離島 ランキング外離島 伊平屋島 沖縄離島シリーズ(3)

投稿No:8697

離島 ランキング外の離島 伊平屋島 沖縄離島の旅を懐かしむ

離島 ランキング外離島 伊平屋島 静けさと爪痕

夏になれば、忘れえない思いがその胸に去来する人たちがいます。

伊平屋島は静かで平和な、穏やかな島という印象でした。

沖縄はかつて太平洋戦争の激戦地でした。

今、私たちはとても平和な暮らしを手に入れていますが、

戦争によって実に多くの命が失われた事実を忘れるわけにはいかないのです。

沖縄は美しく素晴らしいところですし、沖縄への旅はとても楽しいものです。

しかし、沖縄に来るといつも戦争についてふと考える時間が必ずあります。

夏が近づくと、そんな思いが湧いてきます。

今回の沖縄振り返りの旅は沖縄離島シリーズ第3弾、伊平屋島です。

離島 ランキング外離島 伊平屋島には、伊平屋号に乗って

伊平屋島は、山が連なる島です。

フェリーの伊平屋号に乗って、伊平屋島に行きます。

伊是名と伊平屋の確執?

伊是名島と伊平屋島はとても仲が悪いようで、

切符売り場も別、船も別々になっています。

伊是名島と伊平屋島は隣同士の兄弟島なのに、何故仲が悪いのか?

段々と明らかにしていきます。

伊是名島は第二尚氏王統・初代国王、尚円王の出身島で、

第一尚氏王統の最後の王・尚徳王は臣下であった尚円王を

王に推す家臣のクーデターにより王位を追われ、殺害されたそうです。

尚円王が即位して以後、伊是名島は別格の扱いを受けたそうです。

その当時の扱いの差が、この二つの島を仲違いさせたのでしょうか?

島の人に聞いてみても教えてもらえませんでした。

伊平屋島には平成20年7月1日から、

環境保全代のためにフェリー代に100円の環境税を課しています。

11時出港の伊平屋行きのフェリーに乗ります。

切符は少し安くなるので、往復切符を買いました。4800円です。

伊平屋号に乗るのですが、隣は伊是名島号が接岸していて、

途中まで同じ航路を通るのに、別々に船を運営しています。

伊平屋号は、運天港をゆっくり出港して行きます。運天港の波は静かです。

古宇利島にかかる古宇利島大橋の前を通って行きます。

これからおよそ90分の船旅です。

沖縄本島を離れると、少しずつ沖縄本島の海岸線が広く見えてきます。

船が減速を始め、島に近づいて来たことが分かりました。

がばっと身を起こし、島を見てみると、平たい伊是名島に比べると、山が連なる島のようです。

伊平屋島に入る前、伊平屋号は、島中にとどろくように大きな汽笛を鳴らします。

島の人達には、毎日の時刻を告げる、お寺の鐘の代わりの様な、ときの声になっているようです。

船はもう伊平屋島に着きました。ゆっくり船が入って行きます。

なんとも、ゾクゾクとする、興奮で胸が高まる思いです。

この島に、もし松葉博雄が初めて島外から来て、上陸する人だったとすれば、

まず島の人達にお願いして、水と食べ物と船の燃料を補給する事になります。

お礼の代わりに、船に積んでいる珍しい物を島の人にあげることになります。

アメリカの提督ペリーが沖縄本島に立ち寄った時も、

アメリカにとって沖縄は初めての島でした。


離島 ランキング外離島 ハブのいる島、伊平屋島

ハブのいる島、伊平屋島では、

夜道の石垣や草むら、朽ちた家屋、ハブの出そうな所に近づくと、

棒きれでも、紐でも、ハブに見えてきます。

伊平屋島は、「てるしの」の島と言われています。

伊平屋島のパンフレットには、伊平屋島に来て、

「帰る頃には、きっと伊平屋ならではの自然に

魅了されていることでしょう」と、表記されています。

さて、どんな島でしょう? 初めて訪問するお家に来た時のように、

初めて訪れる島には期待が高まります。この島には5つの地区があります。

村は伊平屋島(面積20.66km2、周囲34.23km)と、野甫大橋でつながれた野甫島

(1.06km2、4.8km)の2つの島からなり、

田名・前泊・我喜屋・島尻・野甫の5つの字に分かれています。

人口は1,405人、世帯数575世帯(平成21年7月)です。

船のデッキから見ると、山の間にダムが見えます。

伊平屋島は本島から離れたら離島です。島の人口は約1500人くらいです。

伊平屋号は、前泊のフェリー岸壁に接岸し、これから上陸です。

伊平屋島案内図を見ると、伊平屋島はタツノオトシゴのような形をしています。

神戸と那覇を結ぶ沖縄便で飛行機の窓から見ると、

この細長い山が背筋のように伸びた、

伊平屋島をいつか来てみたいものと、あこがれていました。

その憧れの島は、珊瑚礁に囲まれた緑の島です。

島の海岸線は白い砂浜に囲まれて、白い縁取りをしたような綺麗な島です。

さっき乗ってきた伊平屋号を岸壁から見ると、船腹には「がんばろう 日本!」と書かれ、

東日本大震災と福島原発事故からの復興を呼びかけているように感じます。

前泊港の港設備に、島の特産品である天然モズクが沢山集められて、

大きなポリバケツに仮置きされています。

離島 ランキング外離島 伊平屋島ではレンタカーで

まずはレンタカーを借りて、足を確保します。

 

タクシー会社の看板には、「歓迎ハブタクシー」と書いています。

ハブのいる島へようこそ!と、あまり嬉しくない形容詞です。

伊平屋島はハブがとっても多いそうです。

レンタカー会社に入り、車を借ります。

料金は、二日借りて8000円です。

レンタカー会社の女性の社員が言うことには、

本島のように自動販売機があちらこちらに置いてあるわけでないので、

海に行く時は、必ず自前の飲み物を用意しておくようにと、

アドバイスがありました。

これからレンタカーに乗って、伊平屋島の属島である、離島の野甫に向かいます。

野甫は離島でしたが、今は野甫大橋で結ばれています。

伊平屋島では、モズクの栽培が盛んなようで、漁港の空いた場所には、

モズク網が一面に広げられ、天日干しをしています。

 

