あの時は怖かった 阪神淡路大震災 今怖いのは見えない殺人者コロナ 不安のない生活が一番
投稿No:8874
あの時は怖かった、阪神淡路大震災。新型コロナウイルスの影響で、阪神淡路大震災の追悼はこれまでとは違った形で祈りを捧げます。コロナ禍の追悼行事は規模を縮小
あの時は怖かった阪神淡路大震災、今年で26年目です
1995年1月17日の阪神淡路大震災の日から、26年が経過しました。
あの時は怖かった!
午前5時46分に阪神淡路大震災が発生しました。
冬の明け方、まだ日の出の時間には届かない真っ暗な中、
激しい揺れに翻弄され、恐怖と不安に圧し潰されそうになっていたことが、
まるで昨日のことのように思い出されます。
阪神淡路大震災で罹災した経験があれば、そう思います。
ベッドで眠っていた夜明け前に、突然、付き上げられるような激しい振動のあと、
まるでジェットコースターに乗っているような連続した揺れ。
地震の振動は、とにかく何かに掴まっていたいと思うほどの強さでした。
家具が倒れ、食器は割れて散乱し、
家の中は、素足では危なくて歩けないほど破壊された状態になっていました。
下敷きにならず、生きていてよかった!と、思いました。
コロナも怖い ウイルスは目に見えない殺人者
昨年から続くコロナ禍の最中、
今年は追悼の行事が縮小して行われることになりました。
追悼とは言え、人が大勢集まればウイルス感染の危険があるからです。
地震も怖かったけれど、コロナも怖いです。
ウイルスは目に見えない殺人者だからです。
あの時は怖かった 慰霊・追悼行事の中心 東遊園地
場所は神戸市中央区、三宮の繁華街から少し離れた「東遊園地」です。
神戸市庁舎の横にあります。
コロナ対策を徹底して、追悼行事が行われていました。
東遊園地横の遊歩道です。
例年であれば、追悼行事に参加する人がたくさん行き交っていますが、
やはり緊急事態宣言発令下のため、例年に比べると人出はかなり少なかったです。
募金箱の横にもしっかりアルコールが設置され、
「滞在時間を短く」というお願いと注意喚起の張り紙がありました。
あの時は怖かった 阪神淡路大震災 竹とうろう・紙とうろうに追悼の火を灯して 不安のない生活が一番
「1.17」をかたどった竹の筒の
「竹とうろう」の中にロウソクが入れてあります。
そのロウソクに火を灯して、祈りを捧げます。
数えきれないほどの竹とうろうの中に、
追悼の火が灯されていました。
縮小されても、やはり祈りを捧げるために
多くの人が次から次へとやって来ます。
こちらは紙製の「紙とうろう」です。
メッセージが書かれた紙を丸めて、透明な筒に入れてあります。
竹とうろうと同様、中にロウソクが灯せるようになっています。
この写真の言葉通り、紙とうろうで
「がんばろう」の文字がかたどられています。
昨日の会場設営の様子を映したニュース映像です。
上から見ると、このようになっています。
「がんばろう」をかたどっている紙とうろうは、当日追悼に行った人も
並べることができるようになっていました。
阪神淡路大震災 神戸の各地も追悼は縮小して
こちらは東灘区の慰霊碑です。
2019年に建てられました。
東灘区はとても大きな被害が出た地域のひとつで、
たくさんの方が亡くなりました。
こちらでも毎年追悼行事が行われていますが、今年は縮小しています。
会場に設置するイスは例年の半分に、
また、写真パネルの展示は取り止めになりました。
何年、何十年経っても、
大切な人を亡くした悲しみは簡単には癒えません。
毎年、こうして慰霊碑に手を合わせて、
大切な人を思い出すことができればいいと思います。
あの時は怖かった コロナ禍でも忘れない
「1.17 希望の灯り」のモニュメントの前には献花台が設けられており、
花を手向けて手を合わせる人たちが、
入れ替わり立ち替わりしていました。
このモニュメントは震災から15年後の2010年に建てられました。
ガラスケースの中の灯(ともしび)が消えることはありません。
26年が経って、神戸の街も大きく様変わりしました。
そして現在、コロナの影響でさらなる変化が求められています。
コロナは世界中を巻き込んで、多くの人が変わらざるを得ない状況を生み出しました。
ワクチンができても、今度はワクチン接種そのものに警鐘を鳴らす専門家も現れています。
この先数年間が正念場となるのでしょう。
甚大な被害を被った阪神淡路大震災を教訓にして、
挫けず、この難局を乗り越えられればと願います。
2021年1月17日(日)