ハブに注意。渡名喜島のヤシガニは、ハブが生息する地域に住んでいます。ヤシガニは見たいし、ハブは怖いし、どうしようかな?民宿となき 渡名喜島訪問記(2)
ハブに注意。渡名喜島のヤシガニは、ハブが生息する地域に住んでいます。ヤシガニは見たいし、ハブは怖いし、どうしようかな? 民宿となき 渡名喜島訪問記(2) 第120回沖縄訪問(4)
ハブの島 渡名喜島港に上陸
渡名喜島に上陸すると、
船から片山さんの車が港に横付けされていました。
どれだけの人が降りるのでしょうか。
晴れた空、静かな海です。
係の人から切符をよこせといわれました。
無いといったら探せといわれました。
探したら出てきました。
港には昔の改造した船が泊まっています。
久米島行きの船は出て行きます。
船尾のほうはまだ離れていません。
ぐるっとまわってターンしたら離します。
ハブの島 渡名喜島で 民宿となき 探し
さて、11時、これから民宿を探します。
片山さんはインターネットで民宿の予約をしたものの、
民宿の名前がわからないということで、
目当ては黄色い建物の民宿ということを目印にします。
最初に寄ったところは民宿となきです。
一軒目で当たりました。予約した民宿はとなきでした。
この島で一番古い民宿です。
ハブに守られているヤシガニ
民宿の食堂には「ヤシガニ」の標本が飾っています。
松葉博雄はヤシガニ研究会の会員なので、
ヤシガニのことが気になります。
こんなに大きなヤシガニがどうしてここにあるのか、
民宿となきの奥さんに尋ねてみました。
このヤシガニは、家の近くで捕獲して、那覇に土産に持っていくと、
那覇の人は、こんなに大きなヤシガニは今に珍しくなるから、
食べるより、剥製にしたほうが良いよと言われ、
食べるのを止めて、剥製にして、持って帰ったそうです。
確かにその後、ヤシガニはだんだん減少し今では、
これほど大きなヤシガニは島では見つかりません。
ヤシガニが生息している地域には、ハブが生息しています。
ハブがいると、人は近づきません。
そこで、ヤシガニはハブに守られれいる共生関係にあります。
ハブは廃屋に潜んでいます
民宿となきの向かいには廃屋があります。
ここは、人が住まなくなって、
木が茂り、雑草も深く茂り、ハブに
とっては、とても住みよい環境にありました。
家の周りの防風林の石垣は、
ハブには隠れやすい場所でもあります。
民宿の奥さんが、一番に言った言葉は、
渡名喜島ではハブがよくでるため、注意といわれました。
民宿のおかみさんの名前は桃原さんです。
ハブの島 渡名喜島を探索
部屋のカギをもらい、
荷物を部屋に置くと、さて、これから島を回り
ます。人が住んでいるのはごく一部の地区です。
まず最初のほうは島尻の方向に向かいます。
島の人口はおよそ500人と聞いています。
この島の文化の特徴を探していきます。
渡名喜島は、港が西側にあります。
港の左側(北)と右側(南)に山があります。
渡名喜島港から、反対側の東の浜には、
歩いて600メートルぐらいで横断できます。
形は、蟹が手を広げたような形です。
つまり、右手が展望台のある南の山で、
左手は西森園地展望台のある
の山です。最初に見た絶景は、昔の歩道です。
今は、埋め立てられ、車もすぐ傍に入れますが、
昔は、岩のわずかな幅に道をつけ、
すぐ前は海で、たとえ夫婦でも、たとえ親子でも、
並んで歩くこともできない細道です。
後に続く人が、波にさらわれても、
助けることができない険しい地形です。
そんなことも今は昔で、名残の荒々しい岩が残っています。
この道のことをアマンジャキ・シュンザと言います。
浜辺には、もずくの養殖が見えます。細い道です。
岩と海の間に少し埋め立てをして道を作っています。
そして残ったぶんを少し水を残してそこに魚が泳いでいます。
海水と自然水の汽水になっているんでしょうか。
片山さんが確かめに降りてなめてみると甘塩だということです。
塩ほどからくはないけど、水よりはからいということで甘塩です。
進みます。ほとんど人のいないところです。
キレイな自然が広がっています。
島尻岬の方向に向かいます。所々に、展望台があります。
ここでは、カワラナデシコが有名です。
風が強い島です。
観光客用にさじきどうがひかれています。
名前は島尻毛散策道(ボードウォーク)です。
これだったらハブに襲われることは無いでしょう。
向こうには、慶良間諸島が見えます。
島尻のの浜辺のほうには断崖絶壁で降りられません。
わずかな林道を車で上がっていきます。急な斜面です。
ナデシコの写真がとれました。たくさんナデシコがありました。
まとめ
絶海の島 渡名喜島には自然が残っています。
その一つはヤシガニです。
ヤシガニがいる環境は、自然環境が荒れていない証でもありま
す。ヤシガニはハブと共生関係にあるので、
ハブもたくさんいることがうなづけました。
2010年7月9日(金)