世界遺産国指定史跡日本100名城の中城城跡(なかぐすくじょうあと)に上り、城主護佐丸を偲んでいます。社長ブログ/沖縄ブログ/恩納村ブログ/恩納村リゾート生活

中城城跡の中の建物は、第二次世界大戦の沖縄戦で消失です。 第152回沖縄訪問(7)社長ブログ/沖縄ブログ/恩納村ブログ/恩納村リゾート生活

癒しのパワースポット北中城の中でも、中心の中城城跡に上ります。ここは琉球が海外貿易で栄えていた、14~15世紀に築かれた城(グスク)で、築城家としても名高い武将、『中城按司護佐丸』の居城でした。

上空から撮影した写真と、パンフレットに描かれた地図と見比べて、これからどの方向に進んでいくのかといえば、⑤、④、③と進み、⑦、⑧へ向かい、⑨に出て、正門①に達します。

世界遺産『城ふるさとの道』は、ここ一つだけを登録したのではなくて、勝連城もそうですし、色々な沖縄の城のグループ全体で、世界文化遺産に登録しています。

観覧料は400円です。先ほどの中村家は、家一軒だけで500円でしたが、ここ中城城跡は、全部見ても400円です。見応えからみると、コチラの方が効果的です。

日本は、世界遺産に登録する事に、強い関心を持っています。では、これまで日本の中で、どれだけの世界遺産が登録されているのでしょうか?

調べて見ると、日本の世界遺産は、18遺産が登録されています。

とっても広いお城で、松葉博雄は驚きました。

ボランティアで説明しているガイドさんの後についていき、色々説明を聞きながら歩きます。

正門から逆方向に進んでいるので、最初に見えたのは、⑥の三の郭です。石積みの技法は、あいかた積み(亀甲乱れ積み)で、最も進んだ石積みと言われています。

沖縄の城も内地の城と同じように、石垣は石組みをきちっと組んで、門も石で組んで、地震があっても崩れなかったそうです。

内地の城の石の大きさと比べると、大阪城に見られるような巨石はありません。

日本のお城の天守閣のようなものは残っていません。跡だけです。

沖縄は水飢饉がよくあったので、雨乞いをする場所が各所にありました。井戸もありました。

東海岸も、西海岸も、見える高さです。

この辺りの海抜は、160mほどで、西に東シナ海、東に中城湾(太平洋)が見えます。

ボランティアの観光ガイドさんが、グループごとについていて、その後についていくと、ガイドさんの説明を聞く事が出来ました。

現在地は中城グスクの中心にあり、先中城按司(さちなかぐすくあじ)や護佐丸などの城主が政を執り行っていた建物が建っていたと考えられる場所です。

お城の歴史ですが、築城した城主、護佐丸の滅亡後は、中城の地が琉球国王の世継ぎである、中城王子の所領となりました。

17世紀前半には、この場所に番所が置かれ、明治期には琉球の日本併合とともに、番所は役場と名を改め、1945年4月に沖縄戦で焼失するまで同地は中城の行政の中心地として、長い期間使用されていました。

この場所に建っていた建物の記録としては、番所役場についての記録が僅かに残っているだけで、それ以前のものについては、図面や文献などは残っておらず、どのような建物が建っていたのかは分かっていませんでした。

(※沖縄のグスクには、本土のお城にあるような天守閣は存在しません)

どんな建物が建っていたのかを、解明するため中城村教育委員会では、平成21~24年度の期間(調査は毎年3~4ヶ月間実施)に約480㎡の発掘調査を実施しました。

調査の結果、石積みで城郭が築かれるより前の13世紀後半から役場のあった近代にかけての建物の磁石や柱穴、各種石組遺構、埋甕など700基程の遺構を検出することができました。

しかし残念ながら、基壇築造後に何度か造成が行われた上に、建物もかなりの回数建て替えられたため各遺構が複雑に入り組んでおり、現場では各時期の建物の構造や間取りを、明確に把握する事はほとんどできませんでした。

三の郭、二の郭、一の郭に通じる道には、石門があります。この石門は、大きな地震がきても、これまで壊れる事がない、丈夫な石造りで作られています。

郭毎に、広場があり、現在では、芝生になっていますが、以前には、建物があったようです。

昭和前半期の役場建物の写真が残っています。木造の平屋建てです。

ガイドさんについていきながら、時々、周辺の景色を見ると、お城は天下をとったような気持ちにさせてくれるような、素晴らしい眺望です。

護佐丸は、どんな方か分かりませんが、きっと、この高台から、次の一手を考えていたのでしょうか。

2015年4月11日(土)

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