行ってみました神戸港 平清盛が愛した神戸: 早駒運輸が今年限定の歴史クルーズ&ウォークです。
行ってみました神戸港 : 歴史クルーズ&ウォーク 平清盛が愛した神戸(1)
行ってみました神戸港
友人の宮崎弘君がガイドを務める、神戸港の平清盛の史跡巡りです。
船に乗って、兵庫運河を橋桁すれすれのきわどいクルージングです。
友達から、今働いている船会社の早駒運輸が催ししている、歴史クルーズ&ウォークで「清盛が愛した神戸」の
クルージングのお誘いがありました。
12月に入り、クルージングは寒そうで、清盛関連のウォーキングはさらに寒そうなので、
防寒服を着込んで、奥さんと一緒に船に乗りました。
このポートタワーやオリエンタルホテルの景色を見ると、夏の花火大会に船から見た時のことを思い出します。
今から乗る早齣運輸の船は、船が通過する橋桁に船の頭があたらないように、
天井の高さがうんと低く設計されています
。
NHKの大河ドラマ「平清盛」は2012年12月で終了します。
この清盛の歴史クルーズ企画も、番組終了と共に来年の1月で終わるそうです。
企画が終わる前に、友人がガイドをしている晴れ姿を応援に来て、彼の説明を聞かせてもらいました。
中突堤中央ターミナル「かもめりあ」前から船は出ます。
クルージングには、波の揺れが船酔いを起こしますが、今日の平穏な波なら、船の揺れの心配はありません。
モザイクやポートタワー、オリエンタルホテルを横に見ながら、ゆっくりと兵庫に向かって出航です。
たとえ20分でも、船旅は独特の雰囲気があります。
船に乗るには、飛行機に乗るのと同じように、名前と生年月日を書いて、
まさかの時の為に船会社は氏名を確認しています。
少し沖に出ただけで、すぐ近くに造船所が続きます。
川﨑造船では大きな船を建造中です。
造船所の見学は、海から見るのも壮観ですが、
以前に、倉敷の株式会社サノヤス・ヒシノ明昌 造船の工場見学をした事があります。
造船所は、鉄の箱造りのような、大まかな行程と、内部に張り巡らせる電子通信器機やパイプの配管で、プラモ
デルを作るようなおもしろさがあります。
さらに沖に進むと、PANAMA船籍のROYAL KNIGHTが停泊しています。
ばら積み船のようで、船一杯に荷物を積めば、半分以上は海に沈むぐらいの深さになります。
そこで、良い港は深い水深が求められます。もちろん風向きも大切です。
神戸港の良さは、六甲山が風よけになっています。
建造中の船もいつか仕上がると、名前を付けられ、海に浮かぶ事になります。
船の名前は、ほとんどが女性名詞ですが、日本の場合は、~丸と付けられています。
どうして船は、丸なんでしょう?
