第一尚王家の伊平屋島と第二尚王家の伊是名島は 仲が良くない   沖縄離島シリーズ(4)

投稿No:8698

伊是名島と伊平屋島 ハブのいない伊是名島 ハブのいる伊平屋島とはお隣同士

伊是名島と伊平屋島 離島と本島 行ってみて分かったことは?

沖縄離島シリーズ第4弾です。

今回はハブのいない伊是名島です。

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沖縄の海はサンゴ礁です。

しかし、そのサンゴ礁の保全が

上手くいっているとは言えないのが現状です。

米軍基地の問題や、

観光業の発展によるホテル建設に係る周辺の自然環境の破壊など、

問題は山積です。

離島であっても、観光に主体を置いている以上、

本島と条件はさほど変わらないのではないでしょうか。

沖縄は美しい島です。

本州には無い、琉球王国の面影を残した異国情緒の漂う地です。

2000年に世界遺産に登録された首里城は、

昨年10月、火事で焼失してしまいました。

2026年には再建復興を目指すとありますが、

コロナ禍で復興が遅れる可能性も出てきています。

美しいものを美しい状態で残す、

その難しさを改めて感じるとともに、

それを忘れないで伝えたいと思います。

伊是名島と伊平屋島 伊是名島にはハブはいません

昨日に引き続き、離島の思い出。

今回は伊平屋島の兄弟島、伊是名島です。

伊是名島は伊平屋 伊是名諸島に属する伊是名村唯一の有人島です。

伊平屋に比べ、平坦な島です。

お隣・伊平屋島とは交流がありません。

琉球最後の王朝、第二尚氏の始祖、

尚円王の出身島でもあります。

近親憎悪などという言葉がありますが、

近すぎると不具合があるのは、

どこも同じのようです。

さて、伊是名はどんな島なのでしょうか。

沖縄離島シリーズ第4弾、伊是名島です。

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伊是名島と伊平屋島の不仲

沖縄本島の北隣に、伊是名島と、伊平屋島があります。

伊平屋島が沖縄県の最北端になります。

緯度的には伊平屋島と与論島は同じくらいの緯度ですが、

与論島は鹿児島県に入っています。

沖縄県の最北端の伊是名島に行って、どんな島なのかこの目で調べてきます

伊是名島に行くには、高速道路を走って、

名護の方へ向かいます。

名護から古宇利島の方向にある運天港を、目指します。

伊是名島に行くフェリーは運天港から出ます。

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駐車場に車を預け、運天港で乗船券の往復券を買います。

伊是名島に入るには、入島税という税金が100円かかります。

帰りは明日の予定です。

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入島税については、帰りのフェリーで、

入島税の目的や使い方が分かりました。

フェリーボートの「ニューいぜな」が停まっています。

これに乗って、片山正喜さんと松葉博雄と、

片山正喜さんの愛犬リーと一緒に、

伊是名島へ渡ります。

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向こうに見える橋は、前回渡った「わるみ大橋」です

伊是名島に渡るフェリーは、運天港から10時30分発と、

15時30分発の2便しかありません。

運天港は水深も深く、大きなフェリーでも、着岸できそうです。

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伊是名島と伊平屋島は隣同士なのに、相互利用の連絡船は就航してません

運天港の船着き場に来てみると、不思議な事を感じます。

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運天港からは、伊是名島と伊平島の2つの島に行きますが、

伊是名島と伊平島は隣の島なのに、

切符売り場が別々になっています。

フェリーボートの片方の島しか渡りません。

共同運行すれば合理的なのに、お互いに独立しあっています。

何か理由があるのでしょうか。島に行って、調べて来ます。

伊是名島 フェリー”ニューいぜな”に乗って

伊是名島の仲田港から、伊是名村役場までは上り坂、なんだこんな坂と、励ましてペダルを漕いでいます。

伊是名島に渡ると、車があると便利なのですが、

車で渡るとフェリー代が

往復で30,000円ほどかかります。

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移動手段は今回は自転車です。

片山正喜さんの愛犬リーは、無料で船に乗れます。

風も止まり、海は凪いで、初夏のような日差しです。

ニューいぜなは、波を切って伊是名島を目指してスタートです。

運行時間はおよそ60分です。

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船はゆっくり運天港を出て、古宇利島の前を通ります。

古宇利島の古宇利大橋が見えます。

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古宇利島大橋を飛行機で、上空から見ると、

屋我地島と古宇利島が一本の細いヒモで繋がっているように見えます

Google Mapで見る

船から古宇利島を横目に見て、伊是名島を目指しています。

およそ、1時間で着きます。

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伊是名島到着

しばらく船に揺られていると、

伊是名島の三角形の島が見えました。

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穏やかな海です。沖縄は、どこの離島も船着き場は立派です。

