奥藤酒造郷土館:赤穂市坂越の地酒 奥藤商事の「忠臣蔵」~

こんなところへ行ってきました。奥藤酒造郷は赤穂にあります。赤穂で有名な地酒は、奥藤酒造郷土館です。

奥藤酒造郷土館に来ています。

赤穂といえば、塩田でしたが、

今は赤穂と言えば、

忠臣蔵と奥藤酒造郷土館です。

坂越の「海の駅」でいっぷくした後は、

今度は、赤穂の地酒を作っている

奥藤酒造郷土館に行く事になります。

奥藤酒造郷土館で造っている地酒は、

その名も赤穂浪士で有名な「忠臣蔵」です。

奥藤商事では、毎年、地酒の仕込が始まるのは、新米ができて、気温が冷え込む晩秋から始まります。

店の前にバレーボールよりも大きな丸い玉がぶら下がっています。

これは、杉の葉を束ねたもので、

古くから造り酒屋の看板として使用されてきたものです。

一般に「酒林(さかばやし)」と呼ばれていますが、

地方によっては、杉玉(すぎだま)、

酒箒(さかぼうき)、

酒旗(さかばた)などの別名もあります。

奥藤酒造郷土館の路地を回ります。

少し路地に入ってみると、

白壁に黒塀の路地があります。

街並みは古く、白壁土蔵です。

奥まで覗いて見ると、

裏山に通じる道があります。

この裏山に登ってみました。

山の中腹には、壊れかかった苫屋(とまや)があって、

このの奥藤酒造郷土館の

地酒屋さんが古いことがわかります。

塀を積むのも、瓦に粘土を積んで塀を造っています。

これも古い造り酒屋のお金をかけた造り方です。  

小高い丘の中腹から、酒蔵を見てみました。

今どき、重い瓦を屋根に乗せて、

これだけどっしりとした屋敷造りが残って

いるのは珍しく、

赤穂市が奥藤酒造郷土館の保存に

力を入れる意味もわかります。

もう一度降りる道です。

上るときに見えなかった景色が、

坂を下りるときには、別の感じに見えてきました。

昔、小学校で習った

「みかんの丘」を思い出しながら、

坂を下りました。

誰かに、もし自分のお墓を選べるとすれば

どこがいいですかと尋ねたら、

海の見える、日当たりの良い、

小高い岡の上がいいと聞いたことがあります。

確かに、この降りる途中にお墓が並んでいました。

みんな希望することは昔から同じかなぁと思いました。

空を見上げて屋根を見ると、

去年の台風の為に、瓦が痛んだため、瓦を取り

替えたばかりで、白と黒の

コントラストが目にも鮮やかでした。

古いお家を維持する事は、たいへんな努力と

コストがかかる事がわかります。

 

奥藤酒造では、まだ造り酒屋をやっています。

杜氏(とうじ)は、但馬の方から来た杜氏さんが、

酒の仕込みを最近から始めています。

この様子をお店の従業員の方が話してくれました

。この酒蔵の古さは、元禄の時代からあるという事です。

残念ながら、古い銀杏の木は

台風の潮風によって、枯れたそうです。

この大きな銀杏の木が植わった頃が、

この酒蔵が出来た頃だという事です。

酒蔵の中に入ってみると、これから先は、

土足禁止という事だったので、入るのをやめました。

やはりこれは、雑菌が入るのを防ぐためです。

地酒の造り方についても、

奥藤商事のお店の方から色々聞きました。

清酒の等級は下から二級酒、

一級酒で一番高級なのが吟醸酒です。

これは、お米の外側を削って造るそうですが、

削り方は米の半分を研ぎそぐそうです。

上等な酒ほど、お米を深く削って作ります。

大吟醸ともなれば65%も削り、

削るお米の方が残ったお米より多いのです。

山田錦を使った大吟醸では35%の精白米、

それが、40%、50%、60%へ

と、削る比率が少なくなるほど、

お酒の等級は下がり、値段は安くなります。

1つの米から、半分ぐらいは取ってしまうそうです。

これは、今は外注して削ってもらっているそうです。

こちらのお店の一年間の生産量は、一升瓶で2万本です。

技術の伝統を守るためには、 採算だけでなく、

地域の協力がなければ、

壊してしまうことになります。

土蔵を壊してしまって、

あとでしまったもったいないな。

という例がたくさんあるそうです。

奥藤酒造店では、酒粕を購入する予定でしたが、

新酒が出来るのは来年のことなので、

酒粕は来年の1月の頃から販売されるそうでした。

残念でした。

赤穂 関連記事 アーカイブ

2005年11月17日