こんな海 尾道水道 脱走犯人が 泳いで渡り切った 事件のあった海峡

投稿No:9773

尾道水道の眺め 脱走した犯人が 泳いで本州まで渡り切った 衝撃的な事件を思い出しました 千光寺からの眺め 次世代に繋ぐ東広島お墓詣り(3)

お墓参りを終えた後、尾道へ向かいました。

歴史も深く、観光名所も

たくさんあって活気がある街です。

雲一つない良い天気で、

尾道の海際から山にかけて楽しみました。

千光寺ロープウェイ

山の方へ上がるロープウェイがありました。

尾道の風景を空からも楽しめます。

千光寺公園に向かって上がっていきます。

目の前に千光寺が見えてきました。

神社とお寺の上を通過する

日本でも類を見ないロープウェイです。

しまなみ海道に家族旅行や

サイクリング観光で訪れる観光客の皆様が、

尾道水道と尾道・瀬戸内の風景を

満喫しながらの千光寺公園までの

アクセスに最適です。

ケージに入るペットとの同伴も可能です。

【出典:尾道千光寺山ロープウェイ

千光寺頂上展望台

ロープウェイを降りてすぐに展望台がありました。

千光寺頂上展望台「PEAK(ピーク)」

2022年3月に千光寺公園の新しい展望台がオープン。

愛称は、「頂上」を意味する「PEAK(ピーク)」です。

長さ63メートルの展望デッキからは、

尾道水道や日本遺産の街並みを

大パノラマで楽しむことができます。

【出典:千光寺頂上展望台「PEAK(ピーク)」

リニューアルしたばかりの

現代的な建造物で

下から見上げると迫力があります。

眼下には尾道の街が見えます。

晴れ渡る空に尾道水道と

しまなみ海道で

繋がっている島々が映えます。

お向かいにある島は、

その名の通り向島(むかいしま)です。

尾道と向島をつなぐ新尾道大橋と

尾道大橋が良く見えました。

こうしてみると、尾道水道は

大きな川のようにも見えます。

以前、愛媛県今治市にある

松山刑務所の施設から脱走した犯人が、

向島からこの尾道水道を

泳いで本州まで渡り切ったという、

衝撃的な事件を思い出しました。

それも大雨の吹き荒れる日に

泳いだというから驚きです。

本州から向島までは、最も短い場所で

200メートル弱の距離しかないそうです。

確かに見てみると、健康的な人が

がんばれば泳げそうな距離に感じましたが、

潮の流れが速いので泳ぐのは

とても危険なのだそうです。

犯人にとってはフェリーも橋も道路も

警察が見張っていると予期して、

「泳ぐしかない」と

必死の逃避行だったのでしょう。

千光寺

展望台横から道が伸びています。

文学のこみちと言って、

尾道ゆかりの作家・詩人による

作品を刻んだ25基の石碑が立っています。

ここを歩いていくと千光寺があります。

大宝山権現院千光寺は標高140m、

尾道港を一望する大宝山の中腹にあり、

(大同元年・806年)弘法大師の開基で

中興は多田満仲公と伝えられています。

珍しい舞台造りの本堂(貞享3年・1686年)

別名「赤堂」とも呼ばれ、

林芙美子も放浪記の中で

「赤い千光寺の塔が見える」と書いています。

【出典:千光寺HP

参拝者も多く賑わっていました。

境内には巨岩、奇岩がたくさんあります。

いかにもパワーをもらえそうです。

境内からも展望台に負けず劣らずの景色でした。

海際からほど近いところに、

尾道ラーメン屋さんがあります。

看板には「やきにく牛ちゃん」とあるのですが、

数年前から尾道ラーメンも提供しているようです。

細めの麺で、焼肉屋ならではの

背脂のうま味が感じられます。

背脂が入っているのに、

あっさりと食べることができました。

焼肉屋さんなので、

テーブルの真ん中にコンロがあります。

尾道では、何故尾道ラーメンが名物なのでしょうか?

調べてみると、1928年中国福建省から来日して、

尾道市内の製麺所で住み込みで働いていた人が、

瀬戸内の魚をベースに、醤油味を加え、

作り始めたことが元と言われているようです。

『焼肉とラーメンの二刀流』

焼肉はリーズナブルな価格でこだわりの絶品和牛などをご提供。

本場の本物の尾道ラーメンは食べたらハマること間違いなし。

【出典:牛ちゃん 尾道店

尾道は歴史ある街です

中世より交通の要衝であった尾道は1168年、

備後大田庄の年貢積み出しのために蔵屋敷が建てられ、

翌1169年には尾道が公認の港となりました。

1189年には年貢米の積み出し港として栄えはじめ、

江戸時代には北海道~大阪を結ぶ

大型船「北前船」の寄港も始まりました。

その繁栄ぶりは「北前船が寄港すると

町がひっくり返るような賑わいを見せた」

とも言われています。

その繁栄により、

尾道には多くの富を蓄えるものたちが現れました。

この者たちは豪商と呼ばれ、その財を惜しみなく

お寺の建立や町の整備などに投資しました。

そのお寺や町並みは現在でも数多く残り、

尾道らしい町並みを作り上げているのです。

【出典:尾道観光情報 おのなび

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