新社会人の心構え:お給料を貰て仕事を教えてもらえることに感謝【社長経営学】シリーズ 2

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社会人としての第一歩 新入社員の心構え お給料をいただいて教えてもらっている感謝の気持ち 【社長経営学】シリーズ 2

大阪倶楽部での入社式を終え、

いよいよ社会人としての第一歩がはじまりました。

新入社員として、業務に奮闘します。

私は先ず、自分が配属された部門において

積極的な商品知識、ビジネスマナーなどを学び、

先輩上司から色々なことを

教えてもらう様に努めました。

配属は鉄鋼部建材課に配属され、

日本の基幹産業である鉄鋼業界を基軸として私の

社会人としてスタートしました。

実務上の取引先

仕入先は富士製鉄(後の新日本製鉄)、

住友金属、川崎製鉄、神戸製鋼などの

高炉メーカー及び電気炉メーカーです。

溶鉱炉 製鉄,鎔鉱炉,高炉のイラスト素材

神戸製鋼所と川崎製鉄は神戸に本社がありました。

このことは、偶然ですが後日の

私のビジネス経験に大いに参考になりました。

販売先は大手から中堅までの建設会社、

重機械メーカー、鉄工所などでした。

高炉メーカーはH型鋼の生産を始め、

超高層ビルの建設が始まった時代でした。

新入社員は朝一番に来て、

入社すると、1か月は会社の寮で合宿して

ビジネス研修がはじまりました。

約百名の同期の男子社員の皆さんとは、

夕食後はどこかの部屋に集まって、

学生時代のはなしとか、

会社役員 配属先の部長、課長などの

社内評価の情報交換で盛り上がりました。

人の評価は、このように内部情報の交換によって

伝播することを知りました。

これで同期との仲間意識が育ちました。

希望通り大阪本社に配属先が決まると

職場での、私の事務机と

私物用のロッカーが指定されます。

新入社員は、朝一番に出社するぐらいの気持ちが

まわりの上司や先輩社員に評価されます。

自宅では朝6時ごろ起きると、

自分で朝ご飯を作り、食事を終えると、

急ぎ電車に乗って1時間ほどかけて

神戸の垂水区から、

大阪の御堂筋の会社に出社していました。

できるだけ早く出社して、自分の机だけでなく

先輩上司の机も雑巾で清掃しました。

5時が終了時間ですが、

入社早々は、早く帰らしてくれていましたが

段々と、帰りが遅くなってきました。

新入社員は業務終了の

夕方5時から忙しくなります。

いきなり、取引先と交渉は無理なので

補助的な事務作業から実務に入っていきます。

先輩社員が取引先と商談を済ませると

その結果を台帳に記録する仕事が始まります。

単価と数量を掛け合わせると、

売り上げ金額がでます。

当時は電卓はありませんでした。

すべてそろばんで計算します。

一部では、計算尺も使っていましたが

私は、そろばんで計算しました。

そろばんの経験は

小学校で習った程度のレベルでした。

そこで、就職が決まると、自宅の近くにあった

小学生相手のそろばん塾に3か月ほど通って、

足し算、引き算、掛け算、割り算の

そろばんの基本を小学生たちに交じって学びました。

この陰で、取引記録を台帳に書くため

そろばんで、数値を計算することが出来たのです。

初めのころは、そろばんで何度も検算して、

取引数値が確かであるかを

確認してから、台帳に記入します。

台帳記入が終わると、

注文伝票、出荷伝票を手書きで作成します。

売り先と金額が決まれば、

次は、仕入先への注文書作りです。

すべて手書きです。

このような一連の作業をすると、

夜の10時を過ぎるのはしょっちゅうで

時々は終電車に間に合わないほど

遅くまで残業を続けていました。

一か月の残業時間は、毎月のように

100~150時間になりました。

今の時代では考えられない残業時間です。

帰りが遅いので、産婦人科医であった私の父は、

うちの息子は本当に会社で仕事をしているのか

不審に思って、ある日、会社に直接電話して

私の上司の課長に、

「うちの息子は帰りが遅いのですが、

本当に仕事をしているのでしょうか」と、尋ねました。

お給料をいただいて教えてもらっている感謝の気持ち 

課長は、私が仕事をしていることは知っていても

あまりにも遅くまで仕事をさせていることに

「すみません」、と父親に謝ったそうです。

しかし、ビジネスを志せば、お給料を頂いて

仕事を教えてもらえるので、

不満はありませんでした。 社長経営学 3 へ続く

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