植物の成長が促されます。 小休止した場所では、清涼飲料水を買って、バスの中で飲みました。コカコーラは、日本では自動販売機で150円ぐらいですが、マレーシアでは100円以下です。 これは、コカコーラのマーケティング政策として、その国の所得水準に合わせた価格設定をしているからです。海外に出てみると、日本のコカコーラの値段が高いことが、よくわかります。 雨がやんで雲が途切れ、日が差してくると、たちまち気温は上昇し、蒸し暑くなってきました。 そろそろ昼食の時間です。マラッカに行く前に、途中中華食堂によって、昼食を頂くことになります。停まった所は四つ角で、そのあたりはアスファルトを敷く道路工事をしていました。 雨も上がって、暑くもなく、とても良い季候です。日本で言うと6月頃でしょうか。雨のおかげで、空気が少し澄んできたので、森林火災による、煤煙予防のマスクはいりません。

SUMさんの案内で、中華食堂に入ります。お店の前に椰子の木があり、椰子の木にいっぱいの種子がついていました。芽が出るかどうか分かりませんが、この椰子の種子を採取して、神戸で発芽させてみます。

マレーシアはいろんな言葉が混ざっています。公用語はマレー語ですが、英語と中国語も広く使われています。お店の看板でも、表記がマレー語だけであったり、英語だけであったり、中国語だけであったりというのが見受けられます。 マレーシアは約500年前の1511年、それまでのマラッカ王朝がポルトガルによって植民地化され、その後、1641年に、今度はポルトガル勢がオランダに攻略され、ポルトガルからオランダの植民地となりました。

1896年、マレー連合州が結成され、マレー半島全域が英国植民地となります。1941年の太平洋戦争時には日本軍が一時占領し、戦争終結後に再びイギリスの支配下になりました。

1963年にマレーシア連邦が成立、やっと他国の支配から独立を果たします。こんなマレーシアの植民地の歴史を、SUMさんからバスの中で聞きました。その理由は、これから行くマラッカに、あの有名な、東インド会社があるからです。 昼食の中華料理も、食べやすい料理でした。料理は、中華料理と、インド料理と、マレーシア料理が混ざり合ったような、一般的な家庭料理でした。 インド料理と分かるのは、カレーを使っているからです。カレーは旅行客用に、やや辛さを控えたカレー味です。 イスラムでは、豚肉を食べないので、代わりに鶏肉がよく出ます。 この食堂でも、ビールを頂きました。今日の昼食は、ニョニャ料理です。 ニョニャ料理とは、主に中国料理の食材を用いて作った料理に、ココナッツミルク、レモングラス、ウコンなどの、東南アジアのスパイスをブレンドしたもので、中国料理とマレー料理が混合した料理のことです。

2014年3月16日(日)

マラッカは、欧州列強に支配された街で、独特の文化を形成した、海峡の古都です。

マラッカの世界文化遺産めぐりの最初は、中国様式のチェン・フー・テン(青雲亭)寺院の参拝からです。   マレーシア旅行記(19)

ニョニャ料理を頂いた後は、世界遺産のマラッカに向かいます。その前にまた、旅行会社のアルバイトで、提携した土産物屋に寄ります。 バスから降りて、土産物屋に入ると、お店の人が待ち構えていて、日本語でこれから一番売りたい商品の説明を始めました。どうやらここでは、薬を売りたいということが分かります。 一般の店で買う機会を作りません。ほとんどが提携先の土産物屋で、土産を買うことになっているので、割高だということが分かっていても、いつまでもなにも買わない訳にもいかず、少し買い物しました。 土産物屋を出て、しばらくすると、世界遺産のマラッカの街に入りました。車を停めて、車から出て、 SUMさんの後について、はぐれないように、ついていきます。 両脇には、観光客目当てのお店が、延々と続いています。一軒一軒覗いてみたいところですが、ガイドのSUMさんは、早足で先に進むので、お店を覗くこともできません。 これから行くところは、チェン・フー・テン(青雲亭)です。この周辺の雰囲気は、チャイナタウンです。 これは、マレーシア最古の中国寺院です。1646年建立の中国南方様式の寺院で、極彩色の装飾と、朱塗りの柱や梁が目を引きます。三国志に登場する、関羽や媽祖が祀られ、参拝者の姿が絶えることはないそうです。 こちらはお祈り用の、ろうそくです。この寺院の建築材料は、全て中国から運んできて建てられたそうです。 植民地支配の時代、中国人の人達に、仏教寺院の建立を許し、併せて儒教、道教などのお寺の建立を許した時、建てられたお寺です。 ひとつのお寺の敷地の中に、あれこれと異なるご本尊様が、並列して祀られています。本殿には観音菩薩が祀られています。中国仏教・儒教・道教が混合するお寺です。 マラッカの歴史は、マラッカ王国から始まり、中国の明との間に、良好な朝貢関係がありました。16世紀初頭にはポルトガル領となり、その後は、オランダ、イギリスの植民地として、支配を受けてきています。 そのため、マラッカの町並みは、アジアと西洋が融合した文化を創っています。2008年7月、マレーシアでは初の、ユネスコ世界文化遺産に登録されています。 様々な神や仏を取り入れている寺院だそうです。一つ一つに線香を供えます。 本堂の周囲を、ぐるっと回ってみました。いろいろな神様仏様をお祀りしています。 仏教のお寺では、お経のゆるやかな曲が流れています。この、阿弥陀仏をたたえるお経のCDが欲しいのですが、お寺の売店ではCDは売っていませんでした。 日本の神社でも、周りにあちらこちらの神社の分詞があります。同じように、ここでも本堂の周りに色々な宗教の分詞が、ぐるりと周りにありました。 やはり、馴染みがあるのは、ブッタと三国志の関羽です。 一人でぐるりと回っていると、グループと離れてしまいそうなので、慌てて皆さんのいる場所に戻りました。 まだまだゆっくり回りたいのですが、ガイドのSUMさんは、急ぎ足です。人数を確認すると、急いでバスの方向に戻ります。 歩きながら見ていると、この地区は東洋でありながら、西洋の支配を受けて、独自の文化が発達した混合文化が感じられます。 一般に、植民地支配を受けると、独立した後は、植民地時代の痕跡を消そうとすることが多いのですが、マレーシアのマラッカでは、その時代を認めて残しておいたので、世界遺産に登録されることになりました。

