沖縄の和蕎麦 中島早苗さんは太っ腹で江洲の花は大盛そばと天ぷら食べ放題

投稿No:8097

沖縄の和蕎麦 太っ腹の江洲の花は天ぷらが食べきれないほど、食べ放題です 沖縄訪問記 第171回(5)

沖縄の和蕎麦 大宜味村の江洲の花

江洲の花がある沖縄北部の大宜味村はそばを植えて、そば粉を作り村おこし

に取り組んでいます。

その甲斐があって、近年大宜味のソバは少しづつ認知されてきています。

そば粉があれば、そば打ちが必要です。

道の駅大宜味には、沖縄そばと違う、和そばのお店があります。

しかし、これまで何回も行きましたが、いつもお店は閉まっていました。

まだ、道の駅大宜味の手打ちそばは食べたことがありません。

代わりに紹介して貰ったのが、「江洲の花(えすのはな)」です。

また行きたくなる江洲の花

江洲の花は前回行ったとき、とても接客が良かったので、また行きたくなりました。

電話して予約をお願いするとただいま満席で終了時間ですと言われました。

そこを何とかとお願いしてソバだけならと言う条件で予約を受けて貰えました。

国道58号線から離れた、山の中の畑に囲まれた場所です。

看板も出ていないのに、良く流行っているお店です。

ほとんどの客は、スマホ経由の口コミで賑わっているようです。

スマホが無い頃なら、江洲の花を知る方法は難しかったと思います。

今日は、35名の予定が、韓国からの旅行客が飛び込みで入ってきたので、

75名の客になったそうで、2時ごろで、もう閉店のつもりでした。

お店に入った時には、まだ韓国からの旅行者は10名食事中でした。

海外からもスマホで知って

奥さんは、頼まれて、韓国からの旅行者と江洲の花の亭主とおかみさんの集合写真のシャッターを押す係になりました。

韓国からの旅行者も、ネットでこの店を知って来たようです。

広告費もいらないで、お店が流行るのも、スマホのお蔭です。

韓国の旅行客がお店を出た後は、お店の中は静かになって、私達との会話になりました。

中島早苗さんの人生ドラマ

江洲の花を始めたきっかけから始まって、中島早苗さんの人生ドラマを聞かせていただきました。

以下は、お話と新聞記事を見せて頂きましたので、紹介します。

『大病克服 源は自然食』

中島早苗さんは1938年の生まれで、竹富町出身です。

竹富島の隣の島、石垣島出身の方に、第7代早稲田大学総長の大濱 信泉

(おおはま のぶもと)さんとご縁があって、勧められて東京に進学するようになりました。

しかし、東京都立一橋高校を卒業する直前に白血病を患いました。

故郷に戻って西表島で6年間、自然療法による治療を受けてほぼ完治しました。

そのご、神戸ドレスメーカー女学院で洋裁を6年間学びました。

神戸ドレスメーカー女学院は、料理学校と提携していたので、料理も併せて学んだそうです。

31歳のとき、1969年に帰沖し飲食店を経営します。

しかし、事業が失敗したため、福岡や東京で転職を繰り返しました。

38歳の頃、膠原病を発症し、治療途中に心筋梗塞で倒れるも一命を取り留めました。
自然食を中心にした食事で回復し、2011年から大宜味村でおそば屋さんを営んでいます。それがこの江洲の花です。

中島早苗さんの新聞記事 江洲の花を開店するまで

「お待たせしました。」和そばや天ぷらの香りが漂う店内に、明るく元気な声が響く。

声の主は中島早苗さん75歳(注:6年前)。

大宜味村江洲で、夫敬さん62歳と共に和そば屋「江洲の花」を経営している。
せわしく動き回る姿からは想像もつかないが、これまで大病を2度患い乗り越えてきた。

中島さんは「今は毎日清く、強く生きる。

思うだけでなく行動に移すことが目標です」と笑顔で話す。

幼い頃から病弱な体質だった中島さんを病魔が襲ったのは高校卒業直前、父が亡くなった後だった。

ショックでだるさと微熱が続いていた。医師が下した病名は白血病。

東京の高校に進学していた中島さんは、卒業証書を受け取ることなく、家族が暮らす那覇市の自宅に戻った。「3年の命」。

母と親族の会話を聞いた中島さんは「もう夢も叶わない。人生が真っ黒だ。」と絶望し、睡眠薬500粒で自殺未遂を図った。

医師の兄の処置でどうにか一命を取り留めた。

「自分のためではない。支えてくれた家族の為に生きたい。」
気持ちを一新し、治療に向けてスタートを切った。

療養のために祖父母がいた西表島へ。

「人間は自然の力で生きていることを実感した。」

そんなとき、枕元で開いたある本の一節に救われた。
「苦しみはありがたいこと」「投げない、捨てない、諦めない」
涙がこぼれた。

「私は投げたし、捨てたし、諦めてきた。どきっとした。」
これからはこの言葉を心留めて生きていく。そう誓った。

自然食の重要性を認識

朝日と夕日を拝み、薬草や野草、鶏卵の油などを食する自然療法を6年続けた。少しずつ体力が回復。

しかし、中島さんは再び不幸のどん底に突き落とされる。

31歳で結婚し、夫と共に沖縄そば屋を経営するも、事業は3年で失敗。
夫と離婚し、1人沖縄を出た。

転職を繰り返し、福岡、東京と住処を転々とした。

「私がもっとしっかりしていたら・・・。」と自分を責める日々。
体調は再び悪化した。

東京で保険の外交員として働いていた38歳のある日、全身に痛みが走った。頭痛、嘔吐、喘息。

次々現れる不調が重なり、寝たきり状態が1年近く続いた。

そのとき既に、膠原病に冒されていた。「ごみと同じ。」動くことも出来なかった体。
さらに自らを責めた。高校生の頃のように、何度も自殺を考えた。
「死ぬ覚悟はできていた」

中島さんは、その本の著者であるカウンセラーのクリニックに通った。

身についていた自然食の生活を再び徹底させた。

外出する際は、外食を避けて玄米と水を持ち歩くことや、化学調味料は絶対

に使わないことで「心と体が浄化され」、膠原病が完治した。

東京での療養生活を支えた敬さんと再婚。

2011年江洲の花オープン

和そばの6次産業化を計画していた大宜味村の知り合いから依頼を受けて、沖縄に帰り、2011年に「江洲の花」をオープンした。

「食べ物を食べるということは人間にとて大事業。毎日必ず訪れ、悲しみや喜びがつきものだ」と話す中島さん。

店では食材にこだわり、和そばだけでなく、野菜や調味料まで地元産で調理している。
「食を通してお客様の笑顔を見る事が本当に嬉しい。食べて幸せだと思ってもらえるように頑張ります。」

思わぬ、人生ドラマを聞かせて頂いて、食に対する信念をしりました。

食べ物、摂取する食物で健康を回復することもできることをしりました。

接客の笑顔、おもてなし、夫婦の調和の背景も知って、一層江洲の花が好きになりました。

沖縄訪問記アーカイブ

2019年2月19日(火)


←前へ:第171回沖縄(4)

→次へ:第171回沖縄(6)

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください