神戸市立博物館で 神戸の歴史展示室へ 古代から現代までの神戸の物語

投稿No:10040

神戸市立博物館で 神戸の歴史展示室へ 古代から現代までの神戸の物語

神戸市立博物館で

コレクション展を見た後は、

神戸の歴史展示室へやってきました。

神戸の歴史展示室は、1階にあり、

なんとこの展示スペースは、

誰でも無料で見ることが出来ます。

クオリティがとても高く、

これを無料で見ることができるとは

すごいことです。

せっかくなので、

ゆっくりと見て回ることにしました。

古くから様々な交流の舞台となった神戸は、

どんな歴史を刻んできたのでしょうか。

ここの展示室では、

古代から近代までの神戸の歴史を

見て回ることが出来ます。

神戸の歴史は、今から

数千年前の縄文・弥生時代にさかのぼります。

2万年前ごろ、わたしたちの祖先は

動物たちを追いかけて、

六甲山麓の肥沃な大地、

ここ神戸の地にたどりついたと考えられています。

当時、この地域には自然豊かな山々と

瀬戸内海に囲まれた土地が広がり、

豊富な自然の恵みを

享受する生活が営まれていました。

考古学的な発掘調査から、

神戸の各地に、人々が

暮らしていた証拠が見つかっていて、

彼らは狩猟や採集を行いながら、

漁業も営んでいたようです。

特に瀬戸内海という恵まれた海域は、

魚介類の豊富さから、古代の人々にとって

重要な生活の基盤となっていました。

弥生時代になると、

稲作の技術が伝わり、

神戸の地域でも農業が始まったようです。

稲作が広まることで、定住する人々が増え、

集落が形成されていきます。

この時期の神戸は、淡路島や

九州地方との交易が行われており、

海を渡る交通の要所としての重要性が

すでに高まっていたことがうかがえます。

古墳時代に入ると、

神戸には多くの古墳が築かれました。

代表的なものとしては、

須磨区にある「白川台古墳群」や

「月見山古墳」などです。

これらの古墳は、神戸が当時の支配者層に

とっても重要な場所であったことを示しており、

海上交通を通じた影響力を

誇る地域であったと推測されるようです。

さらに、神戸の古代の時代には、

神社の起源となるような

信仰の跡も多く見られます。

山と海に挟まれた地形を背景に、

自然崇拝や神々への祈りが

行われていたことがうかがえます。

例えば、現在の生田神社は、

古くからの信仰の中心地であり、

山の神と海の神を祭り、

人々は自然の恵みに感謝し、

生活の安寧を願っていたのです。

お次は、中世の神戸です。

神戸という街の歴史を語るとき、

忘れてはならないのが中世の時代です。

この時期、神戸は単なる港町から、

神戸は日本と海外をつなぐ

重要な港として大きく発展しました。

その中心となったのが

「大輪田泊(おおわだのとまり)」と、

平安時代末期に活躍した平清盛の存在です。

中世の神戸を語ると、

彼らの足跡が深く刻まれていることに気づきます。

中世の神戸は、

日本と中国を結ぶ貿易の拠点として

非常に重要な位置にありました。

その中心地となった大輪田泊は、

現在の神戸港の前身とも言える場所です。

この地域の発展にとって大きな転機となったのが、

瀬戸内海を利用した海上交通の発達です。

当時、大輪田泊は船が停泊しやすい

自然の地形を持つ港として知られており、

多くの人々や物資が行き交う場所で、

早くから港としての重要性が認識されていました。

中世初期、神戸の地は摂津国に属し、

農業と漁業を中心とする穏やかな

地域社会が広がっていったそうです。

港の発展とともに、

この地域に人が集まるようになり、

神戸は商業の中心地として栄えていきます。

港周辺に発展した市や、

物流を支えた商人たち、船乗りたちの活動によって、

この地は単に交易を行う場所であるだけでなく、

さまざまな物資や文化が交錯する

生き生きとした地域社会へと成長しました。

神戸の中世には、

海上交通の安全を祈るため、

多くの神社が建立されました。

特に、生田神社や湊川神社など、

現在でも知られる神社は

当時から重要な役割を果たしており、

地元の人々や航海者にとっての

精神的な拠り所だったのです。

中世にはこれらの神社を中心に祭礼が行われ、

地域の人々が集まり、

神戸ならではの文化が育まれていきました。

中世の後半になると、

神戸周辺には農村地帯も発展し、

農業を基盤とした生活が広がる一方で、

港町としての神戸は引き続き

商業活動を支え続けました。

瀬戸内海の航路を利用して、

