お釈迦様(ブッタ)のお誕生日 4月8日は 花まつり
投稿No:9323
4月8日は お釈迦様(ブッタ)のお誕生日 花まつり
4月8日は お釈迦様(ブッタ)のお誕生日
私のブッタ誕生像は金色に輝いています。
ブッタは誕生したとき、天上空下唯我独尊
と述べられたと伝えられています。
当然これは、後世につくられた神格化とおもいます。
今日は、ブッタの誕生日で、花まつりの日です。
4月8日はお釈迦様(ブッタ)のお誕生日 花まつり
私の理解では仏教というのは、
ブッタ(仏陀)の教えのことです。
お釈迦さまは、今から約2500年ほど前に実在した方です。
ゴータマ・シッダールタが本名です。
ブッダ(Buddaha)とは
「目覚める」という動詞の過去分詞形で、
広く「目覚めた人」「悟った人」を意味します。
広い意味では、悟った人すべてを意味する一般名詞です。
この仏陀が省略されて「仏」となり、
日本語では「ほとけ」と読まれるようになりました。
ブッダは、シャカ族の王である
シュッド-ダナと王女であるマーヤ夫人の間に、
シャカ族の王子として、
4月8日にルンビニーという所でお生まれになりました。(降誕)
そこで、4月8日は「花祭り」となり、
仏教ではブッダのお誕生日のお祝いをします。
キリスト教であれば、クリスマスのようなものです。
神戸の摩耶山は、この「マーヤ妃」からきています。
ブッダはその後、成人し、ヤショーダラーと結婚して、
子供ラーフラを儲けたのですが、
29歳の時に思うところがあり、
周りの反対を押し切って、
とうとう髪を剃って城を出て
修行生活に入ってしまったのです。(出家)
骨と筋になるほどのやせ細る壮絶な苦行をなされました。(苦行)
その後6年間、骨と筋になるほどの
やせ細る壮絶な苦行をなされました。
ある時、苦行だけでは「さとり」は得られない事に気づき、
苦行から離れました。
そして、ガヤーという地のナイランジャナ河(尼連禅河)
をのぞむ沙羅双樹の下で深い瞑想に入り、
ついに35歳の時の
12月8日の朝にさとりを開いたのです。(成道)
そして、ブッダ(目覚めた人)と言われるようになりました。
その後、その地はブッダガヤーと言われ、
また、沙羅双樹も聖なる樹(菩提樹)として
崇められるようになりました。
それから、その覚った内容を人々に説いて導こうと決意し、
バーラーナシー郊外のムリガダ-バ(サールナート)で、
変わる事のない真理 (心の問題)人生には重要な問題があります。
それは、心というものに対する定義です。
「心とは、いったい何でしょう」?
喜びや悲しみ、怒りや悔しさといった感情は、
いったいどんな心の働きによって生じるのでしょうか。
いけないこととは分かっていても、
つい「嫌な奴」と相手のことを憎んだり、
嫉妬したり、怒りに胸を震わせたりするのはみんな心の働きです。
自分でもコントロールできない
心の働きを無意識の心と捉えています。
ブッダはこの世の中を四つの理(ことわり)に
分けて考えるように説明しています。
即ち、苦(く)(Dukkha)
集(じゅう)(Samudaya)
滅(めつ)(Nirodha)
道(どう)(Magga)のことです。
この “苦集滅道(くじゅうめつどう)は
四つの正しい真理と説かれています。
変わる事のないこの真理を説くために、
マダガ国で、ブッダはしばらく止住しました。
麓から霊鷲山の山頂に続く道を、
「ビンビサーラ王の道」と呼ばれています。
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初めての説法をしました。(初転法輪)
その後は次々とお釈迦さんの下に
お弟子さんが集まってきました。
教団自体も成長し、
信者も増えその信者の寄進であちこちに
お坊さんが集う場所が出来ました。
その中でも日本の平家物語に出てくる「祇園精舎」と、
「竹林精舎」が有名です。
お釈迦さまはその後45年間も各地で教えを説き、
80歳になってふるさとをめざす 旅に出発しました。
しかし、途中で重い病にかかり、
クシナガラと言う地で亡くなりました。(入滅・涅槃)
出典 財団法人 仏教伝道協会 「仏教聖典」
ここまでのブッダの生涯については、
各宗派とも共通しています。
ブッダが仏教の始祖であり、
現在のそれぞれの宗派は、このブッダから発展
したそれぞれの教義を掲げています。
原始仏教から現代の各宗派までの
道のりと経過が分からないので、
頭がこんがらがっているのではないかと思います。
そこで、これからの巡礼をとおして、
初期のオリジナルな考えをまずしっかりと
理解したいと思います。