インド巡礼記:カルカッタ編 その5~バスに乗って市内観光~ 第9話

インド巡礼記:真理を求めて インドに、インドに真理を求めて、インド巡礼に行きたい、こう思ったのも、家庭を築き、仕事に精を出し、人生も順調に歩んでる時、ふと心の中に、「これで良いのかな?何か大事な事を忘れていないかな?成る程と腑に落ちる様な真理を理解できてるのかな?」このように、ふとした疑問がどんどん膨らんできたからです。インド巡礼は、真理を求める巡礼の旅になるはずです。 【その9】

インド巡礼記

今日のインド巡礼の始まりは昼からのバスのカルカッタ市内観光から始まります。最初はカルカッタの博物館です。

インドの至宝の多くはイギリスが持ち帰り、大英帝国の所蔵となり、一部は大英博物館に納められています。

仏教は成立直後はブッダの像を礼拝する思想はありませんでした。つまり、尊すぎてブッダの像を直接礼拝するのではなく、菩提樹や法輪で象徴されていました。

それが何世紀も経過した後、ブッダを人間の姿で彫刻されるようになりました。

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特に洗練されてきたのは、ヨーロッパと東洋の文化が触れ合ったパキスタン北西部ペシャワール地方ですが、ここで作られた仏像が「ガンダーラ美術」といわれています。

どことなく、顔立ちがギリシャ彫刻風だと思います。

カルカッタの国立博物館は広く、所蔵する展示物も多くあり、見学の時間は短いので、駆け足で見て回りました。

古い仏像が多く並んでいるコーナーを見て回ると、素人の私にでも大変貴重なものだということがわかります。

もっとゆっくり見たいなあと思いました。書いてあることは読む暇も、中身も分かりませんが、何か理解できたらいいなと思います。

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仏教が誕生し、仏像が彫刻されるようになり、さらにヨーロッパの文化の影響を受けるまで千年以上が経過しています。

その歴史が同じ場所にズラリと並んでいるのですから、これを短時間で理解することはとても難しいのです。

できたら一日かけて、そばに学芸員の日本語のわかる説明も聞きながら、ふんふんとうなずきながら回っても難しいくらいです。

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国立博物館ともなると、インドの歴史の中で石器時代から始まり、発掘された動物の化石とか剥製まで並んでいるので、仏教関係は、インドの歴史から見ると一部にすぎません。サイや象の標本まで置いてました。

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インドの歴史とブッダの像に気をとられているうちに、ツアーメンバーの人たちはどうなったのでしょうか。

修学旅行を引率する中学の先生のような気持ちに立ち戻り、ツアーメンバーのカップルはどのようになったか急に心配になり、少し博物館の中を探してみました。

そうすると、いるいる。あんなところでいちゃいちゃと、せっかく歴史の宝庫にいるにも関わらず、仏像より、奥山氏と五木さんは談笑し合っていました。

一応ガンダーラ美術に触れ、ギリシャ風の美男のブッダの像も見て、日本のお寺にある仏像との違いを感じました。

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ガイドのアーナンダ氏が人数点呼を始めたので、時間に追われるように博物館を後にして、バスに乗りました。

この次にはビクトリア記念館に行きました。ここは大理石造りで立派な建物ですが、写真を撮るのは禁止ということで、とても残念です。

中央のホールに白い大理石のビクトリア女王が台座に乗って立っています。天井はステンドグラスを周囲に使って、円形のドーム状のようにこしらえてあります。周りには額がたくさんかけられています。

象に乗ったイギリスの王の絵は、壁いっぱいに掛けてあり圧巻です。昔、インドを征服しイギリスが植民地にしたときのことばかりが記念になっていますが、火薬の力を使って、植民地政策をした頃の話をもっと聞きたかったです。

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イギリスがインドを植民地化し、その経営は東インド会社を設立しおこなったとのことです。つまり、会社が国を経営したことになります。

イギリス東インド会社はエリザベス1世の特許状を得て1600年12月31日に創設された貿易会社です。ロンドンに本社を置き、当初の株主125人、資本金7万2千ポンドであったとのことです。

株式会社がそんなに古くからあって、会社が国を支配する仕組みを作るなんて、さすが資本主義の先進国であるイギリスの経営の先進性に驚きました。

ガンジス川の支流のフグリ川の岸辺にバスを止めた頃には、もう夕日で、悠久と流れている川が美しく思えました。

ここは、東経88度24分、日本とは緯度がおよそ47度差があり、15度変わるごとに時計の時間は1時間の時差が出ます。そこで、インドと日本の時差は3時間30分となります。

ガンジス川はヒンドゥー教徒には、聖なる川で、花が岸辺に浮かんでいました。

この花はきっと死者に捧げた花でしょう。今日も何人もの人がガンジス川から天に昇っていったのです。

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しばし、時を忘れ、一日の終わりの日没をベンガル湾に過ごしました。白い大型ヨットのような客船が港に入り、こちらに手を振っています。

異国の地で見知らぬ人同士が、船と陸との間でお互いが手を振り合うのはなぜでしょうか。

船の人たちから見ると、岸辺でひと時を夕日を見ながらすごしている人はどのように見えるのでしょうか。

お互いに知らないからこそ、手を振り合い、中にはハンカチまで振って一瞬の出会いを祝しているように見えます。なんというセンチメンタルジャーニーでしょうか。

これから、次の巡礼に向かう時間の中に、ひと時の静寂がありました。

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