完璧な太陽が地平線に沈む頃、人の気持ちは不思議な情緒的な気持ちに包まれてしまいます。

投稿No:7794

恩納村の西海岸では、毎日太陽が海に沈んでも、完璧な夕日を見る事は稀です。 第166回沖縄訪問(11)

 沖縄に来ていて、夕暮れをこれまで何百回と見てきても、太陽が水平線上に沈んでいく様子を、雲に遮られることなく見られることは、極めて少ないのです。

太陽は水平線に沈むときは、どこからともなく雲が流れてきて、太陽を塞いでしまいます。

今日の夕日は、珍しいほど完璧な夕日です。

恩納村は西海岸に面しているので、多くの地点で夕日が沈んでいく様子を見ることが出来ます。

朝日はうんと早く起きないと、日が昇る様子は見ることが出来ませんが、夕日なら眠い目をこすらなくても見る事が出来ます。

夕日を見ながら、ビールを飲むのは格別な味わいがあります。

恩納村のムーンビーチ沖に夕日が沈んでいく様子は、感動的でもあります。

以前、渡名喜島に渡ったときは、恋人の丘があって、

「夕日に向いて この丘から 二人の愛を誓い 祈れば 必ず願いはかなう」

と書かれた展望台がありました。

完璧な日没の瞬間は、二人で見れば、愛が叶うという気持ちが自然に湧いてくるほど感動的なのです。

渡名喜島で見た夕日は完璧ではなかったのですが、今日の恩納村の夕日は完璧な夕日です。

あまりにも綺麗な夕日なので、急いで奧さんも呼んで一緒に見るように声をかけました。

奧さんも、ホテルのベランダに出てきて、手すりに腕を置き、体を寄りかけながら、一緒に夕日を見ています。

今日は年末の大晦日の日没ではありませんが、なんだか感動的です。

4月の清明祭の頃の風は、北風は南風に代わり、外の気温もどんどん上昇し、夕暮れの時間帯でも外気は寒くありません。

これから太陽の季節が始まります。

気温が上がり、日照時間が長くなり、海で遊んでも野山で遊んでも、寒くない季節です。

今日の完璧な日没は、これから始まる太陽の季節の始まりのようにも思えます。

太陽の季節には、屋外での出会いが思わぬ所で起きてきます。 

昨日まで知らない者同士が、太陽の季節になると、長い縁の始まりになったり、夕日を見て感動的な気持ちなり、つい将来の誓いまでしてしまうかもしれません。

夕日とは不思議なものです。

人の気持ちを変えてしまったり、感動的な気持ちにしてしまったり、情緒的なものの考えに包み込んでしまうこともあります。

はっきりと太陽が沈んだら、短い非日常的な時間は終わり、部屋の中に戻ると、日常的な生活に戻ります。

2018年4月8日(日)


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