青天の霹靂 阪神淡路大震災からの復興 震災後の企業間競争【社長経営学】シリーズ 22

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青天の霹靂 阪神淡路大震災からの復興 震災後の企業間競争【社長経営学】シリーズ 22

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阪神淡路大震災

経営が安定して、忙しい日々を送っていたある日、

大事件が起きました。

1995年1月17日未明に起きた阪神淡路大震災です。

まさに青天の霹靂でした。

壊滅的な恐怖は、体験してみなければ

その怖さはわかりません。

人生は思うようにはいかないものです。

繁盛していたお店は倒壊して、

商売は止まりました。

阪神淡路大震災の体験記は、

これまで何度もブログ記事にしてきたので、

詳しくはこちらをご覧ください。

阪神淡路大震災 ページまとめ

阪神淡路大震災1日目 ~

阪神淡路大震災体験記 ダイジェスト

今回の社長経営学シリーズでは、

阪神淡路大震災後から、

話をしていきたいと思います。

これまで築いてきた

有形・無形の資産に対しては、

どこまで復興できるのだろうかと、

闘志のような緊張感と、

私がなんとかしなければと思う

責任感が湧いてきました。

自宅からすぐに三宮へ駆けつけてみると

センター街のアーケードが崩壊して落下していました。

衝撃的な光景でした。

震災後の企業間競争

震災の年から5年間、

大学院に進学する間、

がむしゃらに働きました。

この5年間の厳しかった競争の状況を回顧します。

1995年3月の頃、

大震災の復興は未だ始まったばかりでした。

世間の関心は神戸に集まっていましたが、

3月20日首都東京でオウム真理教による

地下鉄サリン事件が起きてからは

マスコミの報道はオウム真理教へと

焦点が移って行ったようでした。

神戸の復興では

目に見える壊れたモノは取り払われ、

捨てられて、新しいモノへと代わっていきました。

ビジネスも同じように、

壊れた流通から新しい流通へと

代わって行っていました。

センター街、国際会館、三宮と元町の百貨店、

さんプラザ、センタープラザなどの

中心地の商業施設は壊れたので、

三宮周辺地区では

しばらくは流通が止まっていました。

終戦後の復興のように、

次第に復興が進むと

販売競争が止まっていた三宮地区は

再び競争の舞台になってきました。

震災直後の復興から5年間は、

私の人生で最も企業の存続を意識して

夢中になって働いた時期でした。

いち早く再建に着手した結果、

お客様は次第に戻って来て頂けたものの、

以前のように顧客サービスを提供するには、

もう一度会社を創るほどの

組織再建が必要でした。

このころはバブル崩壊とその後の不良債権処理で、

多くの企業の整理、倒産が続き、

起業は生き残りをかけて

激しい競争にさらされた時代でした。

シリーズ23へ続く→

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