沖縄恩納村から読谷村までの歴史街道探索 第75回沖縄訪問(6)
沖縄恩納村から読谷村までの歴史街道探索、真栄田岬の絶景、亀甲墓、「サンエー」で生ビールを!
【第75回沖縄訪問:沖縄恩納村朝日会で焼肉、鰹つり、歴史の道と「やんばるの空と森」 その6】
2006年5月沖縄滞在3日目のことです。今日のお天気は、良く晴れた暑そうな海の輝く朝でした。
恩納村から読谷(よみたん)に続く歴史の道があります。ここを松田光正さんが案内をしてくださるとのことで、ホテルまでわざわざ、朝、誘いに来てくれました。
なかなか、このような沖縄の古い土地の文化に触れる機会がないので、ご一緒させていただきます。松葉博雄と奥さんが、松田光正さんの運転する車に3人で同乗して、ホテルを出発します。
最近、文化庁が発掘した、沖縄恩納村の歴史の道です。これは、昔、まだ、すべての人が徒歩で街道を歩いていた時代の歴史の道です。
今と違って、街道は海辺よりも山や、丘を越えて高低差のある平たくない街道のようです。街道には石畳を敷き、階段を石で組み、地道は狭く、山裾に沿った細い道があります。
文化庁の手により、発掘調査され、最近は埋もれた状態から、発掘し、沖縄の古い文化を訪ねる事が出来る状態にしています。
松田光正さんのお話では、太平洋戦争の時、沖縄は大変な悲惨な戦場になりました。米軍に追われて逃げるとき、土地の人たちは米軍から逃れるために、道を隠し、追われないように、逃げ道を塞いだ事がありました。
その後、戦争が終わった後も隠された道には、草や木が茂り、新しい車が通ることが出来る道が建設され、かつて、土地の人たちが利用した旧道は、一旦歴史の中に埋もれてしまっていました。このままでは、朽ちてしまうことを憂慮し、文化庁は歴史を掘り起こし、今は一部でも往事の道を歩くことが出来るようになりました。
石畳の階段は、苔が付き、湿った状態であれば、とても滑りやすく、足下に気をつけないといけません。松葉博雄は、それを知らないで下りの階段で、不覚にも滑ってしまい、おしりを石の階段で打ってしまいました。白っぽいズボンを履いていたので、左側のおしりの辺りに、シミが残ってしまいました。。洗うと落ちるでしょうか?
朝日会の会員の饒波(のうは)棟重さんのお家の近くまで、歴史の道を辿っているときに行きついたので、ちょっと、車を降りて、饒波棟重のお家を訪ねてみました。
饒波さんのおうちのすぐ傍には、睡蓮の花が咲いています。お家の裏には、畑があり、野菜が植えられています。ミニトマト、島らっきょう、じゃがいも、にんじんなどが、広い畑に所々残っていました。
前兼久から、読谷村歴史の道をドライブしていると、真栄田岬の辺りでは、小高い丘になっていて、ここからは向こうの方に残波岬が望めます。
この辺りには、山賊が出て、道を歩いている人が、頭に物を乗せて歩く習性を読んで、少し高いところから、頭の上の荷物を引っかけて頂戴する盗み方がありました。
道幅が狭く、どうにも避けられないような場所の崖の上で、山賊は旅人が、村人が通りかかるのを待っています。突然、盗られた人はきっと驚いたと思います。文化庁の恩納村の歴史の道に掲示されている資料は、真栄田の御侍毛は琉球王朝時代を伝えています。
今では、重要な街道でなくなったこの辺りには、日当たりが良いので、畑になっていて、パイナップルが栽培されています。
パイナップル畑から見る、残波ロイヤルホテルです。
こんな所に牧場があり、馬が柵の中で餌をはんでいました。
観光牧場のようで、お金を払ってお願いすれば、馬に鞍を付けて、乗せてもらうことが出来ます。
人の少ない所には、祖先を祭る沖縄のお墓が多く見られます。少しでも、耕地を使わないように、お墓は、崖の下や、日当たりの悪いところに作られていました。
松田光正さんのお話では、沖縄のお墓の作り方には、第一期、第二期、第三期があるとのことです。第一期は、洞窟の隙間に少し蓋をしただけの簡単なものです。
第二期は、洞窟が大きくなり、蓋も大きくなりました。個人の墓から一族(門中)の墓へと進化していっています。
さらに、墓は平地や、斜面に移り、もっと大きな規模に拡大され、お墓の形も女性の特徴を象徴するデザインへ変わってきています。
沖縄の代表的な、亀甲墓です。元々は、女性の子宮を表しており、死んだら出たところに帰るという事のようです。
沖縄には崖の下に洞窟のようなところが沢山あり、今では洞窟は駐車場や涼しい保管場所になっています。
真栄田岬に行きました。今日は大潮の日で、潮の干満の差が大きく、普段潮水をかぶっているところが、潮が引いて、歩いて遠くまで行くことが出来ます。
とても遠くまで浅瀬になっているので、土地の人は、潮干がりに家族で行くことがあります。かなりの獲物があります。
貝類、逃げ遅れたタコ、小魚、海草などが、沢山獲れます。
ムーンビーチとは違う景色です。
高台から見る景色は、海辺から見る景色とも違って、岬の作る緑と珊瑚の奇形が、動物の形に見えたり、人の顔を連想させるような面白さがあります。
風が強いようで、帽子もしっかり被っていなければ、風に持って行かれそうです。
お昼ごはんは、「サンエー」の経営するレストランでいただきました。
沖縄の定食は400円~600円くらいで、美味しい物がお腹いっぱい食べれるほど充実しています。
松田光正さんが、禁酒中なので、これをいいことに、松葉博雄はお昼から、またまた、ビールを、オリオンビールを、よく冷えたオリオンビールをジョッキーに、なみなみとついでもらい、オリオンビール生を、暑い日差しのヤシの木が少しだけ風にそよぐ日差しを見ながら、いただきました。
今この写真を見ても、あの時の、冷たいオリオンビールを思い出してしまいます。