沖縄本土復帰35周年記念日の前日のニュース 第86回沖縄訪問(9)
沖縄本土復帰35周年記念日の5月15日を控え、前日は、テレビも新聞も復帰の頃と今でも続く基地の問題が中心のテーマでした。【沖縄本土復帰35周年記念日は、5月15日です。日本プロゴルフ選手権大会が沖縄で開催されました その9】
「かんなタラソ沖縄」で水泳と食事を楽しんだ後は、朝日会です。朝日会には、夕方6時を過ぎてから行きました。6時と言っても、まだ明るいです。
あまり人影が見えません。雨が降った後なので、テントの中のテーブルの上には、水が入って、テーブルが濡れていて、片づけがされていません。
まず、これを片付けて、今夜の準備をします。食材は、見当たりません。さぁ、こういうときは、どうしましょう?
松田光正さんがやってきて、車に積んでいるサバイバル用の非常食を出して、これを温めて、まずは、最初の食べ物を出してくれました。
ご飯とか、焼き飯のようなものでしょうか?そういう加工済みのものをパックしてあって、それをアルミパックでそのまま温めれば、熱々のご飯が出来ます。購入先は、アメリカ軍のキャンプの中のストアーのようです。
7時ごろ、冨着勝弘さんが刺し網をするということで、松葉博雄も乗せてもらいました。冨着勝弘さんの船は、冨着勝弘さんが自分で作った船です。この小型船に乗って、サンマリーナの方向に出かけます。
前兼久魚港を出て、ムーンビーチを横切り、サンマリーナの方に行きます。サンマリーナのホテルのすぐ近くに、網を仕掛けます。
ここには、魚が周ってくるということを、経験的に分かっているようです。
刺し網をぐるっと囲い込んで、仕掛けをしたら、後は、明日、早朝に網を上げに来ます。
およそ30分もしないうちに帰ってきました。これで、一仕事です。
何もなかった朝日会の食卓に、冨着信常さんは、豚の心臓を持ってきてくれました。
この心臓を加熱して、原さんが裁きます。そして、この後、炒めます。
今夜もまた、金城正則さんのお家に行きます。昨日のすき焼きの材料を使って、今日は牛丼です。
それに、かき揚げ、今日の「かんなタラソ沖縄」で買った、宜野座産トマトの桃太郎を添えます。
このトマトは、桃太郎ということですから、水耕栽培だと思いますが、生産者は、宜野座村の農業支援者育成センターが作っています。
クレアちゃんは、アンパンマンの衣装を着けて、出てきました。アンパンマンの元気100倍です。
ご飯を作っている間に、クレアちゃんはいろいろと、思い思いのことをやってくれます。沖縄ですき焼や、牛丼というのは、あまりしないようなので、味付けを指導します。
さて、どうでしょう?沖縄本土復帰35周年記念日の前日のニュース明日、5月15日は、昭和47年(1972年)、沖縄が本土に復帰して、35年目の記念日です。
テレビを見ていると、NHKでも本土復帰35周年のことが報道されています。現在の沖縄が抱えている問題を特集をしています。
本土復帰することによって、今までのドルから円に変わったということが、報道されています。いろいろ変わった中で、アメリカ中心の文化が、日本の文化に戻ってきたということもあります。
35年前に生まれたその日の子供は、もう35歳になっています。まだまだ基地に関する問題がたくさんあります。
本土復帰を訴えた人たちは、戦前に日の丸の名の下に、戦争でたくさんの犠牲を強いられて、それでまた日の丸を掲げて、本土復帰というのは、大変矛盾があったということを、当時の運動家の人たちが指摘しています。
それでもなおかつ、苦い記憶もあるが、アメリカから本土復帰をしたいという気持ちが強かったということを、テレビの報道で伝えていました。
戦争は、人類が今までしてきたことです。国会では、安倍内閣が今、憲法改正の手続きが出来る段階まで進んでいますが、自由民主党がずっと掲げている問題です。
しかし、その背後には、アメリカの考えがあることを感じます。あの太平洋戦争で、何100万人の人が犠牲になったことが、60年たった今では、忘れられていくのでしょうか?
沖縄に来てみれば、沖縄の人たちが、過去に苦しんだことと、今でも本土とは違った基地の問題で、苦しんでいることが分かります。嘉手納の上空では、話し声が聞こえないほど、金属音の鋭いジェット戦闘機の音が、頭上を飛び去って行きます。牛丼を食べながら、今日の沖縄本土復帰35周年の記念日を過ごしました。
2007年5月14日(月)