与論民族村では、オーナーの菊千代さんから、茅葺きの屋敷を維持する難しさを聞きました。素材の茅と茅職人はどんどん減っています 第102回沖縄訪問(14)
与論民族村では、オーナーの菊千代さんから、茅葺きの屋敷を維持する難しさを聞きました。素材の茅と茅職人はどんどん減っています。
【恩納村前兼久から南へは豊見城市・糸満市・南城市、北へは与論島を駆け回りました その14】
百合ケ浜を見た後は、浜辺の近くに並ぶお土産物屋さんを覗いてみました。
12月の浜辺を訪れる客はいませんが、それでもお店を開いて、お店の貝細工を見て行くように、誘われました。
一件の店に入って、何となく並べている珊瑚のネックレスなを見ていると、お店のおばあちゃんが星の砂をくれました。
「私が作ったから、どれも安いよ」と言っていても、人件費の安い南の国から輸入していることを知っているので、聞き流しています。
今日、泊まる「星砂荘」にチェックインに訪れました。あいにく、ご主人は留守でした。
その間に、「星砂荘」の近くの観光施設に行きます。
歩いて行けるぐらいすぐ近くの与論民族村です。ここは、前に来たことがあります。そのことを片山正喜さんに話しました。
「サトウキビを絞るため、牛がグルグルまわる作業の場所がありますよ」と言ったら、片山正喜さんは、「そんなことはない」ということですが、どうでしょうか?
片山正喜さんの方が詳しいので、松葉博雄の記憶間違いかなと、思って見たり、「確かにあった」と自信を持ってみたり、まずは確かめてみましょう。
数年前、片山正喜さんは、与論民族村の経営者の方に沖縄からパパイヤの苗を持ってきて、植えたそうです。
どれだけ大きくなったか、片山正喜さんもパパイヤの成長を気にしていました。それが見事成長して、今年は台風もなく、たくさんのパパイヤの実を付けています。
民族村は民営です。与論の昔の家、沖縄の文化、奄美群島の文化を今も残しています。
茅葺き屋根の維持は、素材の茅を集めることと、茅を屋根に葺く茅職人が集まらないので、葺き替えが大変です。
与論民族村の入場券は400円です。松葉博雄は有料で、片山正喜さんは、馴染みなので顔パスです。
民族村を一つひとつ屋敷を巡り、歩いているうちに、記憶が戻ってきました。確かに、サトウキビを絞るための、牛がまわる施設があるはずです。
中庭には、バナナが実っています。
窓から覗く屋敷の中には、昔使った機織り機がありました。
見つけました。サトウキビを絞る機械です。
牛がグルグルまわってサトウキビから砂糖きび液を絞ります。そして、黒糖を作ります。
米蔵倉もありました。以前、与論島では、二毛作で米が取れたそうです。そのときに、米を収納した蔵です。ネズミが来ないように、高倉にしています。
昔の酒や米などを貯蔵する倉庫です。
戦後、沖縄と与論が分断されたときには、パスポートが発行され、沖縄からは泡盛が入らなくなった時期があったそうです。
与論民族村を経営する菊千代さんは、時代とともに消えていく、琉球時代の家屋や農耕具、漁業具などを収集し、保存しています。
与論島だけでなく、沖縄本島から木造のお家を移築しています。
文化財としての価値が注目され、本にも掲載され、紹介されています。
オーナーの菊千代さんと片山正喜さんは、お茶を飲みながら、昔話に移り、松葉博雄が知らない昔話に、笑いこけていました。
確かに貴重な文化財です。
民族村の歩道を案内に沿って歩いてみると、先日の朝日会バス旅行で見た「おきなわワールド」の「王国村・城下町」と同じように、今では壊されてしまった、台風にも耐えた、強い作りの民家です。
下の写真は、30年近く前に、松葉博雄が与論民族村に来たときの写真です。今と比べてみても、あまり変化がありません。
よく手入れして保存できています。変っているのは、民族村にいる人たちの世代でしょうか。
2008年12月2日(火)