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離島の船着き場は埋め立て地にあり、

すぐ近くは体育館や役所があるのが一般的です。

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伊是名島に近づいてみると、船着き場の近くには、

体育館らしい大きな建物が隣接しています。

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伊是名島 移動手段は自転車で

伊是名村の役場の方に向かっていますが、ゆるやかな坂が続き、

途中から急な坂に変わり、早くも自転車では顎が上がってしまい、

腰が痛くなってペダルを漕ぎ続けるにはちょっときついです。

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トライアスロンではないので、

しんどいときには自転車から降りて、

自転車を押して歩きます。

伊是名島には、予想より広い畑が続いています。

伊是名島の村役場を過ぎて、

伊是名ビーチの方向に向かう頃には峠は越えて、

ゆっくりとした下りスロープになりました。

こうなると自転車は快適です。

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顔いっぱいに風を受け、帽子が飛ばないようにベルトを締めて、

スキーの滑走のように自転車で風を切って滑ります。

片山正喜さんは、

下りの坂道は愛犬リーを前の荷台のカゴに乗せて、

下りスロープを利用して

リーにもサイクリングの醍醐味を満喫させています。

伊是名島の役場からスロープを降りきった所は、

県道178号線の終点で、

ここが伊是名ビーチに接する伊是名漁港です。

伊是名島の民宿探しは

難航 伊是名中学校、伊是名村立保健センター、伊是名村立保育所、伊是名村立産業支援センター、伊是名村学力向上対策委員会の看板、伊是名漁港、伊是名の古い民家、カマドの家を見て回りました。第127回沖縄訪問(13)

伊是名島の民宿探しは難航

宿探しが上手くいかず、

松葉博雄はやぶれかぶれな気分になりました。

開き直ってはいませんが、

民宿が見つからず、どうしようという焦りと、

もう何処にも泊まれないのか

という不安な気持ちになってきました。

とはいえ、せっかく伊是名島に来たので、

サイクリングも楽しんでいます。

どこか楽天的で、でも宿探しはしなくてはなりません。

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伊是名島の民宿探しは難航 自転車で民宿を探す

仲田港から伊是名役場を通って下り坂が始まるのは、

伊是名中学校前からです。

中学校のすぐ側には、

伊是名村立保健センター、伊是名村立保育所、

伊是名村立産業支援センターなどの公共施設が続いています。

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伊是名島では、6時半を守ろうという運動があります。

起きるのは6時半、家に帰るのも6時半というものです。

「6:30守って がんばる 

われら伊是名っ子」が、キャッチフレーズです。

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伊是名島は鉛散弾規制地域

伊是名島には緑が多く、鳥が沢山いるので、鳥を撃ちにくるのか、

鉛玉を打ってはいけませんという規制があります。

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伊是名島には水田が

坂を降りていく途中、水田がありました。

この伊是名島は水が豊かで、あちらこちらに水が湧いています。

この水田も昔のような棚田ではなく、

土地改良区画整備された、

耕耘機が入りやすい水田です。

水田には、渡り鳥が羽を休めていました。

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伊是名島には、この時期2月は菜の花が島中に咲いています。

まるで春です。まるでお花畑です。

菜の花の咲く緑の芝生で

お弁当を食べたら美味しいだろうなぁと思いながら

弁当屋さんを探してもありません。

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伊是名漁港は整備されていて白い砂浜が横に広がり、

向こうには小さな無人島がいくつも見えています。

無人島の中で特に大きいのが、屋那覇島です。

 

 

民宿「宝の島」は伊是名ビーチのすぐ前

伊是名ビーチのすぐ前に、民宿「宝の島」がありました。

今夜の宿はここにしようか

考えてとりあえず交渉してみようと言うことになり、

ドアの中に入って声をかけてみましたが、誰も出てきませんでした。

残念ながら、見送りです。

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伊是名島の2月は、神戸の4月みたい

伊是名ビーチにはブーゲンビリアの花が咲いていて、

気温は汗ばむような暖かさです。

ブーゲンビリアは、花のように見えるのは実はがくで、

本来の花はがくの奥に見える小さな花です。

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伊是名村の古い民家が沢山ありますので、それを見ていきます。

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宿を早く見つけないといけません。

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どことなく渡名喜島の村に似て、石垣が積まれ、フクギの木が防風林に植えられ、

低い平屋の民家が続いています。

伊是名島観光ガイドマップによれば、

民宿は沢山あるので、ガイドマップに沿って

外から民宿の感じを見て、良さそうな宿を探します。

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ここで言うよさそうなとは、

建物は鉄筋コンクリートよりも伊是名島らしい民家で、

出てくる料理は、

民宿の女将さんが伊是名島の海で

とれた魚や魚介類を美味しく料理してくれ、

話し相手にもなってくれそうな、

いかにも素朴な民宿を探しています。

いろいろ民宿を見て回ります。

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伊是名島で最近映画のロケがあって、

ロケのあった場所を順番に番号付けて、

島巡りをするように番号札がついてます。

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伊是名島では玄関には、お茶の用意

噂では、伊是名島では家の玄関にお茶が用意されていて、

誰か来たらすぐお茶が出るようにしています。

確かに、玄関にはお茶の用意がされています。

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片山正喜さんにこの噂を言ってみると、それじゃぁ試してみようと、

民家の庭に入っていき、中の家人に声をかけてみます。

民家の奥の部屋には、

お年寄りの女性の方が1人でテレビを見ておられました。

声をかけたのは、珍しい日傘があったので

「その日傘はどこで買ったのですか」と、

お店の名前を尋ねてみました。

確かに、変わった編み方でした。

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日傘ともう一つ尋ねたのは、

今夜の宿はどこがいいですか?