離島 ランキング外離島 伊平屋島 憧れの離島 

沖縄航路の飛行機の窓から見た、憧れの離島 伊平屋島

そのまた離島の珊瑚礁に囲まれた白い砂の野甫に、やっと着きました。

集落をちょっと歩いてみました。昔風の防風石垣です。

早速史跡がありました。

男子禁制の神アサギ

沖縄航路の飛行機の窓から見た、憧れの離島 伊平屋島

そのまた離島の珊瑚礁に囲まれた白い砂の野甫に、やっと着きました。

集落をちょっと歩いてみました。昔風の防風石垣です。

早速史跡がありました。

大きなガジュマルの木が陰を作る広場に、神アサギがありました。

祝女の休息場所だそうです。

本島から派遣された祝女が、この場所で着替えをする為に、

軒をうんと低くし、外から見られないようにと、工夫された建て方です。

男子禁制の文化財なので、松葉博雄は好奇心が強くても、

身を屈めてくぐって中に入る事は許されません。

統一王朝尚氏の家祖 屋蔵大主を奉った神社 片隈(かたくま)神社

沖縄の統一王朝尚氏の家祖である、屋蔵大主を奉った神社です。

この伊平屋島では、とっても由緒ある神社です。

伊平屋島は、昔の行政区分では島尻郡です。

沖縄には、人が集まる所にはガジュマルの木が植えられ、

ガジュマルの木が木陰を作っています。

そこで、ガジュマルが大きく育つには、

広い敷地とか、公共の広場であれば、皆の為に木陰が作れます。

民宿野甫は、僕んちの家

橋を渡って野甫地区に入っても、「民宿野甫」の場所が分からないので、

通りかかった小学校の生徒に聞いてみました。

すると、民宿野甫は、僕んちとこだそうです。

民宿野甫を見つけました。芝生の広い民宿です。

宿の棟と、食堂台所用の棟の二つの棟が並行に並んで建てられています。

ラジオの音が鳴り続いていますが、どこに亭主がいるのか、

声を叫んでも誰も返事がありません。

亭主と連絡をとるには、食堂に書いてある電話番号に電話して、

連絡がつくようになっています。

電話をしてしばらく待っていると、

ランニング姿のおじさんが面倒くさそうな顔をして出てきました。

とりあえず大学ノートの宿帳に名前を書くように言われ

部屋の番号を告げられました。

宿帳に名前を書くと、すぐに、民宿の前の海で、シュノーケリングします。

ランキング外離島 伊平屋島 野甫の海 米崎海岸でシュノーケル

こんな透明度の高い海は、滅多にありません。とても美しい海です。

民宿野甫から道一つ隔てると、そこは白い砂浜の、明るいエメラルドグリーンに輝く、

野甫大橋の袂に広がる浜辺です。

正面の島尻の方向に大きな山があります。名前は、阿波岳です。

民宿野甫のおじさんから、野甫大橋の下は危ないから行かないように言われています。

この野甫と島尻の間、浅い海なので渡って行こうとすると、潮水の流れが速いので

渡らないようにとの注意を受けました。

 

米崎海岸 天然モズクがいっぱい

シュノーケリングをしていると、

綺麗な海の中には、天然モズクが沢山茂っています。

これだけ綺麗なモズクなら、商品価値は十分あっても、

土地の人は欲しい量しか採っていません。

それがモズクを守っているのです。

浜辺の近くの海流は、ほとんど流れを感じない程の緩やかさです。

期待したような大きな魚は見つかりません。

綺麗な珊瑚も99.9%は死滅しています。

こんなに離島に来たつもりでも、

石垣島や西表島で見るような、美しい珊瑚礁は見あたりません。

珊瑚の破片と、貝殻が打ち砕かれて、小さな砂粒になったような星の砂です。

打ち寄せる波も緩やかな波で、砂浜にいる時に小さな白い泡のような波を立てています。

伊平屋島の野甫岳から耳を澄まして風の音を聞くと、米崎海岸から波の音が、阿波岳から小鳥のさえずりが聞こえてきます。

野甫の島をゆっくり歩いています。向こうに見えるのは伊是名島です。

野甫島には、至る所にハイビスカスが咲いています。

島の人口は伊平屋島全体で約1500人ですから、

野甫島だったら100人ちょっとくらいでしょうか。

少しずつ標高が上がってくると、向こうの伊是名島が見えるようになりました。

沖縄の本島では、どんどん鉄筋コンクリートに立て替えられているお家も、

地方に行くと昔流の木造建築瓦葺きが残っています。

野甫の島は高い山が無いので、台風の時には島全体が強風にさらされる事と思います。

島の木々は緑豊かで、やわらかい若芽は、少しの風にでも身をくねらすような、

柔らかい踊りをしているように見えます。

風よけのために、珊瑚礁の岩を丁寧に積み重ねた石垣が残っています。

この石垣の一番下の段を積んだのは、いつの時代の誰でしょうか?

その頃は、この島はどんな島だったのでしょうか?

石垣に代ってブロック塀もあります。

ブロック塀の内側から、バナナの木が道路に伸び出ています。

台風のための石垣も、ハブにとっては絶好の住み家になります。

石垣の隙間にはハブが潜んでいて、夕方になって日が沈み、

涼しくなって辺りが暗くなると、ハブは出てきます。

野甫島の一番高いところに展望台があるので行ってみます。

わずか100mくらいの標高です。

この展望台の上からは、野甫大橋が見えました。

神戸から沖縄に来る時に、飛行機の窓から、

この伊平屋島を何度か見たことがありました。

そこに小さな離れ島があるのを見ていました。

前から行きたいなと思っていたところに、今日立っているのが感慨無量です。

飛行機から見る小さな島も歩いてみると大きな島です。

1万mの高さから見ると、伊是名島と野甫島は、離れているように見えました。

このくらいの距離なら、泳いで渡るつもりでした。

実際には2つの島は橋で繋がり、その海峡は潮の流れが速くて、泳いで渡るのは難しいようです。

向こうの本島を見ています。本島と言っても、伊平屋島の本島です。

伊平屋島の沖縄に一番近い突き出した部分は、米崎海岸で砂浜だけのような岬です。

こちらから見ると、白い砂浜が長く続いていて、離島のように見えます。

 

 

離島 伊平屋島の民宿野甫の夕食

旅に出て、知らない所でゆっくり落ち着いて頂く晩ご飯は、

今夜はどんなものが出るかなぁと、

家では考えれないような期待感が募っています。

民宿は一泊2食付きで5,500円です。

沖縄の離島の民宿は、素泊まりで3,000~3,500円くらいです。

そうすると残りは食事代です。きっと美味しい物が出るはずです。

ところが、値段のわりには寂しいお料理です。

メインディッシュは魚のフライ、もずく、豆腐くらいです。

晩御飯が終わって、ちょっと一服すると、片山正喜さんに運転をお願いして、

ヤシガニツアーに行きます。

離島 伊平屋島でヤシガニ探索

ヤシガニが居るところにはハブがいるので、そう迂闊には進めません。

ヤシガニがいそうな所、ヤシガニが道路を横断するところを見るくらいしか、

安全にヤシガニを見る方法がありません。

と思っていたら、本当にヤシガニが道路にいました。

ところが、既に車に轢かれた無惨な姿でした。

与論島に行ったときのことを思い出します。離島の夜は、真っ暗です。

離島 伊平屋島で天の川が見えました

伊平屋島でも、集落から離れて、畑に来れば周囲は真っ暗です。

ここで車のライトを消して、頭上の夜空を見ていました。

神戸では見えない、天の川が見えました。

ガスの様な、煙のような、細かい粒子が流れを作るような天の川です。

こんな天の川を見るのは何年ぶりでしょうか?

