大震災より一週間が経過しました。空き店舗探し震災後7日目 :阪神淡路大震災後7日目

会社の復興を始めます。会社の復興は、移転先探しからです。

1月23日、今日で震災から数えて一週間が経過しました。神戸の復興が少しずつですが始まっていることを知り、余震の心配も徐々に遠のいてきました。

いつまでも田舎で避難生活をしているわけにもいかず、神戸に戻る事にし、その対策本部を有馬へ移しました。有馬であれば、神戸の情報は取りやすく、人と会うこともできるようになるからです。主な取引先の方とも連絡がつきました。

コンタクトレンズと眼科の従業員の皆さんの安否も、だんだんとわかってきました。幸いなことに、震災により直接的に身体に被害があった方はいないことがわかり、一安心しました。

まだ一部の人は連絡が取れない状態で、避難所にいるか、自宅から離れてどこかへ身を寄せている人もいるようでした。

≫1/17中央区学校体育館内部(提供:阪神・淡路大震災『1.17の記録)

一人一人の連絡をつけるにしても、従業員スタッフは、院長や社長がどこにいるのかわからないので、お互いが連絡が取りにくい状態にあります。そこで、中間の誰かのところへ連絡を寄せ合ってそこから中継してもらっています。

普段であればすぐできることが、電話回線がつながらなかったり、行方を捜す方法がないことにより、心配はずっと続いています。


有馬から三宮に出てみました。

三宮の街を歩いてみると、崩壊したビルがたくさんあり、以前の街の様子が大きく傷ついているようです。崩壊した建物から何かが落ちてくることを心配して、ヘルメットをかぶっている人も数多く見かけます。

それでも街には露店が並んでいました。民力の力というのでしょうか、自然発生的に食べ物を売る屋台が出ています。

センター街を見て回ると、落下したアーケードは既に撤去され、アーケードのない空が見える状況に変わっていました。街を歩く皆さんは、寒さに防寒着を着て、口にマスクをし、背中にリュックを背負い黙々と歩いています。

(写真追加)


これからすることは移転先の確保です。知っている限りのチャンネルを利用して、空いているビルの中で店舗となる場所を確保しなければなりません。まず、社長である私が顧客、取引先、従業員、コンタクトレンズメーカー、金融機関、近隣の方々に対して、再建を始めるという意思表示を伝えていくことから始まります。

大震災に遭って、倒れている中から起きる事が出来る人が、まず立ち上がる。そして、コンタクトレンズを求めている罹災した人たちに対して、レンズの供給とサービスの提供を始めなければなりません。これを意識して、まず「私がやります」と意思表示をすることによって、支援を得ることができます。

噂では、全国から神戸の市民に対して、援助物資やボランティアの提供が多く寄せられているようでした。

2005年1月11日放映NHKより

大阪にあるコンピューターのソフトハウスの岡本社長に連絡がやっとつきました。これから再建を始めるにあたり、我が社の顧客に対してメッセージを発信するために、まずはコンピューターの復旧から取り組まなければなりません。

震災当時に見た現場では、コンピューターは床に薙ぎ倒され、このままではきっと動かないと思いました。そこで、まずコンピューターが再度起動するためには、ソフトハウスの社長の協力が必要です。

岡本社長は神戸の震災に対して大変心配して下さり、なんとか駆けつけてコンピューターを使えるように復旧させてみるというお約束をいただきました。大阪から駆けつけてくださるそうです。一部は線路づたいを歩いて三宮まで来ていただくことになりますが、言葉では表せないくらいにありがたく感じました。



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