恩納村前兼久の開拓地に、山城興善さんの畑があります。沖縄訪問記念に、パパイアの苗を記念植樹しました 第96回沖縄訪問(6)
恩納村前兼久の開拓地に、山城興善さんの畑があります。沖縄訪問記念に、パパイアの苗を記念植樹しました。【花粉症のない沖縄では、くしゃみ、痒み、目の涙などの症状は出ません。お天気と体調が良ければ、初夏の野外活動に一足飛びです その6】
ムーンビーチホテルで昼食を頂いた後は、またホテルに帰ってきました。
ホテルから見るムーンビーチの海では、今日はたくさんのシュノーケリングのお客さんや、ダイバーのお客さんが、真栄田岬の方に集まっていることが分かります。
ウィンドサーフンも走ってます。ちょうど本土で言う、と5月くらいの気候でしょうか?初夏のような感じです。
ホテルで読書をした後は、少し近隣ドライブに行くことにしました。奥さんはちょっと体調が悪いので、ホテルで休んでいます。
まず最初に、恩納村の前兼久の集落の裏にある、山城興善さんの畑に行ってみました。
ちょうど、畑に山城興善さんがいました。山城興善さんが、「パパイアを植えたので、一つオーナーになりませんか?」と言われたので、松葉博雄は1本のパパイアの木を頂きました。
記念植樹になります。まず、周りを耕して、有機肥料を埋めます。有機肥料をしっかり埋めていれば、パパイアの実は、しっかりなるようです。
鍬で穴を掘って、有機肥料をドラム缶に入れて運んできて、木の周りに埋めます。こうしておけば、およそ1年もすれば、パパイアの実がなるそうです。楽しみです。
山城興善さんの畑は広いので、朝日会の人も、何人か畑に野菜を植えてる人がいます。
記念の杭を打ちました。ちょうどその時、片山正喜さんがやって来たので、写真を撮ってもらいました。
畑は、まだまだ広いので、あれもこれも植えたらいいと言われましたが、腰が痛くなるので止めておきます。
今日、山城興善さんにお聞きした話は、沖縄開拓の物語です。今から50年以上も前の話ですが、国有地を恩納村に払い下げ、恩納村が各集落の人たちに開拓を奨励した時期がありました。
その時は、誰がどれだけ開拓するかは、自由だったそうです。しかし、土地は、使わなければ荒れてしまいます。沖縄の土地は、夏は暑くて仕事が出来ません。
赤土だったり、岩がゴロゴロ散らばっている山土だったので、米を作ることもできまでん。水がないので、十分な作物ができません。更にやっかいなのは、せっかく作った果物は、台風やカラスにやられてしまいます。
野鳥が果物が熟れた頃やってきて、突いてしまうことです。そのために、ビニールハウスを作って、野鳥から作物を守る方法しか、方法はありません。そんな話を聞いて、次の畑を見に行きます。
次は、金城正浩さんのパッションフルーツのビニールハウスです。金城正浩さんは、ちょうどビニールハウスの中にいました。
今、パッションフルーツの袋掛けがいっぱい出来ています。毎朝、ビニールハウスに来てみると、たくさん実の入った袋が枝から落ちているそうです。
落ちたパッションフルーツを集めて、自宅へ持って帰って、しばらく置いていると、熟れてくるそうです。苗は植え替えます。
次の苗木は4月か5月に作るそうなので、パッションフルーツの苗木を頂くことを約束しました。
パッションフルーツのビニールハウスの温度は、昨日は30℃まで上がったそうですが、今は25度です。
暑過ぎてもダメです。台風が来れば、ビニールハウスは風で飛んでしまう可能性があります。
沖縄の農業は、自然災害との戦いです。畑の周りをぐるっと一巡した後、朝日会に寄ってみましたが、朝日会にはまだ誰も来ていません。
もう一度、車でホテルに戻って、しばらくホテルで待機です。
夕方になったので、そろそろ朝日会に出かけます。朝日会では、鍋でジャガイモを煮ています。
どうやら、今日も、海に出て、漁をしていなかったようです。皆さんと、飲みながら、話を聞いていました。
朝日会の人たちが、方言で話しているときには、さっぱり意味がわかりません。
この後、今夜も、金城正則さんのお家にお邪魔しました。
今夜も、泡盛がどんどん減っていきます。皆さん、強いです。
仲程學さんも途中からやってきました。とても仕事が忙しそうです。金城千賀子さんは、テラジャーの貝を使ったおすましを作ってくれました。
貝の外側には、海草の苔が付いていて、へらを使って、苔を削ぎ取る作業は、根気のいる作業で、見ていて大変なことがわかります。
料理は、手間暇かけると、美味しい物が頂けます。
テラジャーのおすましは、とっても美味しかったです。
今夜も、酔っぱらってしまい、金城利絵ちゃんとクレアちゃんが、車でホテルまで送ってくれました。
ご馳走様でした。
2008年3月22日(土)