2014年3月16日(日)

マラッカの東インド会社跡を見て、現代でも収益を日本に還元しないで、本国に送金する外国企業を連想します。

世界文化遺産に登録された、イギリスの植民地時代の文化財を見ました。   マレーシア旅行記(20)

マラッカに来て驚いたのは、日本文化の浸透と、日本文化のコピーです。輪タクにも、お店のシャッターにも、ハローキティーが気ままに利用されています。 派手な輪タクが走っています。 ハローキティの絵が描かれているシャッターです。本物のキティに比べて、目が小さく、リボンが水玉模様で、胴体の部分が大きく、ちょっと怪しいですが、はっきり「HELLO KITTY」と、大書されていました。 椰水、ココナッツジュースの露店です。飲みたいけれど、味わってみたいけれど、旅の途中の生水は、御法度です。 観光客がひときわ多く集まっている場所がありました。この地域は、世界遺産に登録された地域です。 オランダ広場です。赤土の煉瓦の建物が並んでいます。オランダ統治時代の1753年に建造されたキリスト教会がシンボルになっています。 観光案内所もあり、名物のトライショーが集まるマラッカ観光の拠点地です。華やかな輪タクが列を作っています。 こちらの噴水を中心に、教会や時計台、旧総督邸など、オランダ時代の建物が並んでいます。噴水の前にSUMさんは立ち止まり、「あれが東インド会社の本社です。」と、古い建物を指さして、示してくれました。 東インド会社といえば、イギリスが、インドから搾取を続けてきた会社です。現代では、コンタクトレンズの外資企業が、日本で得た収益を、ほとんど日本に還元することなく、本国にドルで送金してしまうビジネスのやりかたを、松葉博雄は、「まるで東インド会社だ」と例えて言うことがあります。 キリスト教会は、1753年に完成した、オランダ建築の代表例とされる木造のプロテスタント教会だそうです。 キリスト教会の隣に建つ旧総督邸は、今はマラッカの歴史博物館となっています。歴史を伝えるような、民族博物館「スタダイス」もあります。 「スタダイス」は、オランダ語で「議事堂・市役所」の意味で、1650年にオランダ総督の公邸として建てられ、現在はマラッカの歴史を伝える博物館になっています。 邸宅の前には、観光客用に、沢山の土産物屋が並んでいます。 ガイドのSUMさんは、時間を気にしながら急いでいます。東インド会社の歴史的な建物を、ゆっくり鑑賞する時間もなく急ぎ、SUMさんについていきます。 少し観光客が少なくなった場所が、これから上る、丘の上にある教会に上る階段です。階段の周りは輪タクが上れないので、階段からは、歩く人だけです。

2014年3月16日(日)

マラッカのセントポールの丘から、マラッカ海峡が一望できます。

マラッカ海峡は、南シナ海とベンガル湾をつなぐ海の交通の要所です。マラッカは、海の関所のような所です。   マレーシア旅行記(21)

長い長い階段を、息も絶えそうに苦しみながら登り切ったところに、セントポールの丘の教会の跡があります。ここからまた引き続き、世界遺産を見学します。 地図で見ると、確かにマラッカ海峡は海の交通の要所です。南シナ海から、インドに繋がるベンガル湾への航路は、このマラッカ海峡を通れば、近道になります。