多くの物資がこの地を通過し、

その一部は神戸に滞留して

商人たちの手により取引されました。

こうした商業活動が、

のちの時代の神戸の繁栄の基盤となります。

お次は近代です。

神戸の歴史をたどる中で、近代の時代は

特に大きな転換点となった時期です。

1868年(慶応3年)、神戸は開港都市となり、

この出来事は神戸の発展を

大きく変える契機となりました。

それまでは港町として発展していた神戸ですが、

近代化とともに西洋の影響を受け、

急速に国際的な都市へと変貌していきます。

開港後、神戸には外国人居留地が設けられ、

多くの外国人が住み始めました。

現在の旧居留地エリアには、

当時の洋風建築が今でも数多く残されており、

異国情緒漂う街並みは、

神戸の象徴の一つとなっています。

当時、外国人居留地には

イギリス、アメリカ、フランスなどの商人が

拠点を構え、貿易や文化交流が活発に行われました。

彼らが持ち込んだ新しい文化や技術が、

神戸の街を近代的なものへと押し上げ、

現在の神戸の国際色豊かな雰囲気の

基盤となっているのです。

近代神戸の発展にとって重要だったのが、

鉄道の開通と港の整備です。

1874年に、日本で2番目となる

大阪・神戸間の鉄道が開通し、

神戸は国内外からのアクセスが格段に良くなりました。

この鉄道の開通により、神戸は

物流の要所としてさらに発展し、

多くの人々や物資が行き交うようになりました。

また、神戸港も

近代的な設備に整えられ、

輸出入が盛んに行われる国際貿易港としての

役割を果たすことになりました。

これにより、神戸は

「日本の玄関口」としての地位を確立し、

多くの人々が新たなチャンスを求めて

この地に集まりました。

さらに、神戸の近代化は

文化的な変化ももたらしました。

外国人居留地から始まった西洋文化の影響により、

神戸には新しい生活様式やファッション、

グルメが取り入れられたのです。

パンや洋菓子、ビールなど、

当時の日本ではまだ

珍しかった食文化が神戸で広まり、

それが今でも神戸を代表する名物となっています。

こうした新しい文化が地元の伝統と融合し、

独自の神戸スタイルが生まれていったのです。

また、近代の神戸は

社会基盤の整備も進みました。

神戸市は都市計画を積極的に行い、上

下水道の整備や電気の供給など、

近代都市にふさわしいインフラを整えました。

しかし、近代の神戸は発展だけではなく、

試練もありました。

1923年の関東大震災後、

復興のために多くの人々が神戸に移住し、

急激に人口が増加しましたが、その後1930年代には

世界恐慌の影響で貿易が停滞し、

経済的な打撃を受けました。

神戸の近代は、

開港とともに始まった国際化、

そして新しい文化や技術の流入、

さらに幾度かの困難を

乗り越えながらの発展の時代です。

現在、神戸の街には、

旧居留地の美しい街並みや異人館など、

近代の歴史を感じさせる建物や

風景が数多く残されています。

神戸の歴史展示室見て、

一つの街がどのように形作られ、変化し、

現在に至るのかを実感する貴重な時間となり、

神戸という街への理解が一層深まりました。

古代から近代に至る神戸の歴史を

一堂に見て回ることで、今の神戸の姿が、

長い歴史の積み重ねの上に

成り立っていることが実感できました。

展示室を出ると、

1階には展示室の他に、

本やパソコンが置いてあり、

自由に閲覧することができる、

情報コーナーがありました。

ここではもっと詳しく、

神戸の歴史などについて、知ることが出来ます。

現在開催している展示や所蔵資料、

神戸の歴史を知る上で不可欠な書籍が

厳選されているそうです。

他にも、実際に

体験学習室というコーナーもありました。

ここは、子供たちの学習スペースとして

自由に触れて楽しく学べるツールがあるようです。

銅鐸レプリカを鳴らしてみたり、

竪穴住居の構造を確かめたり、

土器に触れたりすることができるそうです。

このようなコーナーがあれば、

子ども連れでも、楽しむことができます。

今回、久しぶりに、

神戸市立博物館を訪れて、

神戸の街並みや港の

歴史の重みを感じることができ、

改めてこの地に住むことへの誇りと

愛着が深まりました。

とても充実した時間を

過ごすことができました。

神戸の魅力を再発見したので、

この街の歴史に誇りを持って

暮らしていきたいと思います。

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