苦行を続けた仏陀は、苦行では悟りは得られないと、一杯の乳がゆを頂き、12月8日の悟りへと繋がりました。
毎日食欲があれば、その有り難さは分かりません。眠れない日、食欲のない日、無気力な日が続けば、食欲がある有り難さを感じます。
友人が大きな病気を患いました。手術のために入院して、手術が終わり、経過を見ていた時に、やはり心理的に、かなりの苦渋があったそうです。
不安は夜やってきます。電気を消して、ベッドで眠くなるのを待っていても、眠ろうと思えば思うほど、逆に頭はさえて、目はさえて、眠れないそうです。
不眠が続くと、食欲が落ちてきます。これまでになかったような、食欲不振です。これでは、体力も低下して、ますます気持ちは萎えてきます。
それでも食欲は湧かず、何かしたいと思う積極性も消えて、ただただ不安でじっと考え込んでしまったそうです。
あるとき転機が訪れました。それは、ほんの僅かな食欲が湧いたことです。無性に食べたいものが頭の中に現れて、それを食べると、これまでのじっとしていた状態から、何かをしようという気持ちに変わったそうです。
このような闘病の話を聞くと、朝から何か食べたいという気持ちが湧くことは、とても有り難い事です。
仏陀は悟りを得ようとして、多くの苦行を経験しました。皮膚も破け、血管は浮き出て、骨と皮のやせ細った姿になってしまいました。
このとき仏陀は、これ以上苦行を続けても、正しい悟りは得られないと考えを変え、修行の山を下り、尼連禅河(にれんぜんが)で沐浴し、村娘スジャータの乳がゆの施しを受けました。
一杯の乳がゆは、これまで食を絶っていた仏陀の体に、新たな精気をもたらし、仏陀は黙想に入り、12月8日の明星が出る頃、星を見て、一瞬に悟りを開いたと言われています。
松葉博雄は、眠れない夜もあります。食欲のない日もあります。それが続けば、積極性が消えてきます。転機となるのは、やはり、食べたいという気持ちが湧いたときです。
食欲があるということは、当たり前のようで、食欲がない時と比べると、有り難い事です。
仏陀が悟りを得たときのように、食べられない、食べない、といった状況が長く続くと、正しい悟りは得られないようです。
松葉博雄は、今朝もご飯の上に補助食品として、ちりめんや花かつおふりかけをかけて、自分で漬けた野沢菜を広げて、ご飯を巻いて、朝ご飯の美味しさをかみしめて、これから出社です。
2013年11月25日(月)