残念ながら天の川は写真に撮れません。

離島 伊平屋島 

食堂に行きます。

朝ご飯は鯖を焼いたものと、ベーコンを炒めたもの、

あと味噌汁、漬物2切れ、何という寂しい食事でしょうか。

民宿野甫には、まかないに女性がいなくて、

おじさん2人が、献立を考えているので、難しい料理はしていないようです。

流行る民宿のイメージは、女将さんがお客さんの世話をして、

美味しい料理を作り、愛想を言って、又来たいなぁと、リピート客を育てます。

亭主は、仕入れや裏方の仕事をして、あまりお客さんの前には出ません。

むっつりしながら、気が向いたら夜になるとお酒を飲み始め、

客との話がボツボツ弾み、興に乗ってくると三線でも弾いて、

哀愁のある歌を聞かせてくれます。

これが、松葉博雄が抱く、正しい民宿のイメージです。

今日は、本島の一番北側にある灯台、その近くの無蔵水の辺りに行きます。

離島の野甫を繋ぐ大橋を渡ると、向こうは島尻です。

その向かいに大きな島が見えるのは、阿波岳です。

島尻を通って、これから北の方向に向かいます。

自然のままの、手を加えられていない素晴らしい景色が続いています。

島尻から我喜屋、前泊へと、どんどん進んでいます。

賀陽山は、島尻で一番高い山です。

そこから我喜屋の集落が広がり、次に前泊の高い山の腰岳へとつながって行きます。

神社がありました。お詣りします。

伊平屋島には、島尻と我喜屋、前泊、田名、野甫、の5つの地区があります。

伊平屋島には、大和文化の神社が多く見受けられます。

鳥居があって、一段高いところまで石段が続き、その先に神社があります。

この様式は、縄の神を祀る御嶽とは、様式が違います。

片山正喜さんと、何故ここに神社が多いのか考えてみました。

推論では、倭寇の影響ではないかと思います。

大和から、中国へ船を出しているときの中継地が沖縄で、

多くの倭寇の船が水や食べ物の補給、船の修理などで

沖縄の伊平屋島にもやって来て、大和の文化を伝えたのではないかと考えます。

そうすると、伊平屋島にとってみると、

沖縄では得られない、新しい武器が手に入り、それがこの島から、

統一王朝尚氏を生む下地になったのではないかと、考えました。

離島 伊平屋島の我喜屋ダム 水田がありました

一旦山に上って高いところから見てみます。

我喜屋ダムという、島唯一のダムでした。

伊平屋島は、伊是名島と同じ様に、水田が多くあります。

沖縄で水田耕作が出来るのは、水に恵まれている所だけです。

稲作が出来れば、兵を養うことが出来ます。

兵を養えば、近隣を浸食する事が出来ます。

こうして考えれば、伊平屋島は第一尚氏、

伊是名島は第二尚氏の出身地であったことも頷けます。


統一王朝の尚氏の始祖が、伊平屋島から出生した事です

伊平屋島の誇りは、沖縄統一王朝の尚氏の始祖が、伊平屋島から出生した事です。

第二王朝の始祖は、伊是名島の金丸です。

次に、大主の墓に行きます。大主の墓です。

沖縄には第一尚氏と第二尚氏の王家がありますが、

伊平屋島は第一、伊是名島は第二尚氏のルーツになっています。

従って、伊平屋島と伊是名島は、本家争いをしていて、とても仲が悪いのです。

あまり人が通っていない、荒れた道を辿り、浜に降りてみます。

片山正喜さんの判断では、与論島やフィリピンで見た、

ウミガメの産卵があった形跡です。

やったぁー!ウミガメの産卵場所を見つけました。

人気のない浜辺で、海から浜まで近く、外敵が少なそうで、

ここだったらウミガメが来ても、おかしくありません。

ウミガメの観測記録では、ウミガメは陸に近づくと、

顔を水面からあげて、周りの地形を見て、

産卵に適している場所かどうかを、判断しているようです。

海岸線から屋蔵大主の墓に進んでいます。

ハマヒルガオが一面に咲いて、とても綺麗です。

人が踏み荒らしていないので、自然のままです。

海が見える、日当たりの良い場所に、自分の眠る墓を自らが選んだのでしょうか?

それとも、生前の遺志に沿って、墓所に選んだのでしょうか?

絶景の場所です。ここまで一般の人は近づきにくく、

静かな眠りを願うには、絶好の場所です。

第一尚氏の始祖 屋蔵大主の墓、

険しい岩場の浜辺を進んで行くとありました。

屋蔵大主、第一尚氏の始祖です。尚王朝の第一期です。

お詣りが欠かされていないのか、新しいお供えも残っています。

風が強い断崖の、その風を防ぐ大きな岩を、

隙間を小さな石で塞いで、その奥に屋蔵大主のお墓があります。

振り返ってみると、手すりやコンクリートを使って、

屋蔵大主のお墓にお詣りしやすいように、整理されています。

来る道を間違えてたようで、ちゃんと整理された道を通れば、

そんなに険しい道ではありませんでした。

沖縄の一般の人は、昔の葬り方は、風葬でした。

岩の裂け目に、お祀りした跡が今でもあります。

ここに、屋蔵大主の墓があるから、

伊平屋島が沖縄の統一王朝の発祥の地であることが島の人にとってみても、

誇りになっているのです。

アダンの実が実っています。

アダンが実れば、ヤシガニや、ヤドカリが夜になると集まって来ます。

アダンの実は、熟すると、自然に下に落ちて、

落ちたアダンの実は、甘い香りを放ちます。

その甘い匂いに誘われて、ヤシガニやヤドカリがやって来るのです。


伊平屋島は何もない所です。あるのは豊かな自然です。

我喜屋地区の前泊港

水耕地帯があるので、野鳥も沢山飛び交っています。

島尻地区と我喜屋地区の境にある、屋蔵大主の墓をお詣りしたら、

次は我喜屋地区の前泊港に行きます。

離島ですから船が頼りです。

生活物資や人を運ぶ大切な役割はフェリーボードの伊平屋号が担っています。

伊平屋号は、出て行く所でした。

中学校の部活関係者が見送りをしています。

本島に遠征に行く選手の応援です。頑張れよと言っています。

前泊港の向かいに、民俗博物館があるので、

伊平屋島の歴史を学ぼうと思い、行ってみましたがまだ開いていません。

灯台のある、島の端の、北の方向に向かっていく途中に、また神社を見つけました。

どうもこの辺りに、地元の沖縄の神様より大和風の神社が多く見受けられるのは、

大和の影響でしょうか?

前泊集落センターの前を通っています。

島の各地区の集落には、住民の皆さんが集まって、

集会を開く事が出来る、上屋が整備されています。

ヤシカニの轢死体

少しずつ集落から離れて、村はずれに向かってる途中で、またまた発見です。

ヤシガニによく似たヤドカリが轢かれている姿を発見しました。

しかし、ヤドカリの貝殻はみあたりませんでした。

昨日に続き、今日も、道路にヤドカリが車に轢かれている事故の現場を見ると、

この島には、ヤシガニやヤドカリが沢山いることが分かります。

夜中に轢かれているんです。

ヤドカリは、海辺にも、陸にも生息しています。

ヤドカリは、繁殖時に海に出なければ、繁殖が出来ないので、

丘から海へ移動中に、車に轢かれる事もあります。

水田を肥やす有機肥料

県道179号線を北に走っていると、離島としては比較的大きな川があります。

田名を通った辺りです。

水の豊かな川があって、そこに平地があれば、稲作をする水田が拓けます。

黒毛和牛も育てられています。牛を飼うと、有機肥料が出来ます。

有機肥料は畑や水田を肥やします。

伊平屋島は稲作地帯です。ここだったら二毛作です。

沢山稲が穂をつけています。

沖縄としてはとっても珍しい光景です。

牧草の草を植えている所もありました。

柔らかい草です。風が吹くと風の波が立つほど柔らかい畑です。

伊平屋島は水田地帯があるので、稲作を学ぶ研修所がありました。

ここでは、田植えから収穫まで、稲の成長にあわせて、農業体験が出来るようです。


念頭平松もすごいけど、もっとすごいのは、クマヤ洞窟です。天照大神が隠れたとされる、伝説の岩です。

念頭平松はおよそ300年の松

中は広く、水もあり、ここでしばらくは過ごせそうです。

次に向かうのは念頭平松です。

緑の芝生に囲まれた念頭平松の周りには、

記念植樹をした人の名前が礎石に刻まれています。

久米島で見た五枝の松のような大きな松です。

久米島の五枝の松の250年に対し、

伊平屋島(いへやじま)の念頭平松はおよそ300年の松だそうです。

こちらの方が、およそ50年、年長です。立派な松です。

沖縄は台風の通過点ですが、台風の強い風に吹かれて飛ばないように、

横に広がって大きくなっています。

周りには池があり公園がありました。

水に恵まれていることが分かります。

池の真ん中には石の橋があり、どこか見たような中国式庭園です。

360度方向から念頭平松を鑑賞できるようにという配慮からか、

周りには障害物がなく、ぐるりと一周出来るようになっています。

 

