コンタクトレンズ業界 企業文化調査 各社の社長へのインタビュー
投稿No:10008
調べてわかった 企業文化 分析結果と各社の目指す 企業文化の違い【社長経営学】シリーズ55
調べてわかった企業文化
コンタクト業界の大手企業の従業員に、
自社の組織文化に関して
会社横断的にアンケート調査をしました。
これまで明らかにされていなかった、
各社の企業文化と経営理念の
浸透度がわかってきました。
北居先生と参加企業の経営者に
直接お会いして、サマリー(要約)を伝え、
分析結果と各社の目指す
企業文化との間に違いがあるか、
直接聞き取り調査をする段階へと進みました。
○シード(SEED) 井上忠社長
東京文京区本郷の
シード本社でのインタビューです。
ワンデータイプの使い捨てレンズの
新工場建設に取り掛かる井上社長への
インタビューでは、企業文化と
経営改革の取り組みについて
聞き取りさせていただきました。
シードのオーナーは
ビックカメラの新井隆二氏です。
新井氏は妻が眼科医師であったことから、
経営が行き詰まっていた
東京コンタクトレンズを買収し、
これをシードと名称変更しました。
親会社のビックカメラ成長の原資は、
錬金術のようにシードの
株式公開によって得ていました。
シードの組織文化は
新井氏に依存する経営体質であり、
その影響を強く受けるようでした。
○ジョンソン・エンド・ジョンソン
大瀧守彦社長
ジョンソン・エンド・ジョンソン
(以下J&J)は1991年、
日本で初めて使い捨てレンズの販売を始めました。
J&J日本法人代表の廣瀬光雄氏は、
当時の日本眼科医師会会長の
有沢武先生を仲介として、
わが社に対して取引開始を
申し込んでこられました。
神戸の料亭で会食し、
「今後共宜しく」と言われると
仲介者の手前、
同意せざるを得ませんでした。
所謂トップ外交で、
搦め手から攻める戦法でした。
その時、随員として陪席されていたのが、
後の大瀧守彦社長でした。
かなり強引な
ビジネス手法だったことを覚えています。
廣瀬氏と大瀧氏との関係は
大日本印刷米国法人での、
上司と部下の子弟関係でした。
取引のはじまりがトップ外交で、
その後も大瀧氏とは
頻繁にお会いしていたので、
組織文化の研究とインタビューへの協力に
便宜を図っていただけました。
「我が信条」(Our Credo)に基づく理念経営が、
組織へのコミットメント(関わり、責任)
が強い企業文化の根底にあることが、
インタビューで伝わってきました。
(過去ブログ:社長インタビューはジョンソン・エンド・ジョンソン社の大瀧守彦社長)
ボシュロムの井上隆久社長は、
忙しい時間を割いて、
わざわざ研究のために神戸に来られました。
北居明先生と打ち合わせをしたあとで、
ボシュロムの社長のお話をお聞きします。
お昼時なので、センタープラザの
東天紅でお昼をいただきながら、
お話を聞いています。
このほかにも、経営者へ
自社の開業文化に関するインタビューをつづけました。