と推薦してもらうことです。

狭い村では、うっかりどこか紹介すると

紹介しなかった民宿に不義理になり、

なかなか紹介し辛いのです。

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こんな2月の時期に観光客もあまりいなく、

民宿は予約なしで見つかると思っていたのです。

現実は予想と違っていて、

生憎どこも部屋はいっぱいでした。

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松葉博雄の甘い予想が災いし、

これからもう一度、伊是名島では一番銀座の

仲田港に戻ることになりました。

仲田港に戻るには自転車で

もう一度峠を越えないといけないので、

できるだけ海沿いの平坦な道を選びます。

伊是名島訪問記 アーカイブ

2011年2月22日(火)

伊是名島の海ギタラとは、断崖絶壁の岩場であるということです。第127回沖縄訪問(14)

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伊是名島ビーチの方に出て海沿いの道を、

もう一度仲田港に戻ります。

すばらしいビーチです。

向こうに見えるのは無人島の離島の屋那覇島です。

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飛行機から時々見えます。

前から行ってみたいなと思っている無人島です。

行くとなると、渡し船で行くしかありません。

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伊是名島 ギタラ展望台

伊是名漁港を通って墓地を通り抜けると昇り坂があり、

峠の辺りに展望台がありました。

ちょっと自転車を止めて、ギタラ展望台で海をみます。

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ギタラとは、断崖とか岩と言う意味です。

ギタラ展望台に登って海を見て見ると、

確かに断崖絶壁の海に立っています。

この景色は、絶景です。

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少し似た景色は、ジュゴンの丘です。

どちらも、海に突き出た丘から、

遠く地平線まで見渡せる景色です。

風に乗って翼を広げて、ゆっくりと旋回しながら、

鳥やハングライダーのように、

景色を楽しんでみたいものです。

潮がちょうど引いた所でしょうか。

向こうの方に屋那覇島が水平に広がっています。

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屋那覇島の対角線上にあるのが三角山で、キレイな円錐形をしています。

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伊是名島 アハラ御獄

アハラ御獄は、登ってみれば

きっと素晴らしい展望だと思いますが、

頂上を極めるほど元気が沸いてきません。今回は、見るだけです。

このアハラ御嶽も、伊江島の山頂の景色に似ています

 

 

マッテラ浜を見て回っていると、あちらこちらに石碑があって、

そこに歌が詠まれています。

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海ギタラ 向かいは陸(アキ)ギタラ

海ギタラの対になっているのが、

すぐ向かいの陸(アキ)ギタラです。

とげとげしい岩肌が、来るものを拒むほど強く感じます。

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陸(アキ)ギタラの、これは聖なる場所で

七龍神を祀っている場所です

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陸(アキ)ギタラの麓には、

竜神洞という祠が祀られています。

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地元には地元の昔からの信仰があり、

自然の形力強いもの不思議なもの、

美しい物、何かを連想させるもの、

こんな感じで信仰の対象にしています。

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伊是名玉御殿(たまうどぅん)と伊是名城跡

次の名所は、伊是名玉御殿(たまうどぅん)と伊是名城跡です。

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伊是名島と伊平屋島 伊是名島の名所巡り:玉御殿(たまうどぅん)と伊是名城跡 第127回沖縄訪問(15)

伊是名島のゆるやかな坂を、

慣れない自転車で筋肉痛覚悟でアップダウンしながら、

伊是名城の方を目指していると、ロケマップを見つけました。

ロケマップは③の「大きなガジュマル」です。

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周りをきょろきょろ見回しても、

大きなガジュマルは見当たりませんでした。

シラサギ展望台 二見ガ浦海岸

ここもすばらしい所です。

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海ギタラ、陸ギタラ、マッテラの浜を含む辺り一帯を、

二見ヶ浦海岸と呼んでいます。

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片山正喜さんと、こんな自然が残っている所ならちょっと水温があがって

海に入れるようになったころ、

一週間でも10日でも、海に入っては昼寝して、

海に入ったらご飯を食べて、

夕方になったら美味しいお酒を飲んで、

伊是名島の海を堪能したいなぁと言う話になりました。

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波の静かな海の穏やかな日に、こちらの浜辺から泳ぎ始め、

向こうの屋那覇島まで泳いで渡りたいなぁ。

泳ぐだけでなく、

途中はシュノーケリングをしながら屋那覇島をゴールにして、

浜辺に着いたら一息つけるように

誰かが待っていてくれたらいいのになぁ・・・と、

頭の中は、夏の海のモードになっています。

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海に入らないのがもったいないほどキレイな海で、このまま帰るのは

