インド巡礼 ガンジス河の流れに輪廻転生を願うヒンドゥー教徒、
ガンジス河の流れに輪廻転生を願うヒンドゥー教徒、悠久の大地インドで今日も繰り返す人間の営み 真理を求めて インドに、インドに真理を求めて、インド巡礼に行きたい、こう思ったのも、家庭を築き、仕事に精を出し、人生も順調に歩んでる時、ふと心の中に、「これで良いのかな?何か大事な事を忘れていないかな?成る程と腑に落ちる様な真理を理解できてるのかな?」このように、ふとした疑問がどんどん膨らんできたからです。インド巡礼は、真理を求める巡礼の旅になるはずです。 【その22】
ガンジス河の流れに輪廻転生を願うヒンドゥー教徒 |
昨夜の新年会では、遅くまで酒を飲み、
話しをしたので、眠い目をこすりながら目が覚めると、
今日は1月2日(日曜日)です。
今朝は、インドでは珍しく、
外はしょぼしょぼと降り注ぐ雨模様です。
旅行は、できたら空が晴れている方が、良いです。
インドの旅行では、砂埃がひどく、
軽い雨が降れば、空気は浄化されます。
雨が多くなると、足下がぬかるんで、
十分に舗装されていない地方の観光地だと、
道を選んで歩かなければ、
靴が濡れてしまいそうです。
朝6時より、ガンジス河の沐浴の見学にバスで出発しました。
この時期には珍しい雨です。
早朝のガートにバスが到着し、駐車場からは歩いて、
細い道を、たくさんのインドの人たちとすれ違いながら、
ガートへ向かって進みます。
道行く人は、1月のインドでも寒い時期に、
素足で歩いている人が多くいます。
聖なる河「ガンジス河」の沐浴を目指して、
インドの各地から人が集まっています。
ヒンドゥー教では、
ガンジス河の沐浴を最高の悦びとしています。
巡礼者を見れば、
人々はガンジス河の河に一歩でも近くに近づこうと、
河に向かって作られた階段を、
一歩ずつ下りていきます。
一番先頭になると、
ある人は裸になり河に身を沈めます。
女性の人は、サリーを着たまま、
身体を冷たいガンジス河につけて、
両手を合わせて、祈りを捧げています。
水は、ヒマラヤから流れてくる冷たい水です。
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この聖なるガンジス河の水を両手で汲み、
顔を洗い、口にふくんでうがいをし、
また河に戻している人もいます。
河には、竹をひもで結んだラインが引かれ、
それより先に越えて進むと、
河の流れに流される危険性を示しています。
それでも、その境界線を越えて、
さらにガンジス河の流れの中心に向かって、
祈りを捧げながら進んでいく人もいます。
輪廻転生を願うヒンドゥー教の信者は、
亡くなった後は、ガンジス河の河に
その身を流されることを願っています。
ガンジス河の焼き場には、
やっとここまでやって来たと、
思われる老いた人、
起きることも出来ないほどの衰弱している人が、
やがて来るその日をガンジス河の川岸で待っています。
一人の信者を弔うための布と薪を買うお金だけを最期に残して、
ここまでやって来ている信者もいます。
たくさんの来世の幸せを願うヒンドゥー教の人たちは、
今日もガンジス河の川の流れに、
我が身を沈め、神につながる祈りを真剣に捧げています。
ヒンドゥー教徒の沐浴への願望の強さは、
好奇心で沐浴を見るために近づくことを許すことはありません。
沐浴の様子は、ガートから離れて、
遠くから見ることになります。
船に乗って、河の方からガートの岸辺を見ました。
船には屋根がないので、雨にうたれて寒い感じです。
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薄暗い朝、少しずつ夜が白みかけ、明るくなってきます。
今日の撮影用のカメラは、絞りF2.8、
シャッター速度60分の1秒で撮影しています。
船が動けば、少しぶれるかもしれません。
乗っている船から岸辺を見ると、
ヒンドゥー教の信者である死者を
ガンジス河に流すために布に包んで
薪で焼く煙が、ところどころ見えます。
ガンジス河の岸辺で死者を弔い、そ
の灰はガンジス河に流します。
深く考えさせられることです。
人はいつかは亡くなり、
その身はガンジス河に流れても、
人はまた、別の人間か動物かに生まれ変わり、
またこの世で前世とは違った一生が始まります。
ブッダは、この苦しい輪廻転生を断ち切るためには、
人が何度も生まれ変わることを止滅し、
この世の苦しみをもう一度生じることがないように、
解脱を求めています。
輪廻転生を断ち、高い精神を習得し、
悟りを開くことを最終目標に、ブッダは勧めています。
ヒンドゥー教の考えでは、
ガンジス河のほとりで煙となり灰となることが、悦びですが、
これを興味の対象として写真を写そうとすれば、
それは信条に触れることになります。
この死者を焼く姿を写真で写すと、
この世に何かが残り、
天国に行けなくなるので、
ヒンドゥー教では写真を撮るのは
ダメといわれています。写真は禁止です。
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一方、ガンジス河の流れに浮かぶ船から見ると、
たくさんのヒンドゥー教徒の老若男女は、
敬虔な祈りを捧げています。
来世を信じて、岸辺で火を焚いているのを見れば、
今日も、死者はガンジス河に流れているのでしょうか。
大変な文化の違いを、見ました。
このようなインドの日常的な行為が、
宗教と文化の違う日本人から見ると、
大変な強い印象を受けて、
しばらくは考え込んでしまいました。
止まることのないスケジュールに沿って、
アーナンダに促されて、土産物屋によってみました。
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土産物屋さんには、
世界中から集まる観光客を相手に、
いかにもインド風な習慣を、
絵や置物、写真などにして、陳列しています。
興味のある絵があったので、
お店の人と価格交渉をしています。
110ドルを50ドルにしてくれるというので、
アーナンダに見せると、
高いと言って、やめておけと言われました。
半値でも高いらしいので買うのはやめます。
2時間ぐらいの自由時間が与えられました。
アーナンダが来て、奥村氏を連れて出て行きました。
やはりアーナンダは私たちを
あちこちへ連れまわそうとしていると思います。
何か魂胆があるのでしょうか。
私はついていきません。朝の街の様子を見て歩きます。
街の様子は、人が多く、
その人達は何かかにか生計を立てるために、
商売をしていることに目を奪われます。
店がないのは当たり前で、路上で、
自転車の荷台で、他人の軒下で、
なんとか自分の持っている物を
現金に換えようと努力しています。
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屋根があるところには、人が集まってきて、
雨をしのぐ、寒さをしのぐために、寝っ転がっています。
この場所も取り合いがあって、
たいてい良い場所はそれなりの人が押さえています。
路上で暮らす人、路上で商売をする人、
道の上で生まれ、道の上で生活し、
道の上で亡くなっていくのでしょうか。
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時間が過ぎていく中で、
特別に時間を気にするわけでもなく、
路上に座り込み、低い目線で通る人や、
起きていることをじっと見つめています。
悠久の大地・インドでは、
なにもかも驚くこともない、
遠い昔から脈々と続いている
ひとつの現象に過ぎないのでしょうか。