ぐるりと廻ってみると、太陽の向きが変わると、

念頭平松の見え方が変わってきます。

逆行で見る念頭平松は、順光でみる念頭平松と違って見えます。

天照大御神の隠った 天岩戸

念頭平松を十分堪能した後、その後今度は、クマヤ洞窟に向かっています。

江戸時代の学者 藤井貞幹は、天照大御神の隠ったところという説を唱えているそうです。

すごい絶壁なのでちょっと行ってみましょう。良い景色です。

地中から、何億年も前の地層が隆起したようで、

太古の地球の成り立ちを感じさせる岩の層が、バームクーヘンを連想させます。

ひょっとすると、化石が見つかるかもしれません。

太古の時代に、地上を走り廻っていた、恐竜の伊平屋ザウルスかもしれません。

登り階段を登ってみます。

登り詰めたところに、洞窟ありました。

僅かな岩の裂け目があります。

本当に身体をよじらせて入れる程の狭い洞窟、入ってみます。

中は意外に広いです。

洞窟の奥の方に拝所、拝むところがありました。

天上からはポタポタと、自然水が落ちてきます。

特に、沢山水滴が溜まるところには、バケツで水を受けて、水を溜めています。

これが天照大御神の隠ったところでしょうか。

天井の岩からは雫が落ちています。

水が溜まる所です。飲んでみると、やや甘い水です。

入り口を振り返ると、入り口の方から砂が北風に運ばれてくる状況が分かります。

ああ、すごいなぁ。

これが海の中にあったら、片山正喜さん、この洞窟に入れますか?

という質問に対して、片山正喜さんは、仕事なら入るそうです。

ここで、今日現在、誰か宿泊している人がいるようで、

火を使った後や、料理中のコンロもありました。

今は不在なので、前の海で泳いでいるのかもしれません。

暗い洞窟に目が慣れてくると、あちらこちらの隅に、拝所があります。

拝所には、お供えがなされています。

夏でも涼しい洞窟です。夜になると、きっと真っ暗です。

ここで生活するのは、かなり冒険好きの人のようです。

江戸時代の学者 藤井貞幹は、この洞窟に入って、

これこそ伝説上の天の岩戸に違いないと確信したはずです。

でも、そもそも、天照大神の話しは伝説の部分が多く、

伝説上の天の岩戸があったかどうかも定かではありません。


離島 伊平屋島の久葉山は、ビロウ樹が山全体を覆う、珍しい景観です。

離島 伊平屋島の久葉山

ビロウ樹の葉は、風に吹かれると、誰かが囁くような、風の話し声が聞こえてきます。

クマヤ洞窟を出ます。暗いクマヤ洞窟から、

太陽の輝く洞窟の外に出ると、世の中が明るくなりました。

洞窟の中はとても涼しかったです。

これから灯台の方向、久葉山へ向かいます。

久葉山全体は、ビロウ樹の木に覆われています。

九州地区や奄美大島などの西南諸島に、

街路樹として植えられているビロウ樹はよく見ていますが、

天然自然に山中がビロウ樹に覆い尽くされている景観は、ここが初めてです。

久葉山を登り詰めていくと、その先端に、白亜の灯台がみえました。

離島 伊平屋島 クマヤ灯台

あれがクマヤ灯台です。綺麗な灯台です。

この辺りの雰囲気では、なんだか夜になるとヤシガニが出そうです。

もちろんハブも出そうです。

伊平屋島の灯台は無人のようで、灯台の門扉には鍵がかかっていました。

観光案内所によれば、ここからは与論島も見えるそうですが、

柵の上に上がって海上を見ても、与論島の島影は見つかりませんでした。

遠くが見えるのは、やはりお天気次第です。

この久葉山は、山全体をビロウ樹の木が埋め尽くしています。

天然自然にこれだけのビロウ樹が育っているとは驚きです。

ビロウ樹は九州宮崎の観光によく出ている木です。

山全体がビロウ樹で埋め尽くされています。

久葉山から下りて、今度は北側の浜辺の方に向かいます。

坂を下りて海岸線に向かいます。

先ほどの洞窟とは反対の方向です。ヤヘ岩の方向に向かっています。

海岸の細い道を通って行ける所まで行ってみます。

浜辺の行き止まりまで車は着きました。この先は車では進めません。

車から降りて、10mくらいの砂山に登ります。

砂山には夏草が茂っています。

ハマヒルガオの蔓は重なり合って、浜辺の砂を隠すように砂地を覆って、

緑の絨毯を作っています。

その絨毯のあちらこちらに小さな花が咲いています。

伊平屋島は村長さんの政策が良いのか、島の乱開発は慎まれています。

砂山から降りてもう一度海岸線を走ります。

今帰仁から押し寄せてくる兵隊を防いだと言われているヤヘ岩です。

今帰仁の兵は、どうしてあのヤヘ岩に拘ったのでしょうか?