調べてみると、平安時代に、私の「麿(まろ)」がなまって「丸(まる)」になったという説と、鎌倉以降、室
町時代には問屋のことを問丸と言い、その問屋が持つ船は、~丸と称されたという説があります。
神戸港から兵庫港は、直ぐ隣です。
清盛クルーズは、清盛が造ったといわれる運河に入っていきます。
これから通過する橋桁がとても低いので、この橋桁に当たらないように、運河に入って行かなければなりませ
ん。今乗っている船が、満ち潮で、天井すれすれになる事があります。
台風で低気圧が起きた場合は水位があがるので、早駒運輸のこの船は、くぐれないこともあったそうです。
2012年12月2日(日)
行ってみました神戸港、歴史クルーズ&ウォーク 平清盛が愛した神戸(2)
行ってみました、平清盛ゆかりの供養塔 お墓だと思ってたら供養塔でした。
早駒運輸のクルージング船は、和田岬の清盛が造った運河をゆっくり船着き場に向かって進んでいます。
低い橋桁をくぐって、船の天井は橋桁すれすれです。
もし接触すれば、船の屋根がガリガリっと音を立てて、天井はめくれてしまいます。
ある会社の船着き場を借りて、クルージングの船着き場にしています。
ここには早駒運輸の別の人が待機して出迎えてくれます。
早駒運輸といえば、その駒がつい連想させるのが、藤原定家が詠んだ
「駒とめて袖打ち払う影もなし 佐野のあたりの雪の夕暮れ」の句です。
船着き場から工場を通り抜けて大通りに着きました。大通りは、兵庫区の市場に通じる大通りです。
ここには大輪田橋があります。
この大輪田橋は、第二次世界大戦の時に戦火をあびて、今でも焼夷弾の焼け跡が残っています。
これから清盛公に関する場所に行きます。
最初は、清盛塚・十三重の塔です。
大輪田橋のたもとにある十三重の石塔は、兵庫県重要文化財に指定されています。
1286年に建てられた清盛の供養塔で、この塚は明治・大正の頃まで清盛の墓だと言われていましたが、大正12年
の市電道路拡張で、南西11mより移設されました。
その時の調査で、遺骨が発見されず、墓ではなくて、供養塔だと分かったそうです。
今では兵庫県の重要文化財となっています。次は真光寺です。
真光寺は鎌倉浄土系・時宗の開祖「一遍上人」のお墓があります。
本山は藤沢市の遊行寺で、時宗の有力なお墓です。
清盛が安芸の国・厳島神社より勧請分けでもらっていた七弁財天の1つ「真野弁財天」が観音堂に祀られていまし
たが、戦災で焼失し、今は代わりの弁天様が祀られています。
この後NHKの大河ドラマが放映されている期間だけ開催されている、清盛祭をやっている場所にいきます。
お寺の中では、なんと、クリスマスソングを演奏しています。
演奏する人たちも、「お寺でははばかられるんですが、クリスマスソングを演奏します」と言っています。
確かにはばかられます。もしこれがイスラム原理主義の祭典の場所で、他の宗教のお祭りをしたら大変な事にな
ります。そう思えば、仏教は懐が広いのでしょうか?
昔のお墓を集めて、ピラミッド型に積み重ねている場所があります。
お寺の和尚さんは忙しそうにあちこちを歩き廻ってました。
一遍上人のお墓の一隅には、仏陀の石像がありました。
五輪塔は、上から5つ目の四角い石が、地面の「地」を表し、その上の丸が水滴の「水」、三角が「火」、
「風」、「空」と表され、仏教の教えでは、この5つが、この世界を作る最も重要な要素だと言われています。
一遍上人の業績をたたえる石碑が建立されています。
兵庫区は、一遍上人の影響が強く残って、今でも時宗のお寺が多いようです。
兵庫大仏がある能福時に着きました。
能福時は天台宗のお寺で、平安時代初期の遣唐使 最澄が805年に唐から帰国して、ここ大輪田の泊に上陸し、こ
の地で初めて民に仏教を説き、天台宗の寺を創建したと言われています。
また、清盛が出家剃髪したお寺だとも言われているそうです。真相は定かではありません。
現在の大仏は、最初の大仏建立から100年目に当たる平成3年に再建された物です。
身丈11m、重量60t、地上からの高さ18m。奈良・鎌倉と合わせて「日本三大大仏」と地元では言われているそ
うです。
お寺に行くと、どこでも蘇鉄があるのが、共通のようです。
清盛くんと名付けられている像があります。
大河ドラマの計画もない平成17年に、地元の方々が町おこしの一つとして作ったそうです。
神戸には清盛像が5.5体あります。
