古代のお酒の作り方は、若い女性がお米を噛んで唾液で発酵させる作り方です。
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古代のお酒の作り方は、お米を噛んで吐き出し、発酵させる作り方です。
- 口嚼ノ酒
一つは『大隅国風土記』逸文(713年(和銅6年)以降)である。
大隅国(今の鹿児島県東部)では村中の男女が水と米を用意して
生米を噛んでは容器に吐き戻し、
一晩以上の時間をおいて酒の香りがし始めたら全員で飲む風習があり、
「口嚼(くちかみ)ノ酒」と称していたという。
口噛み酒は唾液中の澱粉分解酵素であるアミラーゼ、ジアスターゼを利用し、
空気中の野生酵母で発酵させる原始的な醸造法であり、
現代日本語でも酒を醸造することを「醸(かも)す」というが、
その古語である「醸(か)む」と「噛(か)む」が同音であるのは、
この口嚼ノ酒に由来すると言われている[4][5]が、異説もある[4][注釈 1]。
以上 日本酒の歴史 Wikipediaより
今では、一樽で1200㎏のお米を一度にお酒に変えていきます。
酒蔵は醤油蔵と同じ様に、大きな木の樽が並んでいます。
木の樽を逆さまにして入り口を作れば、茶室にでもなりそうな大きな樽です。
清酒を仕込む樽は、現代ではスチール製に代わっていますが、
大きさは木の樽の時代と同じ様に、
一つの樽がお米1200㎏も入るほどの容量です。
お酒作りは、酒米を洗う事からスタートです。
大きな樽に、白米がいっぱい入っています。
このお米は、兵庫県では山田錦が使われています。
洗ったお米は大釜に移され、熱い蒸気で蒸されます。
昔は、釜の下から火を炊いて、茹でたそうですが、
現在では蒸気を使っています。
一つの釜は、安土桃山時代に豊臣秀吉に捕らえられた石川五右衛門が、
子どもと一緒に大釜で、釜ゆでの刑にされたといわれる程の、
大人が何人も入れる、まるでお風呂のような大きい釜です。
酒蔵の昔ながらの清酒の作り方は、割に簡単な仕組みで、
お米を蒸して、麹を加えて、醪を加えて発酵させて、
お米を搾って清酒を造るといった工程でした。
仕込みから清酒を搾るまで、およそ1ヶ月で出来るそうです。
大きな酒蔵の木造の大きな階段を上ると、2階部分は木の床で、
千年一酒造の商品が並べられている販売所になっています。
ここでは時折、コンサートも行っているそうです。
明治8年創業の千年一酒造では、酒に因んだ酒饅頭も販売していました。
2階では試飲が出来ます。松葉博雄は車の運転があるのと、
清酒に強くないので、試飲は代わりに奥さんがさせてもらいました。
酒米を使って清酒を造るときに、精米の度合いによって、
米粒から削られる比率が高くなり、高い比率のお米で作ったお酒は、
等級が一番高いのが、大吟醸と呼ばれています。
大吟醸ともなると、精米比率50%以上になります。
つまり、お米の量はどんどん減ってくる事になります。
子の等級については、「神戸酒心館さかばやし」の記事を参照してください。
この大吟醸は、千年一酒造では、
千代の縁が一升(1.8L)で税込み価格は10,500円です。
これに対して、上撰は1.8Lで1,890円です。
大吟醸と比べると、大きな価格差があります。
案内の方に、「千年一酒造に生まれた方は、
ずっと誰かが暖簾を受け継いでいくのですか?」
と尋ねると、そうです。今の当主は6代目だそうです。
酒蔵の外に出ると、現代に戻ったような気がします。
あの明治初年の頃の酒蔵で働いていたら、
中の世界と外の世界が随分乖離しているように思います。
千年一酒造の前のお家には、秋になっても沢山の朝顔が、
やがて訪れる冬将軍に向かって最後の抵抗をしているように、
秋の終わりを蔓いっぱいに表しています。
2012年10月31日(木)