ヤヘ岩が攻めにくかったら、避けたらいいのにと思います。

この話は本当かどうかは分かりません。

この辺り、牧場があるので行ってみます。

使い勝手の悪い山の奥に、牛を放牧して、黒毛和牛を育てる牧場を作っているようです。

海岸線から、山に登る道にルートが変わりました。


離島 伊平屋島は小さな島ですが、変化に富んだ島で牧場があります。

伊平屋島の牧場

伊平屋島には水田もあります。

ビロウ樹だけの久葉山もあります。

伊平屋島の浜辺から、少し丘陵地を車で上ると、牧場があります。

個人の所有する牧場なので、私有地の部分に入ると、

道路舗装はされていません。凸凹道です。

濁流が道路の土をえぐり、道路の土は濁流に流され、

凸凹は、はまると四輪駆動の車でさえ、

足を取られて身動きが出来なくなる恐れがあります。

人が来るのが珍しいのか、放牧されてる牛は、

一斉に車の進入を見守っています。

広い草原で飼われている牛は艶が良いです。

この放牧された牛は、フェンスを越えて道路にも侵入しているようで、

牛にとってみたら狭い牛舎から、例えハブに出会っても、逃げられるほど広い草原です。

阿蘇の草原に放牧された牛のようです。

鉄城門には微弱電流が通ってるようで、あまり浜辺の方まで、

牛が出歩かないように防御されています。

どんどん道が険しくなって、これ以上進むと轍にタイヤが取られそうです。

引き返します。

もう一度、平野部に出ます。稲作地のある所です。

収穫した稲を天日干しをしています。

天日干しをすると、お米の味がよくなります。

田名の方に戻って前泊の方に戻りました。

伊平屋島1500人の村役場

前泊の方が一番中心で、フェリーが着く場所、伊平屋島1500人の村役場がある所です。

フェリーの船着き場でお昼をいただきます。

船着き場の2階に食堂があって、大勢の人が来ています。

先ほど着いた船からも、伊平屋島の訪問客が、とりあえずここでお昼をとっています。

食事ところ みなと

松葉博雄が選んだ昼食は、焼肉定食です。お魚も付いています。

リーフ沖の深い所に入る予定なので、飲みたいビールは我慢です。

少々泳げても、海の波に逆らうわけにはいきません。

お酒を飲んで、波にのまれて、翌日の新聞に載るような事になったら一大事です。

伊平屋島の先端部分

食事をして、もう一度灯台の方向、久葉山の方向に行きます。

地図で見ると、久葉山は先端部分にあり、

地図の上の部分(北側)が目指す方向です。

片山正喜さんが、サトウキビの間の道を写真に撮りたいということで、

シャッターを押す役をしました。

この辺りも、水田が広がる地域なので、田んぼに集まる野鳥を威嚇するため、

あちらこちらに、案山子が沢山立っています。

どうやら、近くの小学校か中学校が、案山子コンテストをしたみたいです。

もう一度、朝来た岬に来ました。車を止めて水着に着替えます。

リーも海に入れて、暑さを凌がせるそうです。

トゲだった岩場なので、厚い靴底で歩かなければ足の裏が痛くて、まともに歩けません。

シュノーケルの道具を付けて、これから珊瑚礁の切れ目に向かって、

水中カメラを持って進みます。

伊平屋島で海に入る

冷たい海流の海

水中カメラを持って潜ります。

片山正喜さんの後を追いかけて、報道の記録係です。

海に入る場合、ウェットスーツを着ていると、浮力が付きます。

浮き輪を付けて泳ぐようなものです。

浮力があると、水面から深く潜って行く為には、

浮力が抵抗して、深く潜ることは難しくなります。

そこで浮力を相殺するために、鉛のベルトを腰に巻きます。

1個が2キロの鉛を3つか4つ、腰に付けると、潜るときは楽になります。

片山正喜さんも、松葉博雄も、今回は鉛を付けていません。

最初は浅い所から、徐々に沖の深いところへ目指して、

犬かきのように、這うように進んで行きます。

珊瑚礁の切れ目の所に来ると、そこから沖の新しい海流が、

やや冷たい水温の海流を入り江に運んで来ます。

ウェットスーツを着ていても、冷たい海水が背中を走るのを感じます。

いきなり水深15m程の深い岩場にやってきました。

ここの辺りから、海水魚らしい美しい魚が見えます。

大きな魚は、岩の奥や、岩の裂け目に潜んでいます。

その点、チョウチョウウオは、隠れることなく、ペアで泳いでいることがあります。

カスミチョウチョウウオの群れを見つけました。

カスミチョウチョウウオは自然界で泳いでいる時は、

頭部が黒褐色なのに、水槽では明るい黄色になります。

これも不思議です。

カスミチョウチョウウオは、珊瑚礁に付いた何かをついばんでいます。

熱帯海水魚を水槽で飼ってみると、珊瑚礁に付いた、

小さな餌の代わりになるものが無くて、餌に馴染まず、

何も食べなくて衰弱してしまうことがあります。

何でも食べる海水魚は飼いやすく、食べ物にこだわる海水魚は飼いにくいのです。

人間の場合でも、オリンピックの選手村には、各国の食文化に合わせて、

多くのメニューが用意されているそうですが、選択できるメニューが無ければ困ります。

これから潮が満ちてくる頃で、波の勢いは、段々と波高くなってきました。

伊平屋島でサザエを探す

片山正喜さんは、岩の裏側に隠れたサザエを探しています。

松葉博雄も、片山正喜さんを追いかけて潜ります。

都会の街で、偶然、美しいファッションに身を包んだ、

素晴らしい美人に出会った時のように、美人に目は釘付けになります。

目の前に現れたのは、モンガラカワハギです。

 

モンガラカワハギに出会うと、その美しさにハッとします。

モンガラカワハギを脅かさないように、見てない素振りをして、

目で追って、一瞬の出会いの喜びを噛みしめます。

モンガラカワハギは、松葉博雄のことに気がついたように、

不審そうな目で、「私に何か御用ですか?」と、尋ねるように、

方向を変えて、face to faceで、身構えています。

フウライチョウチョウウオのカップルが海の底の砂地か珊瑚礁か、

ポリープを突ついています。

一般にチョウチョウウオはペアで行動していることが多く、

どこで相手を見つけてくるのでしょうか。

一瞬見えた、50cm級の大きな魚の群れは、警戒してどこかに行ってしまい、

見えている魚は小さな魚ばっかりです。

珊瑚礁のリーフの切れ目にいたので、海流の通り道のようです。

ひと波で、20m位は押されてしまいます。こうなると、波には逆らえません。

先ほどとは違って、やや浅い所で、周りの魚を見る事にします。

浅瀬には、地上から照り輝く太陽が、波に波紋を作り、

波紋は海底の砂に模様が映っています。

浅い所にも魚がいるようで、時々魚の大群が目の前を横切っていくことがあります。

沖の方を見ると、片山正喜さんも波に押し戻されて、陸地の方に戻って来ています。

どうやら二人とも、シュノーケリングをする場所を、選び損ねたようです。

伊平屋島の海 浅瀬は海中温泉

浅瀬は、太陽の熱を貯めて、温水のようになっています。

まるで海中温泉です。砂地の海中温泉に、

暫く浸かって、温泉気分を味わうことにしました。

こんな、海中温泉に浸かったことを思い出します。あれは、鳩間島です。

離島 伊平屋島 満ち潮の波が高いので、ヤヘ岩の方向へ行ってみます。

 