未練が残りそうな自然の中の穏やかな日です。

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ここまで来た記念に、せめて写真でも残して置きましょう。

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ギタラ展望台から、リーは自転車に乗せてもらっています。

片山正喜さんの自転車について走っていましたが、

ちょっとしんどそうでした。

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サムレー道は、旧街道です。

これは入り口を見るだけで、中に入ってません。

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サムレー道とは、12,3世紀の戦後から、

島を一周する道ができるまで、

長期にわたり元島と伊是名島南西部を結ぶ唯一の生活道路の跡です。

サムレーとは、この道に並べている

石が武士の足跡に似ていることから、

サムライ→サムレーと呼ばれるようになったそうです。

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伊是名城跡

伊是名城は、第一尚氏の先祖にあたる

佐銘川大主が築城したと伝えられる小さなお城です。

沖縄県指定史跡にもなっています。

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伊是名島には、島を回ればどこにも

菜の花が咲いて、とても暖かそうです。

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伊是名城の石段の側まで寄ってみると、

それ程規模の大きなお城ではありません。

伊是名島で戦争がそれ程大きかったとも思えず、

お城はシンボル的な意味だったかもしれません。

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伊是名玉御殿(たまうどぅん)を過ぎると、

次の観光名所は仲田港まで海沿いの浜辺が続き、

浜辺に沿って細い畑が連なり、畑にはのどかな菜の花が咲いています。 

伊是名島でいずみ荘に泊まり、伊是名島漁業組合の食堂で天然シマアジを頂きます。 第127回沖縄訪問(16)

宿なし 解決 救世主のいずみ荘

伊是名島に民宿の予約もしないで、

行き当たりばったりで島に渡ってしまいました。

いくつかの民宿を当たってみたものの、

繁忙期だけ開く民宿が沢山あります。

宿も見つからず、途方に暮れつつ、

もう一度仲田港に帰ってきました。

さて今晩どこに泊まるか、まだ解決してません。

 

 

思案している時、やはり必要なのは広告です。

ようこそいぜな島への看板は、

いずみ荘となか川館の広告です。

電話番号が記載されていたので電話してみると、

空いているということなので行ってみることにしました。

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もう一度自転車で、伊是名村役場に行きます。

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いずみ荘に尋ねて見ると、なんとか部屋がとれました。

一旦荷物を置いて外に出てみると向かいに伊是名小学校があります。

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伊是名農協スーパーがありました。

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あれだけパニック状態から、宿が決まって、

人の運命はどうなるかわかりません。

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JA伊是名島の店

食事をした後、JA伊是名島の店ものぞいてみます。

この島で出来た野菜を売っていました。

郵便局を通って今日の民宿「いずみ荘」に戻ります。

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いずみ荘

部屋に入ると、お願いが書かれていました。

食事は、「なか川館」でとるそうです。

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伊是名島と伊平屋島 伊是名島の百姓金丸が耕していた水田は、逆田として今も残っています。第127回沖縄訪問(17)

どうしてこうなった 仲が良くない 伊是名島と伊平屋島 第二尚氏を開いた尚円王 謎の多い下剋上のいきさつ

4時頃、夕方の晩ご飯が美味しく食べられるようにサイクリングします。

向かう方向は、観光ガイドマップに載っている逆田です。

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逆田ってなんだろう?と、思うのが当たり前。

事情が分からなければ、

田んぼが逆さまになるわけがなし、意味不明です。

ここから少し歴史物語に移ります。

沖縄の第2世 尚円王が24歳まで、耕作していた田んぼ 逆田(さかた)

ここは沖縄の第2世の尚円王がこの伊是名島から

本島に向けて出発する前の24歳まで、

耕作していた田んぼです。

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尚円王は、百姓をしていました。

当時の名前は、「金丸」です。

金丸が耕していた水田は、他の田んぼが水が涸れても

水が涸れることがありません。

逆田の名前の由来

そこで、他の田主達が水を盗んだのではないかと疑い、

夜の間に水が他の田んぼに流れるようにしてしまいました。

ところが翌朝になって、自分たちの田んぼから水がなくなり、

金丸田んぼに水が溢れていたため、

逆から流れたのではないかと言うことから、

「逆田」と呼ばれるようになったそうです。

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松葉博雄が現地調査をしてみると、

一番上の段の棚には、水が湧く小さな水田があります。

そこから、水が涸れることなく田んぼに流れ込んでいることは、

素人の松葉博雄にも分かりました。

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それではなぜ、金丸は疑われたのでしょう?

この辺りが、わずか24歳のただの百姓が、

沖縄王朝を開くことができたのかという疑問に繋がります。

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逆田の伊是名村教育委員会の石碑を見て、伊是名島に来てみて、

尚円王の出身地であることを知りました。

どうして、百姓金丸は、琉球王朝の第二尚王朝を築けたのか

分からないのは、一人の百姓が伊是名島から本島に渡り、

どのようにして琉球王朝の第二尚王朝を築いたのかということです。

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わずか24歳で、10歳年下の弟と奥さんの

3人で島を離れ、その後30年くらいで、

琉球王朝のトップに上り詰める途中はどうなっているのでしょうか?

