人間国宝 新内 鶴賀若狭掾 師匠を囲んで 津山公演打ち上げ会
鶴賀若狭掾 師匠を囲んで
公演のあと席を変え、「寿司楽」のお2階で若狭掾師匠を囲み、今日の出演者のみなさんと主催者と後援者のみなさんが集まり、交流会がありました。
師匠が手招きで私を招き、師匠の隣の席に座るよう、勧められました。
師匠の隣となると上席なので、ちょっとご遠慮したのですが、師匠の再三に渡るお勧めなので、不肖松葉博雄は人間国宝の隣の席に座る事になりました。
関係者のみなさんのご尽力で今回の公演ができ、無事に成功裏に終わったことを祝し、津山市の助役さんの音頭で一同で乾杯をして宴が始まりました。
師匠は中心人物ですから、皆さん方が師匠の席にごあいさつにこられます。
その隣に松葉博雄が控えているので、ついでに私にも皆様からご挨拶がありました。
側で見ていると、一人一人に師匠はお話をされるので、なかなか飲んだり食べたりする暇がありません。
主催者側を代表して津山市の助役さんが師匠の側に来られ、東京よりはるばる津山にまで来て頂いたことのお礼などを言われているのを側で聞いていると、助役さんの気遣いがヒシヒシと伝わってきました。
先ほどの高座での着流しと違い、交流会ではネクタイを締め上着を着て、一般社会人と同じように見えます。
並んで全員で集合写真を撮りましたが、これだと誰が人間国宝なのか、伝統芸能を継承する人なのか、新内流しをする人なのかわからなくなります。
私もなんとなく伝統芸能の一員のような雰囲気で写真に収まりました。
せっかくの機会なので、色々と師匠にお話を伺い、伝統芸能に関する知識を吸収させてもらいました。
伝統文化は、これを伝えて行く人は内弟子で、厳しく芸の修行をします。
一方、伝統文化を支えて行く人は外弟子で、物心両面で伝統文化を支援することとなります。
当然、外弟子の修行は内弟子とは違います。
この師匠のお話を聞いているうちに、社会人大学院生と研究者を目指す大学院生との対比に似ているように理解しました。
新内で大切な事は何でしょうか。それは「1に声、2に節」と言われました。
「新内に限らず、歌というものはまず歌詞があり、それに曲をつける。
歌詞に起承転結をつけて物語をつくる。唄うのではない、節をつける、語りをつける」と、熱く語り、未熟者の私に教えていただきした。
花鳥風月といわれる自然の中で出される音にも色々と意味がある。
花が咲き、鳥が集い、風がそよぎ、月が満ちたり欠けたりすること、川の流れ、水の音、鳥の鳴き声など、自然の中で耳を澄ませば宇宙から発せられる
信号のようなものが、人間に語り掛けている。これを聴き耳を立てて音律を理解する心が大切である、と、このような概略をお話されました。
これは、宇宙から真理を伝える大日如来の宇宙仏の構図と、相通ずるように理解しました。
今日の演題の「酔月情話」の語りの中で、伊勢隆太夫と伊勢松葉の二人が、「酔月」の女将お梅と番頭の峯吉の掛け合いを演じていたのですが、峯吉がお梅を 「今までどこに行っていたのか」と問い詰めるところで、お梅が「どこに行こうと私の自由でしょ」と答えたくだりについて、お師匠さんに疑問に思うことを尋ねました。
それは「どこに行こうと私の勝手でしょ」というのが普通なのに、「自由でしょ」と答えたのには何か意図があるのですか。という疑問でした。
これに対し、師匠はこの「酔月の女将お梅の番頭峯吉殺しの事件」が起きたのは明治20年のことで、時代背景としては自由民権運動が起こり「勝手で
しょ」が「自由でしょ」と言い替えられ、自由、自由という言葉が巷に流行っていたからですよ、と教えてくれました。
なにげなく聞いていた新内の一節でしたが、松葉博雄がここまで細かい疑問を指摘した事に若狭掾師匠はやや感心して褒めてくれました。
そしてご褒美に焼酎をさらに、さらに勧めていただき益々酔って顔も赤くなってきました。
向かいの席の方が師匠と一緒にと言って、写真を撮ってくださりました。