セントポール教会跡です。セントポールの丘にある、ポルトガル時代に建てられた教会跡です。ここから、マラッカ海峡を見下ろせます。

セント・ポール教会は、1521年にポルトガル軍によって造られた教会で、後にオランダの統治下となってからもそのまま約110年間使われていたそうです。 かつてここには、フランシスコザビエルの遺体が安置されてあったこともあるそうです。 どうやら、この墓石に刻まれているのは、同じキリスト教徒でもプロテスタント派の功績者の方々だそうです。 現地の人が、オウムとカメレオンを肩に乗せて、散歩のような歩行をしています。あの人は、ひょっとすると動物を見せ物にして、観光客からお金を貰う人かもしれません。 外壁と、内側には、当時のポルトガル人の墓石が残っています。 ガイドのSUMさんは、引き続き早足でどんどん先を行ってしまいます。松葉博雄は、せっかくセントポール教会跡に来たのだから、と思い、一つ一つの記念物をカメラにおさめていると、どんどん遅れてしまいます。 改築改修を繰り返して、現在でもその姿を留めている、歴史ある建物でした。 大道芸の絵描きの人が、小さな箱に子猫を3匹寝かせています。これが可愛くて、歩行者の足を止めています。 雲行きが怪しくなってきました。また、今にも大粒の雨が天から降って来そうな雲行きです。 丘の上から、先ほど見た下の方を見ると、たくさんの観光客が見えます。 途中、「あれがマンゴーの木です」と言われた木は、これがマンゴーの木か、と思うほどの大きな木です。ただしこのマンゴーの木には、マンゴーの実は結実しないそうです。 ファモサ要塞史跡(サンチャゴ砦)は、1511年、ポルトガルの総督によって建てられた砦です。 1641年以降は、オランダも利用していましたが、イギリス統治時代には放置されてたのですが、オランダに再建された門は残っています。 マラッカのシンボルでもあり、当時このあたりは、高い塀で囲まれていたようです。 マラッカ海峡から攻め込んでくる外敵の侵入を防ぐため、セントポールの丘の周囲に城壁が築かれていましたが、現在では石造りの門と大砲だけが、残されています。 マラッカを征服したオランダの東インド会社もこの要塞を利用していたそうです。 セントポールの丘から平地に戻ると、やはりお天気が変です。今にも大粒の雨が降ってきそうです。 バナナとは違うような、芭蕉のような、まっすぐ上に延びきった大きな葉っぱが、群れになっています。世界遺産の史跡の中にも、所々には亜熱帯植物が茂って、目を休めてくれます。

2014年3月16日(日)

マレーシア料理は、何が特徴でしょうか?

マレーシア料理は、マレーと、中国、インドの混ざり合った、多国籍料理です。  マレーシア旅行記(22)

マラッカ海峡と、世界文化遺産を見た後は、バスに乗って、マレー料理をいただくレストラン「Dragon Hut Restaurant」に向かいます。空は、お天気がめまぐるしく変わっています。

先ほど、大粒の雨に見舞われて、動きが止まるほどのひどい雨でしたが、木の下に雨宿りをしているうちに、先ほどの雨が、嘘のように変わってきました。

バスに逃げ込んで、何とかずぶ濡れになる前に助かりました。周りは、東南アジア最古の建築と言われる、オランダ統治時代に建てられた教会や、文化的な建物が並んでいました。

しばらく走っていると、また高層住宅の建ち並ぶ市街地に戻ってきました。せっかく、亜熱帯の緑に包まれた国土に生まれながら、コンクリートジャングルのマンションに暮らしている人たちが、気の毒に思います。

少し注意して見れば、道路の脇にも、駐車場にも、亜熱帯植物や、カラフルな花が咲いています。

SUMさんに案内されて、伝統のマレー料理店「Dragon Hut Restaurant」に入りました。開放的なお店で、周りにはガラスで仕切ったような窓は見えません。

