宮古島の吉野海岸 吉野海岸の景観を守る、遠竹さん(吉野のおじさん) 第140回沖縄訪問記(17)
宮古島の吉野海岸 吉野海岸の吉野のおじさんのテント村に。 宮古島ツアー 第140回沖縄訪問(17)
宮古島の吉野海岸
行ってみました、吉野海岸の景観を守る、吉野のおじさんの話を聞きに。
お天気が良いときは、沖縄は沖縄らしくなります。これから東平安名岬に行ってみます。
宮古島の観光スポットの一つです。
途中、美しい景色を見つけました。
珊瑚礁のリーフの内側に集落があり、港を造り、ここから船を出し、リーフの外に出て大きな魚を捕ります。
行ってみました、東平安名岬に続く、人家が少ない、昔のままの自然が残った沖縄に行ってみました。
こんな自然の景色は、このまま昔のままでいて欲しい気持ちになります。
さらに先に行ってみると、日本通運野球部の沖縄合宿練習が見えました。
スローガンは『前進』です。
『勝つための集団へ』と横断幕に書かれてあります。
経営学的に考えると、集団では一致団結は難しいと思います。
集団から組織へ移行すれば、勝つためのチームとして、一致団結を唱えるのではないでしょうか。
吉野海岸に行ってみました。
吉野海岸の通称吉野のおじさんが居るかどうか気になります。宮古島に来る機会は少ないので、是非会いたいと思い、もう一度会いに行ってみました。
14時頃吉野海岸に着きました。今日はとってもいい日和です。
太陽の輝きで、吉野海岸の砂浜は白く輝いています。
吉野海岸に降りていくスロープを車でゆっくり走り抜けると、そこは吉野海岸の入り口です。
片山正喜さんも同行して、吉野のおじさんに会いに行ってみます。
浜辺に降りて左側の方に進むと、2000年と2004年に吉野海岸に訪れた時と同じ場所に、吉野のおじさんの青いテントが見えました。
今日は、吉野のおじさんがいました。
お久しぶりです。私が一昨日残していった名刺を見たそうで、今日、突然、松葉博雄が現れても、どなたでした
かね?と、言われることはありません。
この場所には、松葉博雄の次女が、仲良しの友達、島ちゃん、圓光ちゃんを連れて、3人で訪れています。
2004年以来なので、色々積もる話もあります。
この近くの自宅から、毎日、吉野海岸にボランティア活動の為に出勤しています。
インターネットのブログにも、吉野海岸の吉野さんで検索すると、沢山記事が出ているそうです。
吉野海岸の吉野おじさんの通称で、自分自身でも、100人の仙人が集まろうと呼びかけているそうです。
遠竹さん(吉野のおじさん)の考えは、街の人が癒される田舎造りです。
都市は社会的には豊かであっても、メンタル的には貧しくて、心を病んだ都会人は、田舎で癒して、また街に戻ればいいのです。
しかし、街の人がここに来て、永住しようと思って沖縄に行ってみても続きません。
実際に移住してきても、2~3年もすれば、また街に帰ってしまう例を見てきたそうです。
移住よりも、長期滞在型の『癒しの仙人村』が理想のようです。
吉野海岸の吉野のおじさんが、吉野海岸で採取した珊瑚の枝を使ってネックレスを作り、吉野海岸に来る人来る
人に声をかけて、ネックレスを差し上げているそうです。
その数は、年間1万本にもなるそうです。
すごい数のネックレスを作り、これを一人一人に声を掛けて、心を込めて差し上げています。
もっともっと色々話す事があったのですが、片山正喜さんもいるので、少しの会話で、これからよろしくお願い
しますということで終わりです。
電話番号の交換をしたので、後は連絡はつきます。
松葉博雄も、社内広報誌の『さんぷら通信』を沢山渡しておきました。
この吉野のおじさんが吉野海岸の浜辺を綺麗にするお陰で、吉野海岸は毎日綺麗です。
もし、海岸の掃除をしなければ、海流に乗って近隣の外国から、あるいは日本の広い地域から、漂流物がどんどんやって来ます。
でもこの吉野海岸で、吉野さんがあれこれすることに対して、やっかみとかヤキモチとか、或いは、ジェラシー
を抱く人もいるようです。
下の写真は、2004年の時のテントから吉野海岸を写した写真です。
風に揺られて、ビンが珊瑚とふれあって、綺麗な音を出しています。
こんな、心を癒される景色に、当時癒されました。
風はどこから吹いてくるのでしょう。
風は、目に見えて、耳に聞こえて、吹いてくるでしょうか?
風を感じようとすれば、風を受ける、見える物から、風を感じる事になります。
2013年2月17日(日)