清盛塚、博物館に2つ、清盛の屋敷のあった平野・祇園、そしてこの清盛くんが半人前の0.5だそうです。
童謡に、「カモメの水兵さん」という歌があります。
♪かもめの水兵さん 並んだ水兵さん
白い帽子 白いシャツ 白い服♪
♪波にチャップチャップ 浮かんでる
この歌とそっくりのカモメが一列に並んで出迎えてくれました。
まるで宝塚のレビューのようです。
ガイドさんの説明では、このように、カモメが一列に並んで出迎えてくれることはないそうです。
今日は特別な日です。
2012年12月2日(日)
行ってみました神戸港:歴史クルーズ&ウォーク 平清盛が愛した神戸に行ってみました (3)
行ってみました神戸港:藤原兼実役 相島 一之 氏と、平宗盛 役 石黒 英雄 氏の華麗な踊りを見に行ってみまし
た。次は歴史館に行ってみました。
歴史館では、清盛が生きた平安時代の暮らしや、神戸の港の歴史が学べます。
また、「KOBE de 清盛2012」のオフィシャルグッズや、特産品も買う事ができます。
平成の清盛隊が踊りで迎えてくれます。皆さんイケメンです。
藤原兼実役 相島 一之 氏と、平宗盛 役 石黒 英雄 氏もいるようです。
平家の没落の原因は、平氏が侍なのに貴族化した事が没落の原因だといわれています。
本来軍事政権である武士の政治が、貴族化して眉毛を剃って、和歌に馴染み、あるいは香水をつけ、貴族的行動
に励んでくると、武芸がおろそかになって、源氏との戦いには源氏に負けてしまいました。
これが平家没落のストーリーですが、それを表すかのように、着飾った若い武者に扮した平成の武者が踊りを見
せてくれました。
次は兵庫のお城の跡です。
ここに兵庫のお城の跡があったとは驚きです。
兵庫県の初代知事は伊藤博文です。
伊藤博文は初物食いといわれ、初代の重要な役に、たくさん就任しています。
一巡り1.8㎞を歩いたので、ツアーは終わります。
途中、少しだけ雨が降ってきましたが、それも短時間で、服が濡れるほどでもなく、無事平清盛ウォーキングは
終わりです。
横に見える薬師堂は遣唐使が唐から日本に帰ってきたとき、大輪田の泊まりに入港し、ここで病を治した事から
ここに薬師堂が建てられたそうです。
もう一度低い橋桁を通って、神戸港に戻って来ます。
神戸港にもどります。さっき見た、船と造船所です。
今日は日曜日なので工場で働く人はいません。
クレーンも警報機も動いていません。静かな工場です。
今2隻の海上自衛隊の潜水艦が係留されています。
これは1隻700億円するとの事ですから2隻で1400億円です。
ROYAL KNIGHTを前から見ると、ずんぐりとした形ですが、これが荷物を積んで下に沈むと、進むのにとてもバ
ランスがよくなるそうです。
もういちどメリケンパークに戻ってきました。
普段、神戸の商業地の三宮にいると、神戸が港街である事を忘れてしまいますが、神戸のメリケンパークに来れ
ば、神戸が港街である事は、思い出されます。
外国から神戸港に船が入ってくると、特に待ち望んでいるのは、神戸の水を給水する事です。
神戸ウォーターといわれ、神戸の水は、世界的にも高いレベルの飲料水として有名です。
友達の宮﨑くんのガイドは、とてもよかったです。NHKの大河ドラマが終わると、この平清盛ツアーも終了する
とのことで、とっても残念ですが、彼は、次のガイド役として、加古川検定を受けるそうです。
上陸して、宮﨑君を励ます為に、今日の歴史クルーズ&ウォークに参加した人たちで記念撮影です。
女性の参加は、松葉博雄の奥さん一人です。
どなたも奥さんが大事なのか、床の間に飾っているのか、外に連れ出さないようです。
さっき乗った早駒運輸のクルージング船です。
ここで思い出すのは、大阪市の天神祭で、こんな天井の低い水上ボートに乗った思い出です。
今日のチケットを見ると、ナンバーは009135です。
3月24日からスタートして、12月2日までに発売されたチケットの通し番号です。
つまり9135名乗ったわけです。
大人一人2,700円、子ども2,000円で、大人が多いので平均単価は2500円とすると、2250万円です。
月平均321万円です。船会社の社会的貢献として、ツアーを運営しているように感じます。
2012年12月2日(日)
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