食卓からすぐに外が見渡せて、外では、埋め立てをしているような池で、地元の人が釣り糸を垂れています。

京阪神地方にもあったことですが、農業用の溜め池や、昔からあった池は、都市化が進むと、いつの間にか埋め立てられ、そこには高層住宅や、マンションが立ち並んでいます。

今日のマレー料理は、現地の料理と、移民してきた中国やインドの料理が混じり合った、多国籍料理です。

インド風の特徴は、カレーを使って、味を整えていることです。観光客用に、カレーの辛さは、抑えています。

ここでも、ビールは大瓶で、30リンギットです。周りの席も、どんどん埋まってきて、オープンテラスのようなレストランは、大賑わいです。

ハエが飛んでくるので、ハエ退治の用意なのか、天井からは、大きな扇風機がぐるぐると回って、ハエを追い払っています。

焼きめしが出てきました。タイ米のような、細長い、ぱさぱさとした御飯です。

何回転も、テーブルの回転を早くするためなのか、食べる早さよりも早く、料理のお皿が並び、何だか気忙しいような、急かされ方です。

旅に出て、楽しいことは、毎日いただく異国の料理です。中華料理を中心にした今回の旅の料理は、その店その店で、メニューも味付けも変わっています。

心配なのは、格安旅行なので、どこかで帳尻を合わすために、かなり無理な要求を、旅行社が料理店にお願いしているかもしれません。

料理店は、抑えられた予算で、一定の料理を出すためには、目に見えないところで、何らかのコスト削減をしているはずです。

料理をいただいている途中で、お店の周りの写真を撮ろうと、テーブルを離れて、お店の裏側に回って見ました。そこには淡水魚の魚が、水槽の中に入れられ、料理される順番を待っているようです。

あまり見たことの無いような、淡水魚が並んでいます。狭い水槽の中で、不安そうに、こちらを見ています。

ヒゲを生やした、ナマズのような、大きな魚がいました。どの水槽も観賞用の水槽ではないので、料理が決まると、中の魚は捕らえられて、まな板に乗せられます。

よく流行っている店なので、水槽に入る魚の回転は早く、弱っているような魚はいませんでした。

夕食が終わると、今晩泊まる予定のクアラルンプール郊外にある、プトラジャヤ マリオット ホテル(Putrajaya Marriott Hotel)に向かいます。

しばらくバスの中から、クアラルンプールの郊外の景色を見ています。

18時を過ぎて、暑さは感じません。少しずつ夕暮れのようになってきました。今夜はプトラジャヤ泊です。

2014年3月16日(日)

プトラジャヤ マリオット ホテルは、どんなホテルでしょうか?

プトラジャヤ マリオット ホテルは、日本人の利用者が少なく、日本人専用のサービスデスクはありませんでした。 マレーシア旅行記(23)

プトラジャヤ マリオット ホテル(Putrajaya Marriott Hotel)の朝です。 今日は、マレーシアに来て5日目の、帰国の日です。朝7時半に起きて、朝食に行きます。 プトラジャヤ マリオット ホテル(Putrajaya Marriott Hotel)には、たくさんのレストランがあり、クラスによって食べるところが違います。 今日も雨です。部屋を歩くと、一部分で森林火災のにおいがします。 今日の予定はこれから、ロングステイしている長野さんのお宅を訪問することになっています。 出発は9時半になっています。その後、マーケットに行って買い物をして、夕ご飯を食べて、飛行場に行って出国です。飛行機の予定は23時半です。日本の到着は、明日の朝6時半です。 今回泊まっているプトラジャヤ マリオット ホテル(Putrajaya Marriott Hotel)は、格安旅行とは思えないほど立派なホテルです。 もっと、プトラジャヤ マリオット ホテルの周りを探索して、出来たらプールにも入って、ゆっくりとホテルを楽しみたかったのですが、今朝は、チェックアウトです。 長野さん宅を訪問する前に、ホテルの玄関周りだけでも、回って見ました。 広い敷地に、ゆったりとした道路が作られ、朝には現地の人が、道路を掃き清めています。山火事の影響の煙は、霧のように立ちこめて、少し焦げ臭い匂いがします。 プトラジャヤ マリオット ホテルの周りに植えられている椰子の木の一つに、背丈の低い椰子の木があり、椰子の木には、実がついていました。 神戸に帰って、芽が出るかどうかは分かりませんが、道に落ちていた、どんぐりを大きくしたような椰子の実を拾い、ポケットに入れておきました。 ホテルの高層階の方へは、まだ上がっていませんが、あの高層階のラウンジから見れば、遠くのクアラルンプールの市街地が見えるようです。 ゴルフ場が一つ入るかと思えるほど、広いホテルの敷地です。その敷地は、よく整備され、芝生は刈られ、蘇鉄の葉は揃ったように整えられています。 一巡して、また玄関に戻ってきました。玄関の車寄せも、広い車寄せです。 長野さん宅を訪問するメンバーが揃ったので、タクシーで長野さん宅に向かいます。先導は長野さんの車です。 途中、長野さんの車と、タクシーの車が、離れてしまうアクシデントがありました。 何とか合流するために、携帯電話で連絡を取り合って、合流に努めました。運転手さんはもちろんマレーシアの人なので、携帯電話の連絡を伝えるのに、一苦労しました。 合流地点がどこなのか、目標となるビルの名前も分からず、通りの名前も分からず、一時はどうなることかと心配でした。 何とか合流して、運転手さんにお願いして、適当な場所で、トイレ休憩になりました。 選んだ店は、道路脇にある、一般庶民の人の利用する、大衆料理店です。外から、中の様子が丸見えの、東南アジア風の料理店です。 ここでお手洗いを借りて、何かお返しに、料理を注文しなければならないのですが、食後間もないので、料理店で売っている、飲料水を沢山買って、埋め合わせをしました。 料理店の店内は、朝食にしては遅く、昼食にしては早い、中間食の食事をしているお客様で埋まっています。突然やってきて、がやがやしている私達の一行に、目が集まっています。 飲料水は、タクシーの中で分け合って、もちろんタクシーの運転手さんにも差し上げました。 この後は、マレーシアにロングステイしている、長野さんのお宅に訪問します。

