行ってみました平清盛ツアー:神戸には、平清盛の像は、5.5体あるそうです。
行ってみました、歴史クルーズ&ウォーク 平清盛が愛した神戸(2)
行ってみました、平清盛ゆかりの供養塔 お墓だと思ってたら供養塔でした。
早駒運輸のクルージング船は、和田岬の清盛が造った運河をゆっくり船着き場に向かって進んでいます。低い橋桁をくぐって、船の天井は橋桁すれすれです。もし接触すれば、船の屋根がガリガリっと音を立てて、天井はめくれてしまいます。
ある会社の船着き場を借りて、クルージングの船着き場にしています。ここには早駒運輸の別の人が待機して出迎えてくれます。
早駒運輸といえば、その駒がつい連想させるのが、藤原定家が詠んだ「駒とめて袖打ち払う影もなし 佐野のあたりの雪の夕暮れ」の句です。
船着き場から工場を通り抜けて大通りに着きました。大通りは、兵庫区の市場に通じる大通りです。
ここには大輪田橋があります。この大輪田橋は、第二次世界大戦の時に戦火をあびて、今でも焼夷弾の焼け跡が残っています。
これから清盛公に関する場所に行きます。
最初は、清盛塚・十三重の塔です。大輪田橋のたもとにある十三重の石塔は、兵庫県重要文化財に指定されています。
1286年に建てられた清盛の供養塔で、この塚は明治・大正の頃まで清盛の墓だと言われていましたが、大正12年の市電道路拡張で、南西11mより移設されました。
その時の調査で、遺骨が発見されず、墓ではなくて、供養塔だと分かったそうです。今では兵庫県の重要文化財となっています。
次は真光寺です。真光寺は鎌倉浄土系・時宗の開祖「一遍上人」のお墓があります。本山は藤沢市の遊行寺で、時宗の有力なお墓です。
清盛が安芸の国・厳島神社より勧請分けでもらっていた七弁財天の1つ「真野弁財天」が観音堂に祀られていましたが、戦災で焼失し、今は代わりの弁天様が祀られています。
この後NHKの大河ドラマが放映されている期間だけ開催されている、清盛祭をやっている場所にいきます。
お寺の中では、なんと、クリスマスソングを演奏しています。演奏する人たちも、「お寺でははばかられるんですが、クリスマスソングを演奏します」と言っています。
確かにはばかられます。もしこれがイスラム原理主義の祭典の場所で、他の宗教のお祭りをしたら大変な事になります。そう思えば、仏教は懐が広いのでしょうか?
昔のお墓を集めて、ピラミッド型に積み重ねている場所があります。
お寺の和尚さんは忙しそうにあちこちを歩き廻ってました。
一遍上人のお墓の一隅には、仏陀の石像がありました。
五輪塔は、上から5つ目の四角い石が、地面の「地」を表し、その上の丸が水滴の「水」、三角が「火」、「風」、「空」と表され、仏教の教えでは、この5つが、この世界を作る最も重要な要素だと言われています。
一遍上人の業績をたたえる石碑が建立されています。兵庫区は、一遍上人の影響が強く残って、今でも時宗のお寺が多いようです。
兵庫大仏がある能福時に着きました。能福時は天台宗のお寺で、平安時代初期の遣唐使 最澄が805年に唐から帰国して、ここ大輪田の泊に上陸し、この地で初めて民に仏教を説き、天台宗の寺を創建したと言われています。
また、清盛が出家剃髪したお寺だとも言われているそうです。真相は定かではありません。
現在の大仏は、最初の大仏建立から100年目に当たる平成3年に再建された物です。身丈11m、重量60t、地上からの高さ18m。奈良・鎌倉と合わせて「日本三大大仏」と地元では言われているそうです。
お寺に行くと、どこでも蘇鉄があるのが、共通のようです。
清盛くんと名付けられている像があります。大河ドラマの計画もない平成17年に、地元の方々が町おこしの一つとして作ったそうです。
神戸には清盛像が5.5体あります。清盛塚、博物館に2つ、清盛の屋敷のあった平野・祇園、そしてこの清盛くんが半人前の0.5だそうです。
童謡に、「カモメの水兵さん」という歌があります。
♪かもめの水兵さん 並んだ水兵さん
白い帽子 白いシャツ 白い服♪
♪波にチャップチャップ 浮かんでる
この歌とそっくりのカモメが一列に並んで出迎えてくれました。まるで宝塚のレビューのようです。ガイドさんの説明では、このように、カモメが一列に並んで出迎えてくれることはないそうです。今日は特別な日です。
2012年12月2日(日)