沖縄戦 アメリカ軍上陸地点は読谷の砂辺馬場公園

沖縄戦 アメリカ軍上陸地点 読谷の砂辺馬場公園には米軍上陸地モニュメントがあります。
 第112回沖縄訪問 その14】

沖縄戦

1941(昭和16)年に始まった太平洋戦争が終わる1945(昭和20)年、日本軍とアメリカ軍だ

けでなく、住民すべてをまきこんだ戦いが、沖縄では3カ月以上続きました。

この「沖縄戦」によってなくなった人は、アメリカ軍1万2,520人、沖縄出身者もふくむ日本軍

約9万4,136人、沖縄の住民9万4,000人といわれます。

読谷の海に上陸しているところの写真です

沖縄は、日本軍とアメリカ軍の直接の戦いが地上で行われた場所であり、この「沖縄戦」によ

って、子どもやお年よりをふくめた大ぜいの人たちが、犠牲となった島なのです。

この本は、恩納村の遺族会が発行しています

沖縄戦は、アメリカ軍が1945(昭和20)年3月26日、那覇市の西にある慶良間諸島(けらまし

ょとう)に上陸して始まりました。

アメリカ軍は、4月1日に沖縄本島中部、読谷村(よみたんそん)に上陸し、北と南に分かれて進

みました。南に向かったアメリカ軍は、日本軍の本部があった首里城(しゅりじょう)をめざ

し、軍を進めました。

中部および首里で行われた日本軍とアメリカ軍との戦いは、40日以上続くはげしいものでした。

5月下旬、日本軍は南部へ撤退しました。

第二次世界大戦では、終戦間近の様子です

沖縄は住民をまきこんだ激しい戦場となり、多くの人々が犠牲となりました。

沖縄戦が終わったのは、日本軍の司令官が自分で命を絶った6月23日といわれていますが、

その後も、いろいろな場所で日本兵の抵抗は続きました。

読谷の海に上陸しているところの写真です

そのため、日本軍が降伏文書にサインしたのは9月7日のことでした。

出典 沖縄県HP

写真出典 恩納村誌

 

沖縄戦アメリカ軍上陸地点 

沖縄戦、または沖縄の戦いは、第二次世界大戦末期の1945年、沖縄諸島に上陸したアメリカ軍

とイギリス軍を主体とする連合国軍と日本軍との間で行われた戦いです。

連合軍側の作戦名はアイスバーグ作戦といわれています。

連合軍の上陸地点の読谷の砂辺には、今はモニュメントが建てられていました。

砂辺の浜辺に行ってみます。

砂辺之龍宮神が祀られているところです。

砂辺馬場公園

ポスターを見て分かったことですが、最近の第45回衆議院選挙では、8月14

日宜野湾市民会館に村山富市元総理が応援に来ています。

砂辺馬場公園

砂辺馬場公園がありました。

ここで、クレアちゃんと伊音ちゃんは遊びます。

砂辺馬場公園

子どもたちが遊んでいる間に、周りを歩いてみると、、ここが第二次世界大

戦でアメリカ軍が最初に沖縄に上陸してきたところだということが分かり、驚きました。

砂辺馬場公園

沖縄戦 米軍上陸地

沖縄本島の最初の占領地ということが書かれていました。

砂辺馬場公園

大変悲惨な戦争が、ここから始まっています。

砂辺馬場公園

それを検証するために、アメリカ軍が攻めてきているところと、日本人が逃

げているところをレプリカにしています。

砂辺馬場公園

民間人に向けて、軍隊は火器を向けています。

砂辺馬場公園

北谷町長の島袋雅夫さんが、1991年4月1日に宣言した銘があります。

ここがアメリカ軍が最初の上陸地点なのかと感慨深い思いがします。

砂辺馬場公園

沖縄戦は艦砲射撃で地形が変わった

米軍上陸地碑を読んでみると、艦砲射撃で海岸線も地平線も山も、地形が変

わるほど爆弾を打ち込まれたそうです。

砂辺馬場公園

1945年4月1日から、今日の2009年9月3日まで、およそ64年経過しています。

今では、第二次世界大戦の沖縄戦は風化しつつあります。

しかし、現実にここで激しい戦闘と殺虐があったことは事実です。

そのことを忘れないでと、モニュメントは伝えています。

砂辺馬場公園

今では浜辺の向かいには、マンションが2棟建っています。

砂辺馬場公園

公園も作られて、子どもたちが遊ぶように、整備されています。

砂辺馬場公園

クレアちゃんと伊音ちゃんは、とてもご機嫌です。

砂辺馬場公園

「こんな子どものための遊ぶ場所が、前兼久にあったらいいね」と、金城正則さんと千賀子さんが言っていました。

砂辺馬場公園

海岸線までには、広い芝生が続き、かなり向こうに、海が少し覗いて見えます。

砂辺馬場公園

馬場公園のシンボルである、馬の滑り台です。

砂辺馬場公園

いくつかの遊戯施設があり、それを一つひとつ遊んでいる間に、一時間ぐらいはあっという間に過ぎます。

砂辺馬場公園

遊び道具や広場があれば、子どもたちはしばらくは夢中になって遊び、大人が相手をしなくても、ぐずらずに、

機嫌良く時間を過ごすことが分かりました。

砂辺馬場公園

それが家だと、走り回ると何かに当り、遊び道具も少なく、子どもを夢中にさせるものが足りないことが分かりました。

砂辺馬場公園

「砂辺の浜之歌碑」もありました。

砂辺馬場公園

近くにあったらいいなと思える公園です。

砂辺馬場公園

エイサー祭りは、祖先の霊を迎える鎮魂のお祭なので、第二次世界大戦でこ

の地からたくさんの亡くなった方の慰霊には、エイサー踊りの太鼓を打つ絵

が解け合っているように見えました。

砂辺馬場公園

公園で遊んだ後は、恩納村に帰ります。

砂辺馬場公園

 

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2009年9月3日(木)

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