2014年3月17日(月)

夫婦でマレーシア ロングステイ 海外のロングステイは、定年退職者の夢のひとつです。

海外のロングステイを成功させるには、夫婦の価値観が共通することが、大切のようです。  マレーシア旅行記(24)

海外にロングステイをしている、長野さんの車に引率されて、長野さんのお宅に着きました。

お宅と言っても、一軒家のような、独立した家ではありません。

守衛室にガードマンが駐在する、集合住宅です。

マレーシアでは、セキュリティの問題もあって、裕福な方を中心に、セキュリティのしっかりした住宅地の敷地が造られていて、その中に集合して、住まいが造られています。

こちらのクアラルンプールの生活は、マンションの借り賃がおよそ8万円です。

そこにプールもあり、テニスコートもあり、駐車場もついていて、車にも乗ることが出来ます。

長野さんのお家に入るのも、最初は入り口に警備員がいて、その後、今度はビルの中に入るのも、暗証番号などのカードが必要な、二重のセキュリティチェック体制になっています。

しかし現実には、盗難事件は起きています。それは、警備会社による内部の犯行があるようです。

お部屋に案内されました。

まず、松葉博雄の奥さんが、長野さんのために、こんなものなら喜んでいただけるのではないかと、皆さんを代表して、食べ物を買ってきました。

長野さんの奥様は、これを見て大変喜んでおられました。

マレーシアは亜熱帯というより、熱帯に近いので、常夏です。

もちろん暖房は要りません。クーラーはあります。

年中夏なので、蚊が部屋に入ってくるため、蚊帳を吊って、蚊帳の中で生活しているようです。

リビングを見せてもらいました。

リビングの正面には、日本のテレビ局の番組が放映されていました。

今日は、北朝鮮の横田めぐみさんの拉致問題の件について、報道されていました。

このような住みやすいところに、ロングステイしたくなるかどうかを考えて見ると、松葉博雄の場合、じっとしているのが嫌なので、どこに行こうかと毎日考えると思います。

ここマレーシアでは、日本のテレビ番組も、ほとんど見ることが出来るそうです。

もちろん今の関心事項は、マレーシア航空機の行方不明事件についてです。

NHKの番組でも、マレーシア航空機について、ニュースが放送されていました。

どんどん捜索範囲が広がっているようです。

しばらく時間を置いて、長野さんの案内で、敷地の周りを案内してもらいました。

ガードされている敷地の中には、日本人向けのベーカリー&洋食店もあります。

お惣菜も売っているそうですから、食事には困りません。お惣菜は、唐揚げ、コロッケ、きんぴらなど、色々あります。

これだけの物があれば、食べ物には困りません。

中にはプールとテニスコートがあり、管理費を払っていれば、自由に使えるということです。

海外から来ている人たちが、単純な仕事を請け負っています、庭のお掃除です。

お昼ご飯は、この敷地の中の、中華料理のお店で、昼食をいただくことになります。

売店があるので、中に入ってみます。

売店の中には、日本人向けの、醤油、味噌、あるいは、おかきなど、日本食の商品が沢山ならんでいます。

まるで、神戸のスーパーマーケットに来たような感じです。

お酒も日本の製品が沢山並んでいます。

どうやらここでは、イスラムの禁酒は強制されていないようです。

あるある、こんなに沢山あります。

野菜もあります。

松葉博雄にとっては、無くてはならない、アサヒスーパードライもありました。

ただし、お値段は高いです。

お店のご主人に、「写真を撮ってもいいですか?」と断って、写真を撮らせてもらいました。

お店のオーナーさんは、何か買ってくれるかな?と期待していたようですが、何も買いませんでした。

でも、愛想良く、色々案内をしてくれて、こんなものもある、あんなものもある、ということが分かりました。

マレーシアのクアラルンプールで、ロングステイをしても和食には困らないことが分かりました。

2014年3月17日(月)

マレーシアでの、海外ロングステイの夢が、実現されている体験談を見てきました。

海外ロングステイするには、周到な準備、十分な調査、長期的見通しなどが大切です。 マレーシア旅行記(25)