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伊是名島の観光ガイドマップには、

詳しいことは書かれていません。

もう一つ気になるのは、

伊是名島と伊平島との関係です。

伊是名島の内花から、伊平屋島は、すぐ傍に見えます。第127回沖縄訪問(18)

伊是名島と伊平屋島 島民は多くを語らない 伊是名島と伊平屋島 不仲の理由

伊是名島と伊平屋島は地理的には隣の島ですが、

伊是名島の人に伊平島の事を尋ねても、

あまり関わりたくないような空気を感じます。

先ほど出会った村の年長の人に伊平屋島のことを質問してみると、

アッサリ知らんと言われました。

頭の中に沸いてきた疑問を抱え、サイクリングは進みます。

向こうに見えるのは伊平屋島です。

伊平屋島には、島と島の間に橋がかかってます。 **

内花港 勢理客(せりきゃく)ではありません(じっちゃく)です

逆田から、内花港のある内花地区に来ました。

次にサイクリングロードを通って、着いたところは勢理客です。

勢理客にもサトウキビ畑が広がっています。

大野山会体験舗場の案内看板があります。

1200坪の舗場で、農業体験ができるようです。

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勢理客ふるさとの村では、宿泊交流施設があり、

勢理客に来た観光客が

島民と交流できる施設ができています。

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「せりきゃく」かなと思っていたら、

勢理客は「じっちゃく」という読み仮名が書いています。

「せりきゃく」なのか「じっちゃく」なのか不思議です。

道路標識には「Serikyaku」とローマ字表記をしています。

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おや?と思ったのが、共同浴場と図書館です。

共同浴場と言うことは、温泉でも湧くのでしょうか? **

しかし、沖縄では本土の温泉のように

湯船に浸かる習慣はありません。

村の外れには、山と山の狭間に、火葬場がありました。

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伊是名島は水に恵まれた島

伊是名島を、午前と午後でほぼ一周しました。

島を回って気がついたことは、水に恵まれた島です。

水田もあり、小河もあり、畑も、

牧草地も、平野もあり、伊是名島の特徴として

農業環境に恵まれていることが分かります。

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民宿いずみ荘に戻ってきました。

いずみ荘では、いずみ荘の経営者の家族の人が近くの海で潮がひいた時に、

巻き貝(テラジャ)を取ってきています。

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気温は夕方の5時半で、21度です。

今頃の神戸なら、部屋の室温ぐらい暖かい気温です。

じっとしているのも勿体ないので、夕日を見ようと、

伊是名島村役場の方へ行ってみます。

夕方の散歩です。

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消防署もあります。

人口2000人に足らない島でも、

離島で他の地域と海で離れている以上は、

公共施設、公共サービス、福祉施設、

教育環境など一通りの住民サービスが必要なので、

伊是名島村長さんもきっと財政が大変だと思います。

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いずみ荘の夕食

部屋に戻って落ち着いた頃、19時くらいになり、そろそろ晩ご飯です。

民宿と言えば、土地の料理を女将さんが作ってくれる楽しみがあります。

ここ「いずみ荘」と「なかがわ館」は、経営者が親子の関係で、

2つの民宿が共同で利用しています。

晩ご飯は「なか川館」、

朝ご飯は「いずみ荘」で食べれるようになってます。

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食事が終わると一旦部屋に戻り、

サイクリングで汗を掻いているのでお風呂に入って寝ます。

今日サイクリングを長い時間したので、

腰も足も痛くなっています。

離島は何もする事がなく、すぐ寝ることになりました。

伊是名島の民宿には、瑞寶雙光章(ずいほうそうこうしょう)が掲げられていました。第127回沖縄訪問(19)

伊是名島の民宿「いずみ館」の起床

伊是名島の民宿「いずみ館」で目が覚めたのは朝の7時21分です。

こんなに早く起きる事は珍しいので、

朝日を写真に撮ろうと思い立ってすぐに伊是名島の伊是名村役場に行き、

少し小高い所から海の方向へ向かって写した写真がこれです。

結果的には、太陽が十分照っていません。

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伊是名村役場の周りを見てみると、

すぐ近くに診療所がありました。

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沖縄県立北部病院付属 伊是名診療所です。

あちらこちらに立っている村役場の看板を見てみると、

伊是名の村長さんは前田政義さんです。

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ガジュマルの木の下に円台を作って、

診療所を訪れる村の皆さんが座れるようになっています。

民宿いずみ荘 朝ご飯

小鳥のさえずりを聞いて、朝の散歩が終わって、

民宿いずみ館では朝ご飯です。

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食は、グルクンの唐揚げ・ゆし豆腐です。

おかわりをする程よく食べました。

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食堂の壁を見ると、なんと、

ここのオーナーの泉さんは、天皇陛下から

瑞寶雙光章(ずいほうそうこうしょう)をもらっています。

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瑞寶雙光章は、公務に長年尽くした人に授与される勲章だそうです。

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トライアスロンの島 伊是名島 『いぜな88トライアスロン』

