歴史的景観形成地区 岩座神(いさりがみ)の棚田 実習演習  淡路景観園芸学校⑩

投稿No:8809

歴史的景観形成地区 岩座神(いさりがみ)の棚田  

景観形成地区とは

景観形成地区は兵庫県の「景観の形成等に関する条例」

(景観条例)に基づく指定制度の一つです。

指定の対象となる兵庫県下の優れた景観の保全および維持

または創造をその目的としています。

指定の対象は「歴史的景観形成地区」、「住宅街等景観形成地区」、

「まちなか景観形成地区」、「沿道景観形成地区」に種別され、

また個々の地区に応じた景観形成基準(景観ガイドライン)が定められています。

出典 Wikipedia 景観形成地区

代表的な棚田の景観形成地区を実習見学に行きました。

歴史的景観形成地区 「日本の棚田百選」の岩座神(いさりがみ)の棚田 

景観園芸実習では、兵庫県多可郡多可町の岩座神棚田を訪ねました。

岩座神の棚田は「日本の棚田百選」にも選ばれていて、石垣づくりの美しい棚田は全国的にも有名です。

景観を守る意味を学ぶためには、岩座神の棚田は良い実習です。

園芸学校の実習なので、ちゃんと意味があるはずです。

棚田が美しかった、楽しかった、で終わらせてはいけません。

何のための岩座神の棚田見学だったのか、自分で調べて理解しました。

色々調べるうちに、講義との接点が見えてきました。

『岩座神の棚田は、およそ700年前、

地場産の石材を使用して作られたと言われています。』

出典 加美町岩座神地区 景観ガイドライン

歴史的景観形成地区 岩座神ネットに記載されていること

『岩座神(いさりがみ)は、兵庫県のちょうど真ん中あたり、

北播磨の山奥に存在する小さな集落で、

日本棚田百選にも選ばれた美しい石積みの棚田の里です。

戸数わずか20にも満たない、

高齢化が進んだいわゆる限界集落(存続が危ぶまれる集落)です。

けれども、私たち岩座神の住民は、先人が守り伝えてくれた棚田を貴重な遺産であると認識し、

この自然と調和した生活環境を誇りに思っています。

そして、これを大切に守って次の世代に引き渡すことが私たちの責務であると考えて、

行政・大学・ボランティア・都市部住民組織・NPO・企業などからの支援や協力を積極的に受け入れながら、

自分たちの知恵と労力を一所懸命に振り絞って、自律的な村作りの活動を展開してきました。

1997年に始めた棚田オーナー制度は、23年間続いた後、

2019(H31/R1)年度をもって休止しました。

しかし、棚田を守る取り組みはたった今も継続して進行中です。

私たちは岩座神を「抵抗集落」と呼んでいます。』

出典 岩座神ネット

歴史的景観形成地区 岩座神(いさりがみ)の棚田 実習演習 

なるほど、と思いました。

つまり「景観維持問題」です。

今まさに、私たちが講義を受け、勉強していることでした。

岩座神の棚田は、地域としてこれ以上の発展が非常に難しい限界集落において、

700年以上受け継がれ、守られてきました。

その美しい棚田の景観をいかにして存続させるのか、というものです。

詳細な地域の特色を盛り込んだウォーキングマップも作られています。

歴史的景観形成地区 岩座神(いさりがみ)の棚田 棚田とは?

『棚田(たなだ)とは、傾斜地にある稲作地のことで、急傾斜の山岳斜面上に、

現在でいう棚田が、特に西日本を中心に多くつくられました。

その際、伝統的な石垣構築の技術を生かし、少しでも収量を増やすため、

棚田の畔(あぜ)や土手(どて)の部分(土坡、どは)は、

極限まで収量を上げるために急な傾斜に耐えられる石垣でつくられました。

一方、東海地方や北陸地方以東の東日本は、

比較的広い沖積(ちゅうせき)平野に恵まれていた上に、農地開発の余地が大きく、

急峻な山地の傾斜面を切り開いて棚田をつくるまでに至らなかった

ところが多く、棚田はあまりつくられないか、つくられた場合でも畔や土手は

傾斜が緩やかな土盛りとなり、西日本とは対照的な棚田風景となったそうです。』

出典 Wikipedia

棚田は、特に西日本では、石高(こくだか)を上げるための苦肉の策としてつくられ、

次第に美しい景観として認知されるまでになったのです。

しかし、現代では日本中隈なく流通が発達し、コメの需要は減る一方で、

多くの農地が失われつつあり、棚田もその例外ではありません。

歴史的景観形成地区 岩座神(いさりがみ)の棚田 石垣づくりのプロ集団「穴太衆(あのうしゅう)」

西日本は急峻な地形に合わせて多くの棚田が作られ、

急傾斜に耐えられるように石垣が組まれたという経緯があります。

そこで活躍したのが石垣を組む石工職人衆です。

その中でも、その技術の高さから全国を席巻したのが

「穴太衆(あのうしゅう)」です。

穴太衆は安土桃山時代に活躍した石工集団です。

自然にある石を加工しないままに積み上げ、

石垣をつくる「野面積(のづらづみ)」

という技法を得意とし、戦国時代、日本中にその名が知れ渡りました。

彼らがつくる石垣は非常に堅牢だと評判になり、

織田信長が安土城の築城時に召し抱えるなど、

全国の城づくりに大きな影響を与えたとされています。

ただ無秩序に積まれているように見えて、

比重のかけ方や大小の石の組み合わせに秘伝の技が潜んでおり、

地震に強く、豪雨に備えて排水をよくする工夫も備わっているそうです。

出典・引用 さんち ~工芸と探訪~

歴史的景観形成地区 岩座神(いさりがみ)の棚田の石垣

岩座神の棚田の石垣も緻密に組まれており、その堅牢さがよく現れています。

多可町からほど近いところにある丹波の篠山城や朝来の竹田城の石垣は、

いずれも穴太衆によるものですが、

岩座神の棚田が作られたのはもっとずっと以前の鎌倉時代です。

けれども、もしかしたら修復などに穴太衆が関わったかもしれないと思うと、

随分壮大な話になってきて、面白いと思いました。

最近、若い人たちの中にも、今まで見向きもされなかったようなことに

取り組んだり、興味を持つ人が少しずつ増えてきています。

グローバル化が進むにつれ、自分たちのルーツを世界に知ってもらったり、

自分たちの言葉で文化を説明する機会も増えました。

美しい日本の山間の景観に多くの外国の人たちが感動してくれますが、

守り続けるのは並大抵のことではありません。

歴史的景観形成地区 岩座神(いさりがみ)の棚田の日本的風景

11月の秋晴れの日、刈り取りも終わった棚田とその奥にそびえる山並み、

そして石垣のコントラストはまさに日本の原風景です。

この日本の原風景、すなわち「景観」を守るにはどうすればいいか、

地域と、サポートする人たちの取り組みはまだまだ続きます。

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2020年11月5日(木)

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