マレーシアのクアラルンプール郊外の、長野さんの住んでいる集合住宅の中にある、中華料理店に行きます。

これが一つの集合住宅だろうか?と思うほど広い敷地の中に、沢山のアパートが建っています。

このアパートが投資目的で買われて、そして賃貸に出されているところが多いそうです。

今、中国の余ったお金が、こんなマンションあるいはアパートへの投資に向かっているようです。

これがいつか、バブルが弾けたら、大変なことになります。

食堂に来てお料理を注文します。奥さんは、堅い揚げそばの八宝菜あんかけです。

松葉博雄は天津麺です。

皆さんの注文した料理を見ていると、神戸でお昼に三宮で食べる、中華料理店のメニューとほとんど変わりません。

マレーシアに来たことを、忘れる位の感覚です。

沢山の住宅があって、中にはまだ借り手のない部屋もあるようです。

中国から余ったお金が、マレーシアに沢山来ているようです。

不動産価格は、年々上昇しています。

常夏の住みやすい国で、ロングステイするには、暑さが気にならない人には向いています。常夏のマレーシアには、花と緑が溢れ、敷地の中に咲いている花も綺麗です。

とてもゆったりした生活で、何か刺激には、物足りない感じがします。

長野さんのお宅や、敷地を、色々見せてもらいました。

長野さん夫妻のお話では、海外ロングステイするためには、周到な準備、十分な調査、長期的見通しなどが大切なようです。

色々お話を聞かせてもらって、勉強になりました。

ではこれで失礼します。

周りの環境は、高級住宅街で、ホテルもありました。

ザ サウジャナ ホテル クアラルンプール (The Saujana Hotel Kuala Lumpur)

160エーカーにも及ぶ青々としたトロピカルガーデンの中に佇むホテルで、上質な雰囲気が自慢の210室の客室を保有しています。

スパ、プール、フィットネスセンター、サウナとスチームルームも完備しています。

もう一度、今朝のホテルに戻って、集合写真を撮りました。

真ん中の徳永弘美さんが、メンバーの中で、一番、海外旅行に、慣れている方でした。

いよいよ本当にこのホテルとお別れです。

ガイドのSUMさんが言うには、ここ最近毎日煙が上がっていたので、一部の学校は、生徒達の健康のため、休校になっていたそうです。

そんなに被害が出るのかと、松葉博雄はびっくりしました。

バスの中から見る景色は、マレーシアのマンションや、住宅の素晴らしい景色です。

これもほとんど、新しい建物ばっかりで、投資目的が中心のようです。

この後の予定は、国家記念碑や独立広場などに立ち寄るそうです。

宝石と民芸品が売っている、お土産屋さん、そしてチョコレートショップにも立ち寄ります。

2014年3月17日(月)

マレーシアのクアラルンプール市街観光です。

マレーシア国王の王宮宮殿と、独立記念碑を、視察しました。 マレーシア旅行記(26)