いずみ館の女将さんが言うには、伊是名島では毎年10月に

『いぜな88トライアスロン』が行われて、

トライアスロンの直前から、

全国の出場者が伊是名島を目指してどんどん集まって来ます。

中には、トライアスロンに

 

毎年出場しているグループが県単位で宿泊し、

毎年が同窓会のように賑やかになるのだそうです。

順位よりも毎年集まる競争相手の元気な顔を見て、

練習の後に飲むお酒が美味しくて、

その美味しいお酒を飲みたくて来ているよう人もいるようです。

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伊是名島のトライアスロンは老舗です。

2010年度で、歴史は第23回になっています。

A組は単独で水泳・自転車・マラソンの競技を行います。

A組の定員は500名です。

B組は3人1組で3つの競技を分担します。

定員は50組150名です。

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この出場選手に加えて、応援団、

サポーター、控えの選手など多くの人が

伊是名島に宿泊するとなると

民宿はどこもいっぱいになり、そこで、

トライアスロンの時の10月だけ営業する民宿もあるようです。

いずみ館もなかがわ館も、

観光シーズンの夏と10月のトライアスロンの時が、

一番賑やかだそうです。

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民宿いずみ館を出て自転車で島を廻ろうと、

宿の女将さんにどこが良いか尋ねると

高い山があるので、

自転車で登るのはキツイから車で送っていってあげると、

景色の良い岬に連れて行ってくれました。

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伊是名山森林公園

民宿の女将さんが案内してくれた所は、伊是名山森林公園です。

確かに来てみると、自転車で登るには、

顎が上がりそうな高いところです。

伊是名島では、自転車を置いていても

誰かがちゃっかり持って行くことはないそうなので、

安心して自転車を置いて山頂に登ることができました。

山頂付近から海の方を見ると、

9時ちょっと過ぎに運天港に向かうフェリーが見えます。 

伊是名島の一番高いところに上がっています。

ここからの景色は絶景ですが、今日は曇り空なのが残念です。

向こうに島が繋がって見えるのは、伊平屋島です。

潮が満ちてきてます。屋那覇島も見えます。

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絵はがきよりも美しい景色です。

何が美しいかと言えば、電線がありません。

看板もありません。電柱鉄塔もありません。

低い丘と、丘を隔てる海、そして向こうには伊平島の山が重なり合って、

何が向こうにあるのか知りたかったら

おいでおいでと呼んでいるように見えます。

伊是名島の銘苅家住宅は、尚円金丸公のおじさんの家で、文化財となっています。第127回沖縄訪問(20)

伊是名ふれあい民族館へ

伊是名山森林公園で島の眺望を見た後は自転車に乗って、

昨日通った道をもう一度

伊是名ふれあい民族館の方に向かいます。

所々にロケマップが表示されていて、

ロケマップ4は神様の岩座となっています。

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トライアスロンが開催される島なので、

サイクリングロードが整備されていました。

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伊是名島の歴史や文化を知るために、

伊是名村ふれあい民俗館に行ってみました。

しかし、今日はお休みでした。残念です。

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辺りを散策して色々と探ってみます。

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産業支援センターもあります。

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伊是名ビーチへ

もう一度伊是名ビーチに向かいます。

ふれあい民俗館から伊是名ビーチには、

緩やかな坂が続き、進んでいる方向は下り坂で、

途中には沖縄には少ない水田地帯を走っています。

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坂を下り切ると伊是名地区で、この辺りは沖縄風の石垣と

防風林のフクギに囲まれた家が続いています。

観光ガイドマップにでてくる銘苅家住宅に向かいます。

史跡の「銘苅家」、王族に繋がる銘苅家

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伊是名島の旧家です。

銘苅家住宅では、今は人が住んでいません。

古い屋敷を利用した、ハウスウェディングを行っています。

銘苅家の前には、ロケマップ9が表示されています。

史跡の「銘苅家」、王族に繋がる銘苅家の住宅を訪問します。

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この家は、国指定の重要文化財です。

銘苅家は琉球王朝 第二尚氏王統の始祖 尚円王(金丸)の叔父

銘苅家は琉球王朝第二尚氏王統の始祖尚円王の叔父が先祖の旧家で、

伊平屋島の夫地頭職を務めてきた家です。

尚王とは、逆田の水田で触れた、島の百姓金丸のことです。

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この建物は1906年(明治39年)に建て替えたものだそうです。

そうなると、105年前の家と言うことになります。

一族に王様が出るとその親族も豪族になり、

立派な家屋敷が建てられているのです。

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家の中も見てみたいなと思いましたが、

残念ながら今は工事中で入ることができませんでした。

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大きなガジュマルはこんなところにありました

銘苅家の裏の庭には、驚くほど大きなガジュマルの木がありました。

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昔、家と家の境界に植えたガジュマルの木が大きくなったのでしょうか。

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途中、選定のために切った後からも根が伸びて、

台風にも負けないほど強い根をはっています。

沖縄の民家では、椰子の木と、

ガジュマルの木は敬遠されることがあります。

その理由は、根が張りすぎて家を壊すほど、

塀を壊すほど茂ってくるからです。

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この銘苅家の石組みは、他の民家と違う石造りがされています。

他の家の石垣は、小さな石を積み上げてでこぼこしているのに対して、

この家は比較的大きな石を積んで隙間をキレイに埋めて、

表面を平らに切り出しています。

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多分本土から石工が来て建ったんだと思います。

城の石垣のような立派な石組みです。

やはり王族の家だからでしょうか?

