G7広島サミット 広島空港は厳重な警戒 お墓の周りは警察官とパトカーがいっぱい

投稿No:9564

G7サミット広島 広島空港は厳重な警戒 お墓の周りは警察官とパトカーがいっぱい お墓参りは ご先祖様に出会い、語りかける場所 お墓参りへ行ってきました

普段静かなお墓の周りが

G7サミット広島へ、参加国の首脳陣や

おつきの人たち、マスコミ関係者が

広島空港へ飛来してきています。

このため、広島空港の最寄りのインターは

警察官やパトカーが、

厳重な警戒体制を施いています。

こんな、物々しい警戒態勢は、

私の前方後円墳の周辺では、初めてです。

私が今いるのは、ご先祖様のお陰です

毎年数回、

欠かさずにお墓参りへ行っています。

淡路島から、東広島まで車で行っているのです。

いつもは淡路市岩屋の自宅から山陽道を通り

広島へ行っているのですが、

今回のお墓参りは、淡路島から鳴門海峡を通り、

高山の海沿いを走り、しまなみ海道、

今治、福山西、尾道のルートで

ドライブを楽しみながら広島までいきました。

現在、広島ではG7広島サミットが

開催されている期間であり、

広島の空港周辺は、警察がたくさん

警備をしていて厳戒態勢でした。

コンビニまでも警備をしていて驚きました。

いつもは空港周辺のホテルに泊まるのですが、

G7 広島サミットの影響で

空港周辺のホテルは空いておらず、

今回は尾道のホテルに泊まることにしました。

広島へ着いた初日に、

さっそくお墓参りへ足を運びました。

普段はのどかで静かな場所ですが

今回のお墓参りは、G7の警備や

関係者のタクシーでいっぱいです。

お墓参りの目的は、

過去現在、そして未来を繋ぐことにあります。

松葉屋敷跡を買い戻して、前方後円墳を建立

明治のころ、松葉家の屋敷に、

国鉄が山陽本線を通すことになりました。

そのため、屋敷には住めなくなって

大祖父の時代に、

転居せざるを得なくなったそうです。

太平洋戦争の後は、農地解放があって

多くの土地が人手に渡ってしまいました。

私が30代の時、せめて松葉屋敷跡は買い戻そうと

不動産屋さんにお願いして、屋敷跡を買い戻し、

其の後、1999年に、前方後円墳を建立しました。

私たちの祈りと感謝の場所

お墓参りは、ご先祖様に出会い、

語りかける場所です。

お墓の前に立ち、墓石に向かって語りかけます。

語るのは、家族みんなの近況を報告です。

進学、就職や結婚や独立など、

新たな変化を語ることもあります。

家族の病気、健康問題などへの

救いを語ることもあります。

何もなければ、手を合わせて、

祈りを語ることもあります。

お墓参りでは、報告と感謝をするようにと

両親に教えられてきたのです。

お墓に行くことで、ご先祖様に会いに、

語りかけるとことをしてきました。

自分たちが立ち返る場所こそがお墓

そして、家族がつながれる場所がお墓です。

先祖という縦の関係が感じられないというのは、

自身の幸福度にもつながるでしょう。

なぜならば、先祖関係の最前線にこそ、

今の自分がいるからです。

もともと松葉家のお墓は、

隣接する山の斜面にありました。

里山の手入れをしなくなってから

竹が繁殖して、日陰の竹やぶになってしまいました。

その山のお墓を墓仕舞いして、

平地の前方後円墳の敷地へ移したのです。

山の斜面には、近隣からの竹が侵入して、

毎年タケノコが芽を出し、

いつしか深い竹藪になってしまいました。

本来であれば、

広島へついた初日、そして2日目と、

二日間お墓参りをするのですが、

今回はG7の影響で警備やタクシーなど

人や車が多かったため、

初日のお参りだけにしました。

またゆっくりと、

お墓参りに訪れたいと思います。

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