マレーシアのクアラルンプール市街観光です。

再びSUMさんの誘導でバスに乗って、これから市内の有名な施設を廻ります。

最初は、マレーシアの国王様の宮殿です。

マレーシアの国王は、9人の王様の輪番制で、
 
5年に一回、マレーシア国王が替わっていきます。
 

連邦制なので、9つの国があって、
 
その国の王様が、マレーシア全体の王様に、
 
交替でなっているということです。
 

芝生が綺麗です。

宮殿も、白亜の宮殿で、絵はがきのようです。

しかし、宮殿のお庭や、宮殿の建物の中には入れません。

外から見る景色は、芝生が綺麗に刈られて、ゴルフ場のような美しさです。

マレーシアと日本の関係は、wikipediaによると、

「日本とマレーシアの関係の歴史で最も古いものは15世紀のマラッカ王国と琉球王国間の関係である。

これは大日本帝国の台頭とその後のイギリス領マラヤへの侵攻と占領の20世紀に至るまで良好な。

日本はマレーシアの首都クアラルンプールに大使館を設置し、

マレーシアは日本の東京都渋谷区に大使館を設置した。

現在の日本の駐マレーシア特命全権大使は中村滋であり、

マレーシアの駐日大使はシャハルディン・モハメド・ソムである。」と、記載されています。

マレーシアの国章が、宮殿の門に飾られています。

マレーシアの国章は、3つの時代で変遷しています。

1.英領マラヤとマラヤ連合時代(1895年~)、

2.マラヤ連邦時代(1948年~)、

3.マレーシア成立後から現在まで(1963年~)です。

この紋章は、現在のマレーシアの国章です。

王様の宮殿ですが、それほど荘厳さというか、

威厳は感じられません。気候の良さも相俟って、

王宮の周辺には、のんびりしたムードが漂います。

衛兵も見あたりませんでした。王様が宮殿の中にいるときは、

宮殿のどこかに国旗があがるらしいのですが、

見たところ上がっている様子がありません。

どうやら、外出中のようです。普段は衛兵もいるらしいですが

、留守のためなのか、関係者らしき人影は特に見あたりませんでした。 次に、クアラルンプー

ルの中心地にある、国家記念碑を見に行きます。

この公園は、レイク・ガーデンといって、

人造湖のペルダナ湖を中心に広がる、

約92ヘクタールの緑豊かな公園です。

目の前に慰霊塔、その奥に、イスラム教のモスクの屋根のような建物が見えます。

国家記念碑は、もう少し先です。

ここにもマレーシアの紋章がありました。

日本の日の丸に比べて、大分カラフルで、色々な要素が詰まっています。

頭上から照りつける太陽の明かりと熱は、

日本の真夏並みの暑さです。このぐらいの暑さだったら、

水遊びをしたくなるような暑さです。

向こうに見えるのは、慰霊塔です。
塔の前面に「TO OUR GLORIOUS DEAD」と記されています。
 
その下に、「1914-1918、1939-1945、1948-1960」と、
 
3つの時代の年号が刻まれています。
 

マレーシアは1世紀半以上、イギリスの植民地支配下にありましたが、

太平洋戦争以降から1963年のマレーシア成立まで、

苦難の道を経て独立に至りました。

国家記念碑です。戦争で亡くなった人を慰霊する像のようです。

作者は、フェリック・デ・ウェルドンです。

駆け足です。マレーシアの国家記念碑を見た後は、次の場所に移ります。

SUMさんについて、階段を降りていきます。

国家記念碑の像には、マレーシア国旗を掲げています。

あの星条旗に似た、マレーシア国旗は、どんな意味があるのでしょうか?

調べてみると、カントン部の図柄はイスラム教の象徴である月と星を、

赤と白の線はマレーシアの13の州と、

首都のクアラルンプールを表しているそうです。

2014年3月17日(月)

マレーシアで通貨リンギットを使い切らないと、日本では使えません。

マレーシアリンギットを使い切る機会が、残り少なくなってきました。 マレーシア旅行記(27)

独立記念公園を出て、SUMさんが車を回してくれる所にみんな集まってきます。

この後も、市内をぐるぐる回ります。

最初に、ムルデカ スクエア (独立広場) Merdeka Square, Kuala Lumpurへ行きます。

アーチに「SELAMAT DATANG」と書かれています。

マレー語で、「ようこそ」という意味です。

MUZIUM TEKSTIL NEGARA(ナショナル・テキスタイル・ミュージアム)です。

縞々の洋服の生地のような、おしゃれな柄の外壁です。

スルタン・アブドゥル・サマド・ビル(旧連邦事務局ビル) Sultan Abdul Samad Buildingです。

1894年に、イギリス人建築家A.C.Normanの設計によって建てられた、

ムーア様式のレンガ造りのビルです。

全長約137mもある巨大な建物で、中央にある時計塔の高さは40m。
 
クアラルンプールの象徴のひとつとして親しまれています。
 

現在は最高裁判所として使用されているため、

内部の見学は出来ないそうです。

イスラムの法律では、窃盗罪は手首を切られるそうですが、本当でしょうか?

調べてみると、イスラム国家では、現在でも身体刑があるようです。

窃盗の罪を犯した場合は手首切断刑、

飲酒は鞭打刑となっているところもあるようです。

またまた、旅行会社の提携先が経営する、宝石店に来ました。

一般のお店に行かせてもらえません。

現地の店員さんが、自分の身に着けて、アピールするように、

商品について説明しています。結局、貴金属の購入をした人は、

私達のグループには、誰もいませんでした。

ペトロナスツインタワーです。

クアラルンプールの中心にある、

KLCC公園(Kuala Lumpur City Centre)の端にあるタワーです。

高さ452mの88階建てで、

マレーシアの国立石油会社ペトロナスによって建築されたそうです。

近くまでは行きませんでしたが、このぐらいの距離から見るのが、

写真にも全長がうまく収まって、全体像がよく見えます。

街路樹には、プルメリアの花が咲いています。

あのプルメリアの花の香りを、近くに行って匂いたいものです。

次に、民芸品店に来ています。

日本の絞り染めのようでいて、

描かれているモチーフは、いかにもな南国の魚たちです。

ここでは美しいと思う布地や、バティックも、

日本で着られるかと自問自答すれば、なかなか難しそうです。

マレーシアの特産品に、錫があります。錫で作られた、

錫製品が、店内に沢山並んでいます。これは、買って帰るにはかさばり、重さもあるので、

見るだけでパスです。

動物の胴体を思わせるようなポットです。

ぐい呑み一個だと78リンギット、セットだと888リンギットです。

松葉博雄の奥さんに、陳列している服について、夏用の部屋着としてどうですか?と、

水を向けると、即座に却下です。

とても神戸では着られる柄ではありません。

珍しいものを見つけました。

干支やら、方位やら、なんやらかんやら組み合わせて、

占いに使うような、不思議な羅針盤のようなものです。

奥の別棟の、バティックの染色工場には、絵付けをする作業場がありました。

とても興味のある絵柄があり、買いたいと思って値札を見ると、

とっても高い値段で、見合わせました。

グループの皆さんは、ここがリンギット通貨の使いどころと思って、

残った通貨のリンギットで、買えるマレーシア土産を探しています。

この土産店で探したのは、マレーシアミュージックのCDです。

いかにもゆっくりとした、トロピカルな雰囲気のマレーシア音楽を探したのですが、

残念ながら見つかりませんでした。

2014年3月17日(月)