勝連半島の浜比嘉島の旧家の吉本家でも、

このような、本島から渡ってきたような

石工の仕事による石垣をみました。

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銘苅家の保存は、伊是名島の村役場が、

文化財として手厚く保存活動をしています。

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伊是名島から島民が減っているのか、

人が住んでない家も幾つかありました。

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家は人が住まなくなると、どんどん傷んでしまいます。

沖縄の伝統ある家の姿がだんだんと沖縄からなくなり、

朽ち果てていくのが残念です。

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伊是名島には5つの区があり、

伊是名区・勢理客区・内花区・諸見区・仲田区です。

一番栄えているのが、行政の中心地の仲田区です。

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自転車を停めて、人の住んでいないお家の周りを周り、

沖縄の風に吹かれてみます。

ハブのいない島なので、草の茂った場所でも平気です。


伊是名島と伊平屋島 伊是名島の百姓金丸は、410年続く、第二尚王朝の開祖となりました。第127回沖縄訪問(21)

伊是名ビーチと菜の花

銘苅家住宅でおよそ100年前の沖縄の住宅を見た後は、

伊是名ビーチにまた来ました。

今日はどんよりとしたお天気で、

サンゴのリーフの砂浜は輝いていません。

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ロケマップは、古い桟橋ナンバー5です。

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伊是名ビーチには松林が続き、

林の緑地には今を盛りに菜の花が咲いています。

まるでこの世の極楽のような

あの世の涅槃のような穏やかな風景なので、

片山正喜さんは、松葉さんの

あの時用の写真を撮ってあげると言って、

松葉博雄のカメラで入滅を感じさせるような写真を撮ってくれました。

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なるほど確かに、

菜の花の絨毯の上に座り静かに黙想をしていると、

穏やかな心落ち着く場所でした。

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都会の喧噪はまったくありません。

島の人の生活の音も聞こえません。

音があると言えば音があり、

音がないと言えば音がありません。

禅問答で言う「無人の地に立木が倒れたとき、

倒れた音は聞こえるか」と言う公案を思いだします。

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琉球最後の王朝、第二尚氏に思いを馳せる

伊是名ビーチの浜辺で、片山正喜さんと少し雑談です。

2人とも気になっていることは、

伊是名島から脱出した百姓の金丸は、

その後どのようにして、琉球王朝を建てたのか?

なぜ尚氏の名前に変わったのか?と言うことです。

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片山正喜さんと伊是名ビーチに散らばっている珊瑚のかけらを集めて、

金丸が仲間もお金もないのに伊是名島から対岸の本島に渡って、

どうやって上手くやって行ったのか、

沖縄の地図を砂の上に書きながら考えています。

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伊是名島から見れば、沖縄本島は大きな島です。

沖縄本島の北の先端部分が辺戸岬です。

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金丸は、信長型なのか、秀吉型なのか、それとも家康型なのか

金丸は、信長型なのか、秀吉型なのか、

それとも家康型なのか、政権を取るのは

どのような出世物語があったのか、色々と想像してみました。

浜辺で談義していると10時頃になり、

また仲田港に自転車で戻ります。

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昨日来たきれいな海を、ギタラ展望台でもう一度みます。

昨日は太陽が出ていて砂浜が白く輝いていましたが、

今日は曇り空でどんよりとしています。

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今回のギタラ展望台では、

目の前に広がる珊瑚礁には潮が満ちてきています。

潮が満ちると、浅瀬が出ている光景とはまた違います。

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航空写真で見ると、伊是名島の手前には屋那覇島があり、

屋那覇島には珊瑚礁が広がり、あの珊瑚礁で

夏にはシュノーケリングをしてみたいなと誘われます。

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伊是名島と伊平屋島 伊是名島 尚円王の面影が色濃く残る島

伊是名島と言えば、第二尚王朝を開いた尚円王の誕生の地です。

ここはどうしても、尚円王の銅像を見ることにします。

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伊是名島を外周する道路を、自転車で走っています。

この道路は、トライアスロンの会場となる道路です。

海の見えるいいコースです。

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かわいそうなのは、伴走するリーです。

片山正喜さんの自転車の後を、

リーは一生懸命走って着いていっていますが、

もうハアハアと言ってしんどそうです。

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仲田港から、尚円王を祀る御庭公園の近くまでやってきました。

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尚円王となった金丸の銅像

伊是名島の百姓であった金丸が、

見事位人臣を極め尚円王となっていく最初のスタートとなる、

伊是名島を脱出して沖縄本島を指さす、

金丸の銅像を見つけました。

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伊是名島と伊平屋島 金丸(尚円王) 如何にして一介の百姓が王にまで上り詰めたのか