船を使って沖に出れば、昔の沖縄の自然が残っている珊瑚礁も

近海に有るかもしれませんが、陸地から泳いで行って、

透明度の高い、美しい熱帯海水魚が泳いでいる珊瑚の海は、

もう離島に来ても、なかなかお目にかかれません。

これは例えていえば、外国人が日本文化を求めて、

昔の写真を連想して、女性が和服を着て、

男性が袴をはいて歩いているのを期待するようなものです。

これから入る海は、ヤヘ岩といって、

昔、今帰仁の軍勢から島を守ったと言われる城石のあたりです。

先程と比べると、満ち潮の潮の流れが見えない、静かな海です。

ヤヘ岩の海は海水魚がいっぱい

枝珊瑚の、無数の珊瑚枝の間に、小さなデバスズメダイと、ルリスズメダイが隠れています。

沢山のスズメダイの群れの中に、ミスジリュウキュウスズメダイも見えます。

こんな綺麗な枝珊瑚の周りを、しばし離れることは出来ず、暫くは見とれています。

そんなに深くはないので、大きな魚は見当たりません。

もっと沖の深いところに出て行かないと、変化に富んだ珊瑚礁はありません。

魚同士は、縄張り意識が大変強く、絶えず、

魚同士が窪みや割れ目の隠れやすい場所の縄張りを争いあっています。

少しでも外敵から有利な場所に身を隠したいからです。

充分に遊んで、陸に上がってみると、片山正喜さんは、

かなり前に海から上がり松葉博雄を待っていたそうです。

これから、民宿野甫に帰ります。

離島 伊平屋島 民宿 野甫へ戻る


海に入るとお腹が空くのです。

なぜ、海に入るとお腹が空くのかといえば、海に入って、

じっと立っていられない深さになると、両手・両足を

使って、ずっと何らかの運動をしながら、溺れないよう対策をしているからです。

この運動は水の抵抗を受け、消費エネルギーが高くなるのです。

伊平屋島の北側を海岸に沿って、ドライブしながら北から南まで、

縦走したようなドライブになりました。

民宿野甫に着くと、体に付いた海の潮を洗い流します

民宿野甫の屋外にあるホースは、

外で体を流すために自由に使えるようになっています。

水道の蛇口を開けると出てくる水は、水ともお湯ともいえない、熱湯です。

1本200円の沖縄のオリオンビール「麦職人」

自動販売機で1本200円の沖縄のオリオンビール「麦職人」を買って、

やや傾き始めた、まだ暑さの残る西日に体を乾かしながら、

白い野外用の椅子に座ってビールを飲みます。

よく冷えたビールは、ここだけの味がします。

ここだけの味とは、海での疲れを忘れさせる、沖縄の暖かい野外で感じる味です。

片山正喜さんは、サザエをいくつかとりました。

サザエの固い殻をハンマーで叩いて割り、取ったサザエを刺身にしています。

サザエのハラワタの部分は、今夜ヤシガニをとる時に、

ヤシガニを呼び寄せる餌として使います。

伊平屋島 民宿野甫の晩ごはんは期待できません 

夜は外食にします

民宿野甫のおやじさんは、今晩の食事の準備を始めています。

あまり、美味しそうなものは期待出来そうにないので、

今夜の夕食は、民宿でとるのをやめ、どこか島でとれた

魚を食べさせてくれるようなお店を探すことにします。

前泊地区

一番島の中心部は前泊地区です。

美味しいものは、中心部にありそうなので前泊地区に来てみました。

伊平屋島の最大のホテルは「ホテルにしえ」です。

ホテルにしえの前に車を停めて、村の食品販売店で、

どこのお店が美味しいか、情報を仕入れてみました。

ホテルにしえの中からは、綺麗な澄み通った歌声が聞こえます。

この曲は、どこかで聴いた曲だと、そうだ、「芭蕉布」です。

あまりに芭蕉布の歌う声が良いので、誰が歌っているのかホテルに入って探してみます。

ホテルのテラスには、泊まっている人の為に音楽を流していて、芭蕉布はCDでした。

予想通り、美味しい店は、伊平屋島の官庁街である村役場の近くにありました。

ここは、東京でいえば霞ヶ関です。村役場に集まる人の為に飲食店がありました。

前泊港の空き地には、伊平屋観光交通のバスが駐車しています。

これで島の観光案内をしてくれるようです。

伊平屋島 魚介料理専門店「海漁」

魚介料理専門の「海漁」が、島の人に勧められた専門料理店です。

松葉博雄は、片山正喜さんに運転をお願いして、

了解をいただいて、オリオンビールをいただきます。

なかなか料理が出て来ません。

どれだけボリュームがあるのか分からないまま、

一品料理を各自でお願いしました。

片山正喜さんは魚汁定食で、魚汁定食は美味しそうです。

オリオンビールの2杯目です。

ちゃんと真面目に、一杯ごとよく冷えたジョッキにビールを注いで、

霜柱が見えるような、見た目に美味しそうなビールです。

民宿野甫の夕食を止めて 魚介料理専門の「海漁」にして良かった

最初に頼んだ刺身盛り合わせが出来ました。

伊平屋島では1000円でこんなに沢山のお刺身が出ました。

注文したのは、梅肉あんかけ定食です。

白身の魚を油で揚げて、その後、梅肉あんかけで煮込んだ、手の込んだ料理です。

ふうふう言いながら、お腹いっぱい地元のお魚をいただいて、大満足です。

やはり、夕ご飯は民宿野甫を出て、地元の専門店で魚料理を食べて正解でした。

民宿野甫の料理は、値段にあっていません。

離島 伊平屋島 ヤシガニウォッチング

料理の海漁から、一旦民宿に戻って道具を揃え、

これからヤシガニウォッチングに行きます。

ヤシガニを捕獲するために、ヤシガニが寄ってくるように仕掛けを作ります。

21時頃です。ヤシガニの罠を仕掛けました。ヤシガニが食べるかどうか。

一時間ちょっとしたらもう一回来ます。

今回の伊平屋島でのドライブの途中で、

2度もヤシガニが車に轢かれているのを見たので、

伊平屋島にはヤシガニがいっぱいいるのが分かります。

ヤシガニがいると、次に問題はヤシガニの保護です。

どうやってヤシガニを保護しているのか、まだ分かりません。

これまでの島の人との会話で、ヤシガニの保護に関して島民の人の意見を聞いたところ、

ヤシガニは既に保護されているという意見もあれば、

ヤシガニを捕らえて食べようという意見もありました。

どちらが優勢な意見でしょうか。

片山正喜さんの協力を得て、ヤシガニがやってくると蓋が閉まるという、

単純な捕獲の罠を作りました。

一時間半ほどして点検に行くと、ヤシガニの罠の重しに使う石が落ちてしまって失敗でした。

もう一度、仕掛けをやり直して明朝点検に行きます。上手くいくでしょうか

離島 伊平屋島 2日目 ヤシガニの仕掛けを見に行こう

野生のヤシガニは獲れるかな


朝起きて、片山正喜さんが迎えに来ました。

昨夜のヤシガニの仕掛けを見に行こうということになります。

雨が降った後の爽やかなお天気です。

昨夜のヤシガニ捕獲の仕掛けを見に行きます。

伊平屋島には沢山水田があっても耕作されていない田んぼが所どころ有りました。

昨日仕掛けた、ヤシガニ捕獲の罠を置いた所に来ました。

周りに撒いた、サザエのハラワタで作った餌を食べていません。

中の反応を調べても、ヤシガニは居ないようです。

そう簡単に、野生のヤシガニはとれないということが分かりました。

もっと複雑な、確実な仕掛けが必要です。

ヤシガニ捕獲の罠を設置した所から、民宿野甫に帰る道で、

向こうの沖に伊是名島が見えます。

伊平屋島と伊是名島の不仲

伊平屋島と伊是名島は一衣帯水の仲です。

戦略論に、近くを攻めて遠くと仲良くという「遠交近攻戦略」があります。

