大震災の後、取引先からの支援の申し入れがぼつぼつ出始める:阪神淡路大震災後9日目

寒い三宮の震災地です。簡易ガスコンロでお湯を炊いて、暖をとっています。

震災支援でほしい物は、人手です。社員は、連絡が取れず、消息不明で人手が足りません。

さんプラザビルに出社して、廊下に出てガスコンロで火を付けて少しでも暖かいものでも飲んで、元気を出そうと鍋に水をはり、暖かいものを作りました。

廊下は薄暗く、近くの窓から自然の光が差し込み、陽が昇る朝から陽が沈む夕方までは自然の光で復興を進めることができるようです。廊下の角を曲がり、窓から遠くなるほど明かりは暗くなり、不気味さを感じます。

水道の水は止まっています。水を汲んでお湯を沸かすことはできません。ペットボトルで戴いたお水が頼りになります。

【1995年1月24日 読売新聞より】

 

誰が来るかわからない中で、もし誰かが来てくれたら社長の私がいなければ線路を歩いて寒い中を来ていただいた甲斐も無いことになるので、やはりじっとさんプラザの3階に待機している時間も必要でした。

イメージ画像【2005年1月13日放映 読売テレビより】

イメージ画像 【2005年1月13日放映 読売テレビより】
チバビジョンの杉山部長が支援にやってこられました。過分なお見舞い金と飲み物、食べ物などの支援物資を戴きました。
このように、少しでも安否を確認するために、メーカーの担当者や上司の方からのお見舞いが来るようになりました。「出来るだけ応援をしたい」とありがたい言葉をいただいています。しかし今することはまだないのです。移る場所がなければ荷物の整理すら出来ません。

取引先のほとんどの会社は本社が神戸以外にあり、東京をはじめ、各地の倉庫、流通在庫には特別の震災による被害は出ておりませんでした。そこで、メーカー各社は神戸を中心とした取引先の支援を行い、一日でも早く自社のレンズとケア用品を通常の流通に戻したいという本社からの意向がありました。

(三宮混乱状況写真)

メーカーの方から支援の申し入れがあり、どのようにこれを受け入れていくか、どの会社に何の役割をしていただくか、少しずつ考えていく必要性を感じました。

日々の経営には資金が必要となります。
今は買うお店もほとんどなく、欲しい物があっても買う場所がありません。しかし、何か活動をするためにはまずはお金が必要であることは普段と変わりません。少しでも手元にお金を置いておかなければ決済ができません。そこで、いくらかは会社に置いていました。

ところが今は治安が平静ではないので、現金を持ち歩いていると危険なこともあります。どこに預けておくのが安全なのか気にしつつ、急にお金が要ることにも備えなければなりません。

銀行業務も少しずつ回復し稼動を始めたので、銀行の貸し金庫に行き、大切なものを預けました。治安はそれほど危険なことはないのですが、銀行が少しずつ本来の機能を回復しつつあることに安心します。

【1995年1月23~25日付読売新聞より】
今日嬉しかったことは、東京の姉から、もしお金で困っていることがあれば用立てをするという支援の連絡がありました。
もし震災で再建に対して資金が必要な場合は、応援したいという申し入れでした。今とくにお金に困っているわけではありませんが、 このような申し入れをいただければ勇気が湧いてきます。

1995年1月25日(水)



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