伊是名島の「百姓 金丸」は25歳の時この島を出て、

55歳で琉球王朝を築いています。

相当な世渡り上手なのか、

周りの人を惹きつける魅力ある人だったのか、

何か特殊な才能を持っていたのか、

これから与並岳生著「新 琉球王統史」を元に調べます。

与並岳生著「新 琉球王統史」

第二尚王朝を開いたのは、島から出ておよそ30年後です。

金丸は伊是名島から出て、

宜名真(ぎなま)ー奥間ー久志へと流れて行き、

越来(ごえく)グスクで尚 泰久に出会い、家来になります、

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運が回るのは、尚 泰久が、その後尚王に即位し、

金丸は王の側近として頭角を現していきます。

この辺りは仕えた人がよかったことになります。

尚 泰久王が亡くなり、嫡子の金橋王子が即位するべきところ、

側室の子、幼い八幡王子の尚徳が即位することになりました。

この背景にも、金丸が画策したと言われています。

八幡王子の尚徳王が成人すると、

25歳の尚徳王と51歳の金丸とは考え方に違いがでて、

やがて衝突するようになります。

尚徳王が没し、幼い尚徳王の子どもを即位させようとしたとき、

霊能者・予言者の安里が現れ、幼い王の即位を反対します。

これも、霊能者・預言者の背後に

金丸の画策があったのではないかと記されています。

 

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そして金丸は、幼い王子に代わり自らがクーデターを起こす形で、

尚円王を名乗り、即位しました。

これまでの尚王家と血縁・血統関係がないので、

これが、金丸の作った尚王朝は、第二尚王朝と言われる

ゆえんとなっています。このとき、金丸は55歳。

伊是名島を出て30年後の事です。

伊是名島から出て本島を制覇し、

第二尚王朝を建てたとは、大したものです。

第二尚王朝は、その後、1879年(明治12年)まで続きます。

伊是名島の百姓金丸、後の尚円王の銅像を見たので、

金丸のイメージは掴めました。

出典: 与並岳生著「新 琉球王統史」(新星出版 2005年) 沖縄歴史教育研究会編 新城俊昭著 高等学校「琉球・沖縄史」(東洋企画 2001年) 沖縄歴史教育研究会編「琉球・沖縄の歴史と文化」(東洋企画 2010年)

伊是名島と伊平屋島の原因は 王位を簒奪

伊是名島と伊平屋島の不仲の原因は、

琉球王朝の本家争いが背後にあるようです。

第一尚王家は、伊平屋島から出ています。

第一尚氏(だいいちしょうし)

第一尚氏(だいいちしょうし)は尚思紹王を始祖とし、

7代63年間(1406年(永楽4年)- 1469年(成化5年))

続いた琉球最初の統一王朝です。

第二尚氏と区別するために、一般には第一尚氏と呼ばれています。

第二尚氏(だいにしょうし)

第二尚氏(だいにしょうし)は、尚円王を始祖とし、

4尚円王即位の1469年(成化6年)から

1879年(光緒5年)までの410年間、

沖縄の琉球王国を統治した王家およびその姓の通称。

琉球最後の王朝。正式には尚氏だが、

第一尚氏と区別するため、一般には第二尚氏と呼ばれる。

第二尚氏は、初代・尚円王から最後の尚泰王まで、

19代続き、廃藩置県後は日本の華族となっ

た。資料出典 Wikipedia

第二尚王家は、伊是名島の百姓金丸が、王位を簒奪したようです。

これが、不仲の原因のように思います。

しかし、あれから数百年経過しているのに、

今も禍根を引き継いでいるとは、驚きです。

伊平屋島の誇りは、沖縄統一王朝の尚氏の始祖が、伊平屋島から出生した事です。

尚氏の始祖は、屋蔵大主です。現代の本家争いのようです。

伊是名島に入るには、1人100円の入島税がかかります。第127回沖縄訪問(22)

 

帰るときもあっさりした島

離島では、お客が来るのは船が着いたときで、

船が出航したり着船して時間が経つと、

ターミナルには人気がなくなります。

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伊是名島に船が着くと、その荷物を取りに来ている人がいます。

本島からの物資が離島を支えている事が分かります。

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運天港行きの船に乗ります。出港は、13時30分発です。

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時間きっかり船が出発します。

寂しい見送りです。

松葉博雄を見送る人は誰もいません。

別れを惜しむ人も誰もいません。

また来てねと、期待する人もいません。

伊是名島に来た海の道を通って、また船は運天港に帰ります。

1度でも実際に伊是名島の陸地を見ると、

もうあの辺りがどこなの

か来た時より分かるようになりました。

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また来たいですか?と尋ねられると、また来たいですと答えます。

いつ来たいですかと尋ねられると、海に入れる、

水温が高いときに来たいですと答えます。

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フェリーボートの中には島の環境協力税について説明がありました。

伊是名島の環境協力税とは、

伊是名島のお掃除をするために、島に来る人たちに

負担を求めています。

伊是名島に訪れる人からの100円を利用して、

島の清浄・浄化に使うという事であれば納得もいきます。2月23日(水)


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