近くは仲良くというのは理想であって、

昔から、天下を制覇しようと思えば、まずは近隣を従えています。

伊平屋島と伊是名島は、沖縄統一に向かって対峙していたのです。

民宿野甫の朝食 3日目

民宿野甫に戻り、朝食を頂きます。

今日も焼鯖とベーコン一切れ、味噌汁、お漬け物二切れ、ご飯、納豆です。

民宿野甫のリーフレットを見ると、料金は一泊大人5,500円です。

そして素泊まりであれば4,000円です。

伊平屋島の最大のホテル「ホテルにしの」の料金と変わりません。

食事代1500円を按分すると、500円が朝食代、

1,000円が夕食代ということが分かりました。

民宿の朝は、顔馴染みになると、お互いの今日の予定の情報を交換します。

沖縄本島に帰る人もいます。

民宿を出る前に、部屋の布団を畳んで、荷物を片付けた、2泊したお部屋です。

民宿の2つの棟は東西に長屋になっていて、

南向きのドアと北向きのドアの2つを風が出入りします。

しかし、建物が接近しているために南北の風が殆ど通りません。

とっても暑い部屋です。

さて、宿の精算が終わり、一泊5500円と、

二泊目は晩御飯を外で食べたので4500円となり、2泊で10,000円でした。

もちろん領収書も何も出ません。

さて支払いが終わったので、

これから13時の船までの間に少し時間があるので、また島内を探索します。

伊平屋島の南端、元々離島だった野甫地区の方を車で回ります。

伊平屋島のフィーフィーガマ

野甫地区のまだ見てない所に、観光案内書によれば、

フィーフィーガマという所があるので、これを見つけようとしています。

ガマとは洞窟、お化けがでる洞窟ということです。

野甫地区には、海に接する北側の海岸線には道路がないので、

どこからか海岸の浜辺に降りて、フィーフィーガマに行く必要があります。

その道を探しています。

どうやらここが海岸線に出る、道ではないかと推察する場所を見つけました。

夏の海は比較的静かですが、この場所は冬になると、

海から強い風が吹き上がり、とても歩ける道ではありません。

何とか崖の下の浜辺まで降りて、その先の道を探そうとしましたが、

潮が満ちてきて、歩いて行くと濡れそうなので、見るだけで中止です。

JAXAの地球観測衛星から見た沖縄の地形では、

伊平屋島周辺の島は、ひと泳ぎすれば、

すぐにわたれそうな距離に見えても、実際に来てみれば、

こんなに潮の速い、深い海があったのです。


野甫の島から、伊平屋の本島の方へ向かって車を走らせています。

伊平屋島の美しい海

伊平屋島は細長い島で、どの地区からも海が見えます。

もう一度、野甫大橋を見てみると、野甫大橋の途中から見る海峡の素晴らしいこと。

ため息が出るほどのエメラルドグリーンです。

ここに潜ってみたいといったら、片山正喜さんに、

沖縄の海は外から見るもんだと言われました。

中に潜ると、珊瑚は殆ど死滅しているからです。

白く見えるのは砂地です。

砂地に混じって、珊瑚岩が見えます。

水中眼鏡を着けて水中に入ると、風景が一変します。

きっと綺麗な魚も見えると思います。絵はがきになるような綺麗な絵です。

野甫の島と、向こうの伊是名島の途中に、具志川という無人島がありました。

憧れて、来たいな来たいなと、空から見て憧れて来て、

今、橋の上から憧れの海を見ているのです。

憧れの延長としては、この海でゴムボートを浮かべ、

海に潜ってはゴムボートに戻り、一服してはまた海へ入っていく、

そんな憧れの延長を橋の上からぼんやり考えています。

野甫から野甫大橋を渡って本島の方に行くと、最初が島尻です。

島尻にキャンプの施設があります。寄ってみます。

整備された綺麗な施設です。浜辺もあります。

向こうは具志川です。浜辺も綺麗です。

具志川にも行ってみたいなと思いながら見ているだけです。

ここは「いへや愛ランドよねざき」というところです。

「いへや愛ランドよねざき」を利用すると、キャンプ一泊1500円です。

沖縄本島の小学校や中学校が、臨海学校に利用するようです。

ここから先ほどの野甫を見てみると、ちょっと見落としていた、

山の上に、白い建物がありました。

あれは何だろうと今更気がついてもう一度、確認のために野甫に引き返します。

もう、この島に来るチャンスが無いかもしれません。

しっかり目に焼き付くように、周りの景色を一巡して、

記憶に留めようと、白い砂地の珊瑚礁の島を見直しています。

伊平屋アイランドの砂浜は、北側の浜辺は綺麗ですが、

南側の浜辺は、岩が磯焼けをしているような、やや黒っぽい焼けた感じでした。

太平洋戦争で、特攻隊で散っていった人達を慰霊する塔がありました。


神風特攻隊隊員の慰霊碑

野甫を離れ、久葉山の方向へ行くつもりが、

気になる建物を発見したので、引き返して、

野甫の真ん中辺りの山を上がっていくと、そこには予想もしなかった、

太平洋戦争で、特攻隊で散っていった人達を慰霊する塔がありました。

慰霊塔から見ると、真っ正面に、美しい具志川島と、白い砂浜が見えます。

そしてその上に沖縄の青い空が見えて、あの大空の向こうに、

御国のために若い命が散っていったということが顕彰碑に書かれています。

「雲湧きて 流るるはての 青空の その青の上 我が死にどころ」

昭和18年7月7日 古川正崇 旧海軍中尉 神風特攻隊

昭和20年5月29日沖縄にて特攻戦死。享年24歳。 と慰霊碑に記されています。

「雲ながるる果てに」と刻まれた、慰霊の塔には、慰霊の塔を囲む円形に、

特攻隊の隊員を模した若者の人形が、配置されています。

命(ぬち)どう宝

1945年 日本は戦に敗れました
健康で英知に富む若者たちは
海軍航空隊を志願し 散ってゆきました
彼らは 自分の未来に 何を夢見たでしょうか
日本の未来に 何を夢見たでしょうか
地球の未来に 何を夢見たでしょう
1990年 飯井 敏雄 書

大阪外語大出身の古川正崇君はこの歌を残し

昭和18年9月海軍飛行予備学生とな

昭和20年5月沖縄の海に特攻散華しました

この歌は学徒出身の海軍飛行塔乗員の心を代表するものとして

戦後白鴎遺族会(旧海軍飛行予備学生と遺族の会)発刊の遺稿集は

 

「雲ながるる果てに」の書名になりました

遺稿集の心で建立した「雲の塔」も同じ題に致しました

飯井敏雄

沖縄は太平洋戦争で激戦地

改めて思うことは、ここ沖縄は太平洋戦争での激戦地だったということです。

学徒出陣の若い命が、敵の船と引換えに、

神風という賞賛の名で散っていったのです。

松葉博雄の父も、太平洋戦争では招集され、軍医としてフィリピンに出征し、

補給路を断たれ、食べ物の無い中で、フィリピンの山中を彷徨い、地獄を見てきたと、

幼い頃父から聞きました。

戦争を直接体験した世代の人達が、どんどん亡くなっていき、

あの狂気の時代を伝える人が少なくなってきました。

門柱には、グンサナー森、白い家の玄関にはグンサナー屋という表札がかけられています。

グンサナーの意味は不明です。

奥の方に、また別のお墓がありました。

お参りをして、もう一度、今日の予定の方向に戻ります。

伊平屋島の一番高い丘の、向こうに見える、具志川島と大空に向かって、

夏の入道雲を見ると、あの大空に散っていった人達を慰霊しようという気持ちが伝わってきます。

平和な時は、沖縄はリゾートアイランドになりますが、

これまでの人と人、国と国の覇権争いの時代には、

沖縄は軍事上の重要な拠点になり、戦場となっていたのです。

 


