洲本城には、日本三大化狸の芝右衛門狸が住んでいました。

洲本城の芝右衛門狸は、妻のお増と一緒に華の浪花に行き、お増は、侍に斬られてしまいました。淡路島(5)

洲本城の芝右衛門狸は、今でも洲本市民に芝右衛門と呼ばれて、愛されています。

 ≫2012年10月4日

洲本城は、城下の洲本の町から見ると、空を貫くように三熊山にそびえ立つ天守閣が見事です。天守閣に近づいて見ると、天守閣の石垣部分は、現代でいう駐車場のような空間になっています。

天守閣がある広場には御茶屋さんがありますが、今の時分客足が少ないのです。松葉博雄と奥さんが御茶屋さんの前を通ると、突然ガラス扉が開いて、「中に入って暖まっていきませんか?」と、勧誘の声がかかりました。

芝右衛門狸の話がありました。芝右衛門狸とは、兵庫県淡路島に伝わる化け狸です。これは、佐渡島の団三郎狸と、香川県の屋島の禿狸と並び、日本三名狸に数えられているそうです。淡路島の狸が日本三名狸とは驚きです。

お城から見ると、洲本三万石の城下町がジオラマのように見えます。

洲本の町は海に面しています。松原が続く海岸は大浜公園です。確かこの近くには、アレックスホテルがあり、大阪府立大学大学院の卒業旅行に、皆と一緒に来ました。

洲本城の天守閣は現在修理中で、中には入れませんでした。しかし、この高さから城下を見ると、海有り、山有り、街有りで、素晴らしいパノラマです。

以前厳島神社に行ったときに、庚午事変の事が書かれてあり、そこに、淡路のこの洲本城の事も書かれていました。

庚午事変とは、元々淡路島は徳島藩の領地だったのにお家騒動があり、現在は兵庫県に編入されたきっかけとなる事件のことです。

稲田騒動(いなだそうどう)とも呼ばれる事件です。根底には徳島藩の家祖 蜂須賀小六とその盟友稲田家とは、元々対等な関係だったのですが、幕藩体制になると主従関係になってしまい、その鬱積が幕末まで続いていたようです。

今の時代でいえば、一緒に会社を作った創業者達が、段々と経営者と社員に立場が変わり、社員に転落した側が、創業当時の対等な関係を夢見て、社内クーデターを起こしたようなものです。

しかし、時代は明治維新の1868年以降のことで、明治の新政府から見ると、とんでもない時代錯誤で、この結果、淡路島は徳島県から兵庫県になってしまいました。

徳島藩のお家騒動の、喧嘩両成敗の結果を反省してみると、むやみに武力を伴う喧嘩はするものではないなあと思います。

幕藩体制の時代には、淡路島は徳島藩の領内であり、支藩だったので淡路島全体は、徳島藩に向いていました。この洲本城も、徳島藩と連携できるようなポジショニングで建てられています。

春の桜見物が楽しみです。

2013年2月7日(木)