マレーシア旅行記の最終編です。マレーシア旅行の終わりは、ニシキヘビと、白蛇が、見送ってくれました。

マレーシア旅行は楽しい旅でした。幹事役の徳永弘美さんと、宮崎さんのお陰で、美味しい食事、美しい景色、オランウータンとの出会い、列車の旅、近代的なクアラルンプールの街並みなど、良い思い出が残りました。 マレーシア旅行記(28)

マレーシアでの現地旅行会社の、お土産店連れ回し活動は続きます。

次はチョコレート店です。

連れていかれた店は、ココアを使ったチョコレートの製造販売店です。

他のお客さんも、同じようにバスで連れて来られています。

販売だけの小売店ではなく、製造過程まで紹介している、チョコレート店でした。

コーヒーも扱っているようで、店内にはコーヒーの香りと、

ココアで作ったチョコレートの甘い匂いが、混じり合っています。

帰国に備えて、お土産品を購入する段階なので、

沢山のチョコレートを注文している人がいます。

SUMさんの旅行会社も、こことは別に提携先のチョコレート会社があり、

バスの中で既に沢山の成約を得ています。

甘いものに全く興味のない松葉博雄にとってみると、何とも暇な時間です。

日本の国内なら、観光地に行くと、なんとかまんじゅうが並んでいます。

旅行に行くと、安直な土産物として、おまんじゅうを買って帰る人も多くいます。

海外になると、海外土産には、お饅頭の代わりにチョコレートが登場します。

有名なのは、ハワイのチョコレート土産です。

グアム島でも、チョコレート土産があります。

日本人は、国内では饅頭、海外ではチョコレートという、

一つの不文律が出来たのでしょうか?

チョコレート店の後は、夕食です。

マレーシア出国前の最後の夕食は、チリクラブ付海鮮料理店での海鮮料理です。

バスが着いたところは、もともと誰かのお屋敷の跡のような、門扉のあるお店です。

バスからお店まで僅かな距離ですが、

外はスコールの雨で、濡れないように大急ぎで海鮮料理店に入りました。

味噌で炒めたような、蟹が出てきました。

これが今日の海鮮料理のメインディッシュです。

手に味噌が付くのを気にしながら、

いただいてみると、とても美味しいことに驚きます。

松葉博雄とその同行者のグループは、入り口に一番近い場所に座って、

海鮮料理をいただいています。

これがマレーシアの最後の食事かと思うと、何だか寂しくなります。

ビールの大瓶を飲みながら、海鮮料理を食べながら、大きな食堂で、

一緒に食べている人たちの行動を見ていると、皆さん蟹に夢中になっています。

ドリアンです。ドリアンは、採れたてだと臭くないそうですが、

臭くない時に食べても結局は身体の中で消化している途中で臭くなり、

息や排泄物が臭くなる、というのを先日テレビで放映していました。

海鮮料理店のお店の敷地の中に囲いがあって、囲いの中には大きな蛇がいました。

更に、お金が貯まるという迷信のある、白蛇もいました。

こんな蛇なら、鶏ぐらいなら飲み込みそうです。

マレーシア旅行では、南国の果物を食べれるということを期待していましたが、

結果は果物を買う機会もなく、果物の王様といわれる、

ドリアンも見るだけに終わりました。

海鮮料理の後は、SUMさんに案内されて、バスで空港に直行です。

ここがリンギットを使い切る、最後の買い物場所です。

何か少額で買えるものはないか、空港の施設の中で探して見ても、ありません。

SUMさんに送ってもらって、一般見送り人が入れない所まで進みます。

マレーシアでは、蛸を食べるのでしょうか?

蛸が鉢巻きをして、何かを訴えています。

マレーシア航空便が出発するまで、6時間ほども、空港の施設内で時間を待ちます。

せめてビールでもと思って、軽食のお店に行っても、ここは禁酒の国、マレーシアです。

何とか6時間ほど時間を潰して、日本時間の夜中の12時を過ぎた頃、搭乗出来ました。

飛行機の中で迎える6日目の朝です。関西国際空港に到着しました。

約7時間半かけて、マレーシアから日本に帰ってきました。

関西国際空港に着陸して、手荷物検査を受けて、税関を通ると、すぐに神戸に戻ります。

これから三宮に向かい、そのまま会社で仕事に戻ります。

マレーシア旅行記は、これで終わりです。

振り返ってみると、格安旅行なのに、あちらこちらへ連れて行ってもらい、

美味しい食事をいただき、楽しい、満足できた旅行になりました。

ありがとうございました。

2014年3月17日(月)