沖縄の離島伊平屋島に行ったときの事です。

伊平屋島に橋で繋がった小さい島がありました。島の名前は野甫です。

野甫は、伊平屋島から橋を渡れば、一つに繋がっています。

搭乗員飯井敏雄中尉の生涯

飯井敏雄さんの生涯について書かれています。

飯井敏雄さんは、昭和20年5月10日慶良間島に集結した米国戦艦隊を襲撃する為に、

奄美大島の古仁屋基地から飛び立ちました。

飛行機は、水上爆撃機の『瑞雲』です。

250kgの爆弾を搭載し、

高度6000mより75度の角度で急降下、降爆可能です。

最大速度は450km、航続距離は2200kmです。

当時、世界に類を見ない高性能水上爆撃機でした。

ところが、与論島上空辺りで、米国軍の夜間戦闘機2機と遭遇し、空中戦になりました。

その後、伊平屋島上空で、地上から米国軍に捕捉され、

強烈なサーチライトを当てられ、幻惑され、目測できなくなり、

アメリカの軍艦に体当たりすることも出来ず、被弾を受け、

飛行機は海上へと墜落していきました。

幸い、部下と共に一命は取り留め、海上を漂い、

二人で伊平屋島を目指して、およそ30kmを12時間かけて泳ぎ切りました。

伊平屋島の800mくらい手前の永良部岩近くで力尽きていたところを、

浜辺の住民達に助けられました。

伊平屋島の島民に救助され、4時間後に蘇生したそうです。

島の人に命を助けられ、介抱を受けて元気を取り戻しました。

しかし昭和20年6月3日、日本軍が守備していない伊平屋島に、

米国軍が上陸、その兵力は、7000人とも1万人とも言われる大部隊でした。

このとき島の軍人は、飯井敏雄さんと、部下の二人だけでした。

飯井敏雄さんは軍人として、アメリカ兵と戦って、

戦死することを島民に強く求めましたが、島民の人たちとは

玉砕か、投降かで議論が長らく続いたようです。

飯井敏雄さんは、徹夜の激論の興奮の中、

ふるさとの父母姉妹の事がふと頭をかすめ、島の人達を道連れにし

て、軍人らしく死のうとするのは、誤った考えであることに気がつきました。

そして、持っていたピストルを土の中に深く埋め、

島の人達と同じように、島民となり、米国軍に降伏する道を選びました。

捕虜となったとき、名前を長男東江正人33歳と、

次男東江弘30歳と、称して、米国軍に届けました。

やがて日本の敗戦が決まり、伊平屋島にも日本の無条件降伏が伝わりました。

この後、飯井敏雄さんともう一人は、伊平屋島の島民となって、

伊平屋島の復興に協力することになりました。

終戦70周年をむかえて

写真の建物は、飯井敏雄さんが、伊平屋島に住んでいたときに、

米国軍と戦って亡くなっていった戦闘機の戦士達を慰霊する、

慰霊塔の脇にある建物です。

今は、人は住んでいませんでした。

 

沖縄には、本土からも近隣諸国からも沢山の観光客が訪れ、

平和な島に生まれ変わっていますが、島内をめぐれば、

いたるところに米国軍の基地がいまだ残り、空軍も海兵隊も駐留しています。

沖縄訪問で各地を訪れ、伊平屋島で移した写真から、

飯井敏雄さんの家族とも連絡がついて、知らなかった特攻隊員の話と、

その後の復興に協力した物語を知る事が出来ました。

このような埋もれた話を掘り起こして、記録して伝えていくことも、

一つの役割であると思います。


お昼の船便で伊平屋島を出港します。

それまでの午前中に、もう一度ドライブしています。

ドライブコースは、阿波岳を通って島尻を抜けて、前泊へ行きます。

前泊地区では、今日、日曜日は地区の人達がみな村の掃除をしていました。

子ども達が、神アサギの境内を清掃しています。

 

さらにちょっと行くと今度はダムがあります。

ダムに上がってみます。ダムのすぐ傍に牧場というか牛を飼っているところがありました。

仔牛が今から軽トラックに積み込まれてどっか連れていかれる所を見ました。

仔牛は嫌がって後ずさりをしています。

あのトラックに乗るともう帰れないということが何となく分かっているのかもしれません。

トラックに乗せる人は鼻を引っ張って牛を乗せようとしています。

辛い景色です。この牛はどこに連れていかれるのでしょうか。

もう仔牛はお母さんとも会えません。

ダムに上がってみます。大きなダムです。山と山の間を堰き止めて、貯水池を作っています。

我喜屋ダムです。このダムは、25m×13mのプールで、260杯分有るそうです。

高さは330mです。使用目的も書いています。家庭のお水にも使われます。

管理棟があります。立派な管理棟です。

このダムの周りをぐるっと車で一周して、展望台を探してみたものの、無いので、

このダムもこれで終わりです。

次は前泊の港の方へ行きます。

沖縄の夏は、本土よりも涼しいのは、時折大地を潤す、シャワーがあるからです。

突然シャワーは降り始めて、暫くすると、また青空が戻ってきます。

かき氷を食べたい

とても暑くなったので、片山正喜さんがかき氷を食べたいということで、

かき氷屋さんに寄ります。お店に人がいないので、本宅の方に行って呼んできます。

ここの奥さんは美容院もやっています。かき氷と美容院とやっているそうです。

お客さんがくると店が開きます。黄金のハブの写真がありました。

最近島で飼われている黄金のハブがいるそうです。

片山正喜さんは氷ぜんざい、松葉博雄はいちごです。

氷ぜんざい300円、いちご200円です。

せかせか食べていると頭が痛くなってきました。

ゆっくり食べないと危ないです。お店のおかみさんと色々話をして情報を得ました。

この伊平屋は以前は2000人以上の人がいたそうですが、

不景気で段々人が減っていって、今では1300人程度です。

伊平屋島には中学校までしか学校がないので、

高校に上がると、学生は本島の方に進学していきます。

そうなると、それぞれの家庭の生活は二重生活になります。

本島の向こうと伊平屋島のこちらと、2つに分かれて暮らすことになるので、

とても経費がかかるそうです。

 

前泊港に戻りました。伊平屋号の出発は9時と13時の一日2便あります。

13時の便に乗ります。前泊港には最近の人口調査の記録がありました。

伊平屋島の人口は、1329名です。(2011年の9月の統計です。)

野甫地区は男女合わせて110名で一番少ないです。

5つの地区があって、地区ごとに区長がいます。

人口の一番多いところは島尻地区と我喜屋地区です。

12時過ぎて、13時前、伊平屋号が港に入って来ました。

連休に入っているので沢山の行楽客が島に来ています。

帰る方が少ないくらいです。2泊したので、かなり島の事が分かりました。

前泊港からは、船に向かって、「また会いましょう」という横断幕を持って、

島の人が見送ってくれます。

曲が流れて、リズムに合わせて踊っているようです。さようなら、伊平屋島。

これから90分の船旅です。途中、デッキで寝ることにします。

デッキから見える景色です。一番左端に見えるのが野甫地区です。

野甫のさらに左に見えるのが、伊是名島です。

古宇利島が近付いて、古宇利大橋が見えて、運天港に入ります。

見えたら幸せ 彩雲

空に、彩雲が見えました。本島側から見て手前の方です。

彩雲は虹と比べても滅多に見ることが出来ません。

これは、とても運がいいです。

運天港には、大きな航空写真が掲示されています。

伊平屋島と伊是名島の航空写真です。

一番向こうの先っちょが、灯台のあった久葉山です。

これを飛行機で見ると、綺麗な島に見えたのです。

伊平屋島の島尻から、野甫島に伸びている海岸線は、京都の天橋立のようです。

海から運ばれた砂が米崎海岸を作り、細い道を作ったようです。

2011年の伊是名島訪問と、2012年の伊平屋島訪問で、2つの島の歴史的な背景が分かりました。

小さな島にも色々ないわく因縁があります。

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2012年7月15日(日)