伊江島にはピーナツ畑はみつかりません たばこの畑はありました 花とみどりの伊江島から 恩納村へフェリーで帰る時間です 沖縄戦の犠牲者を祀る「芳魂の塔」を参拝しました。
伊江島にはタバコ畑がありました。ピーナツ畑はみつかりません 花とみどりの伊江島から 恩納村へフェリーで帰る時間です
ピーナッツ畑をみてみます。
伊江島は、ピーナッツが特産品になっていて、
お土産でもピーナッツ菓子を勧めていますが、
島をドライブしてみても、
これがピーナッツ畑と言えるような、
広い耕地面積は見あたりません。
おかしいなぁと思います。
この島から出荷されるピーナッツは
一体どこで栽培されているのでしょうか?
どうやら、ピーナッツ菓子の原料のピーナッツは、
中国から輸入しているようです。
島をぐるっとまわります。
城山を色々な方向から見ています、素晴らしい景色です。
伊江島はタバコ栽培で高所得を得ています
とてもいい景色です。
沖縄地方は、ぐずついたお天気が続く中で、
今日は、お天気に恵まれて本当に良かったです。
たばこの畑は、たくさんありました。
伊江島の平均所得は高いのです。
所得を高めているのは、たばこ栽培です。
16時半くらいになると船が出るので、伊江港に戻ります
城山(ぐすくやま)のすぐ真下まで行きました。
もし、時間があれば車から降りて、階段を上り、
手すりにつかまって頂上を目指すつもりでした。
伊江島は、この山が一番高く、
城山のてっぺんから四方は全て見渡せるパノラマ状態です。
車は、城山を過ぎて、次の目的地に、
先の第二次世界大戦沖縄戦で
たくさんの犠牲者を祀る「芳魂の塔」を参拝しました。
花とみどりの美しい島、伊江島にも、悲しい歴史があるのです。
それは、先の太平洋戦争で多くの島民が亡くなったことです。
犠牲者を鎮魂の石碑である「芳魂の塔」にお詣りしました。
この「芳魂の塔」の石碑の墓誌の方式は、
前回夏に訪れた平和祈念公園にある
「平和の礎」と同じように見えました。
一人一人の名前が地域別に分けて、彫られています。
兵庫県から伊江島に来て、
戦死された方の名前もたくさんいらっしゃいました。
気になったのは、姓は違いますが、
名前が「博雄」さんが一番最初に記載されていました。
どんな方だったのでしょうか。
そして、最期の総攻撃を受けた頃は
どのような状況でお亡くなりになったのでしょうか。
まぶたを閉じて、
知っている範囲の戦争のむごい状態を想像しながら、
しばし、戦没者の慰霊に対して黙祷をしていました。
そろそろ帰りの便の時間です。
最初乗るときにフェリーの係員に言われたように、
出航の30分前には、受付で乗ることを、
待機していることを申告しないと、
船に乗せてもらえないので、買い物も考えると、
3時には港の方へ戻ることにしました。
そして、乗船のチェックを受けて、
どの場所で待つかの指示を受けます。
それから車を指定された場所に並べます。
これが夏だと、駐車場は車でいっぱいになります。
来る時も、そして帰る時も感じたことは、
伊江村の村営汽船の独占企業としてのサービスの悪さです。
初めての人に対しても今まで知っている人と同じように扱われます。
それほど親切にしてくれません 。
伊江島にフェリーで運ばれてきた荷物を見ていると、
陸揚げされ、そして指定の場所へフォークリフトで運ばれていきます。
そこには待ち受けている人たちがいます。
伊江島の港は、離島の港の特有の雰囲気を持っています。
フェリーに乗って伊江港から沖縄本島の本部港 への出航を待ちます。
離れていきます。
船が伊江港を出て、
15分もすると、城山(ぐすくやま)が
大きく見えていたのがだんだん小さくなっていきました。
そして島全体がわかるようになりました。
ちょうど軍艦のようです。もう少し離れると、
今度は潜水艦のようにも見えます。
進行方向に向かって右手の方に水納島が見えます。
そしてすぐに瀬底島が近づいてきます。
瀬底島が右手に、本部が左に見えます。
それを結ぶ橋をこれから通過します。
そうするとすぐに本部の港です。
半日の日帰り旅行になりましたが、
伊江島は伊江島だけの美しい風景と、
この島ならではの観光名所がありました。
伊江島にはハブがいるそうです。
ハブがいる島と、ハブがいない島では、
住民の人たちのハブに対する恐怖心や対策がまるで違います。
ヤシガニがいるかどうかも気になり、
出会った人にヤシガニのことを尋ねてみました。
伊江島では、ヤシガニを捕まえて
食用として食べる生活習慣はないようです。
今夜の朝日会に出席する予定なので、
これから国道58号線を南に走り、
恩納村に帰っていきます。