沖縄の豚料理、戦後の初任給 第77回沖縄訪問(6)
沖縄の豚料理、伝統民話、戦後の初任給などの話で盛り上がる
【沖縄本島台風第3号直撃! その6】
世界遺産登録の勝連城跡を訪問した後、朝日会に来ています。
沖縄は台風3号を警戒して、船は陸(おか)に上げています。ムーンビーチの観光用の船も陸に上がった船になっています。海で見ると、そんなに感じないのが陸に上がると随分大きく見えます。
今日の朝日会のメニューは、台風の為、海に漁に出られないので、豚の塩漬けをいただいています。
豚の塩漬けは、昔、冷蔵庫が無かった沖縄の時代には、お正月にしかいただけないほど、とても貴重な食材でした。一頭の豚を余すとこなく、料理に使い、保存には塩漬けにしていました。
今は、冷蔵庫のお陰で、いつでも豚肉を家庭で使うことが出来ます。
今日の様に、魚が使えないときは、豚料理をします。今日の豚肉は脂身ばかりに見えますが、食べてみると脂気が少なく感じます。塩漬けをしてたせいでしょうか?
昔の沖縄の話です。今の様に、テレビが無い時代です。そんな時代には、文化がどのように伝わるか、興味ある話がありました。
人情話や、武勇伝を芝居にして、おもしろおかしく話を作り、村々を回る村芝居がありました。その人達が自分たちの作った話が、芝居を見る人には、それが本当だと思っていました。そこで、一つの話が、村芝居の演出によって、幾つもの別のストーリーに替わって伝わっていきました。
後から検証してみると、事実と違う話になっていたり、誇張されすぎてきた様で、おかしいのではないか、ということが一杯あったそうです。これも、それぞれの村の文化の違いを作る原因だったようです。
山城理愛さんのお兄さんが、昔の話を聞かせてくれました。戦後間もない頃の沖縄の人たちの初任給は、アメリカドルで20ドルの時代がありました。
それが、大きなタンカーに乗る乗務員になると、120ドルになり、一航海すると、数ヶ月かかるので、途中船ではお金を使うこともなく、貯金が出来たそうでした。
おまけに、英語が上手になり、世界の港に行くことが出来て、視野が広がり、とても良かった様です。その代わりに、嵐の時の船酔いは、半端ではない船の揺れで、食事は、食欲が無くなり、ただ、ただ、横になっているだけがやっとの時もあった様です。
今日は、戦後まもなくの沖縄地方のお話を、現地の体験談として、お聞きしました。
そうこうする中で、台風3号の接近を伝える雲が早い速度で動いています。
野菜も、豚肉と合わせて調理しています。今日の野菜は、アカモウイ(赤毛瓜)です。皆さん、これを「キュウリ」と呼んでいます。
沖縄特有の瓜で、キュウリの仲間です。皮は赤いのですが、果肉は白色で味はあっさりしています。シャキシャキとした歯ごたえが炒め物や漬け物にするとおいしいのです。本土の瓜とよく似ています。
先ほどの豚肉がなくなったので、アカモウイとシーチキンの和え物を作ってくださいました。
朝日会の後は、恩納漁港の近くにあるホテルムーンビーチを見に行きました。ホテルムーンビーチの設計は吹き抜けやピロティを多く取り入れたリゾート思想で、フランクロイドライトの影響を受けているような造りがあちこちに見受けられます。那覇市の国建設計(国場建設)という会社が建てました。
ホテルのような大きな建築だと、設計と建設はそれぞれ別の専門の会社がやることが多いのですが、ホテルムーンビーチは自社設計です。どこか東京の有名な設計事務所が関わっているのかと思ったら、これだけのデザイン、設計を自社でしたとは思いませんでした。
ムーンビーチホテルの吹き抜けのあるロビーには、海水を使って、池を作り、熱帯魚がすぐ、手が届くところに泳いでいます。
小さな海カメが見られることもあります。
ホテルの部屋に戻ると、テレビで、天気予報を確認してみます。
台風3号が接近しています。テレビでも刻々と変わる状況を説明しています。
どうやら、沖縄本島直撃の台風3号が、松葉博雄の居る恩納村を目指して、刻々と迫っているようです。
2006年7月7日(金)