人の宿も、4泊すれば、去るのが寂しくなります。
人の宿も、自分流の使い勝手を、元に戻して返します。 宮古島ツアー 第140回沖縄訪問(20)
人の宿も、良い思い出ならまた来たくなり、人の宿も自分の宿に思えてきます。
尾崎紀世彦の歌に「また会う日まで」があります。二人が暮らした部屋を出るにあたって、ドアを閉めて、表札の名前を消して、別れていく内容の歌です。
松葉博雄の場合は、せっかく宮古島に来て、なんとか慣れてきた『あったかや』を、今日で去っていく、辛いようなセンチメンタルな胸中です。
今朝で、自分で作る朝ご飯の4食目です。回を重ねるに従って、ますます手抜きになっています。
今日の朝ご飯で、何かをしたと言えば、せいぜいインスタントの味噌汁を作ったくらいです。インスタント味噌汁の中には、生卵を落として、一応の栄養バランスを考えました。
マルハ いわしみそ煮缶詰は、缶を開けるのも面倒になり、横に置いたままです。
4日間寝泊まりした、6畳の部屋です。帰る直前なので、少し片付いていますが、直前までは大変な散らかりようでした。
荷造りは、段ボール箱にありったけの物を詰め込んで、神戸に送りました。これで帰りは楽になりました。
なぜ部屋の中が片付かないかといえば、手荷物の食べ物、飲み物、衣類、観光資料、iPad、充電器、潜水用具と水着など、広げていたほうが便利で、布団から手を出せば、すぐに近くにあれこれあった方が便利だからです。
こういう生活方法を『男やもめに蛆がわく』といいます。その反対が『女やもめに花が咲く』といいます。
あったかやの廊下は、綺麗に磨かれています。部屋のドアを閉めると、これからフロントに鍵を返して、この宿を出て行きます。その前に、まだ行っていない屋上へ行ってみます。
お天気が悪かったせいで、雨が降っていたせいで、屋上に出ていませんでした。あったかやの屋上から見る近隣の景色です。
屋上から見ると、海が意外と近い事が分かりました。
屋上の広さも広いことが分かりました。夏ならここでビアガーデンが出来そうです。
向こうの方に2本の煙突があり、あれは火力発電所です。あの発電所の近くに立ち入り禁止の場所があり、そこならきっとヤシガニがいるに違いないと目星をつけて、危険な道を通って、初日の夜に仕掛けをして、ヤシガニの捕獲に挑んでみたところです。
あったかやの元のオーナーの家も、直ぐ間近に見えます。
なんと、屋上の出入り口の廊下の部分に、天体望遠鏡がありました。
(↑あったかやの天体望遠鏡)
思わぬ所で、知ってる人に会ったときのように、こんな所に、我が社に置いている天体望遠鏡とよく似ている天体望遠鏡に出くわし、驚きました。
(↑我が社の天体望遠鏡)
我が社の天体望遠鏡は、元ボシュロムの加藤陽一さんが担当者だったときに、社長預かってください!と言われ、以来長年にわたって、事務所でお預かりしています。
(↑我が社の天体望遠鏡)
三宮のネオンのまぶしい場所で、天体望遠鏡は活躍する機会がほとんどありません。天体望遠鏡は、やはり、宮古島のようなネオンのないところでこそ、使用価値があるものです。
部屋を片付けて、ドアを閉めて、鍵をフロントに返して、これであったかやとお別れです。精算は前払いで、初日に渡しているので、オーナーがフロントに居なくても、取りはぐれはありません。
宮古島空港から、那覇に出発するまで少し時間があるので、近辺で見落としている観光名所を探します。
悪名高い人頭税石です。この石の高さにまで、子どもが成長すれば、子どもから租税負担者に変わる基準の石です。内地では明治維新の後、租税方法が変わったにもかかわらず、沖縄は1903年明治36年まで、昔通りの徴税が続いていたそうです。
沖縄の徴税の厳しさは、琉歌にも読まれ、語り継がれた厳しい徴税でした。そのため、人減らしもあったそうです。
2013年2月18日(月)