100年続く老舗企業 たねや 百年を超える企業は、近江商人の経営理念がしっかりした企業です

「たねや」は100年続く老舗企業です。百年を超える企業は、近江商人は経営理念がしっかりした企業です。

100年続く老舗企業 近江商人

朝日新聞の「働く・トレンド」に、「百年企業@近畿 たねや(滋賀) 

近江商人魂脈々と」という記事が掲載されていました。

たねや

「たねや」は、資本金9000万円、グループ全体の売上は176億円、

従業員数965名(2009年4月期)です。和菓子店「たねや」や

バームクーヘンが人気の洋菓子店「クラブハリエ」など、

全国の百貨店などの31店舗を展開しています。

たねや

地元の日牟禮八幡宮にある中核店「日牟禮ヴィレッジ」では、参道を挟み、たねやとクラブハリエが向き合っています。

「たねや」さんの屋号の由来は、種苗業から来ています。

創業1872年(明治5年)です。138年の老舗の成長の歴史は、

近江商人の商売の理念が支えていました。

「たねや」の商いの心得を、記した

「末廣正統苑」を従業員は徹底して読み込み、理念を伝えています。

朝日新聞の記事
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現在、グループ全体の和菓子と洋菓子の売上げは、ほぼ半々で、

近く洋菓子の新店がオープンし、

売上は今年度は初めて和菓子を超えるようです。

近江商人発症の大企業はあまたありますが、大半は県外に出て行っています。

しかし、山本社長は、

「京都が奥座敷なら、滋賀は台所。田も畑もある農産物が豊かなこの地から、東京や関西に

売りに行けばいい」と言い、ネット販売も手段のひとつとしています。

たねや

社用の近江へのこだわりは直、

「たねや農場」の無農薬のよもぎや黒豆の生産は、地元のお年寄りに委ね、

地域雇用に一役買っています。

たねや

一昨年には、旧厚生年金施設(近江八幡市)の土地・建物を落札し、

水郷地帯に接した自然を生かし、店舗の他、見学できる菓子工場、

菓子職人の学校などを設ける計画です。

「虫捕りができるような里山を守り、観光の拠点に育てたい。発

祥の地、近江への恩返しでもある」と、山本社長は語っています。

 

近江八幡の商人が作り上げた街を見てきます。近江八幡の商人の屋敷の跡、旧西川家住宅 屋号は「大文字屋」 モットーは、「質素倹約・質実剛健」【近江八幡(3)】

近江八幡の商人の作った街・文化的遺産を見てきました。

お泊まりツアーは続いています。

「池田町洋風住宅街(ヴォーリズ建築群)」や「八幡別院」を見た後は、

「近江市立郷土資料館」に行ってみました。

伝統的建造物群保存地区・新町通り

この辺りの町並みは、伝統的建造物群保存地区で、新町通りと呼ばれています。

旧伴家住宅、郷土資料館、歴史民俗資料館、旧西川家住宅などが続いています。

伝統的建造物群保存地区・新町通り

近江商人は、質素倹約、質実剛健をモットーとして、

信用を第一にして商いの道を開いていきました。

伝統的建造物群保存地区・新町通り

日々の商売は、売掛帳に記載して、年に二回、盆と暮れに売掛金の決済をします。

普段は信用売りで、現金は入らないので、決済日までは我慢です。

伝統的建造物群保存地区・新町通り

商売には、人格や振る舞いが深く関わると考えており、

多くの商家には、才覚・算用・始末などの商人の精神を説いた家訓が残されています。

伝統的建造物群保存地区・新町通り

経営学では、代表的な近江商人の考え方を

「売り手良し・買い手良し・世間良し」と、評しています。

現代で言う、「CSR」でしょうか?

伝統的建造物群保存地区・新町通り

歴史民族資料館には、商人の魂ともいえる、これらの家訓を始め、

商人文化を今に伝える商家の道具類などの貴重な資料を展示、公開しています。

伝統的建造物群保存地区・新町通り

お昼ご飯を食べて、時刻は、12時をまわって、14時22分です。

ほぼ太陽は頭上になりました。

伝統的建造物群保存地区・新町通り

写した町並みの写真は、

近江八幡市立資料館が撮影したパンフレットの写真とそっくりな構図になりました。

伝統的建造物群保存地区・新町通り

森五郎兵衛邸には入れませんでした。

伝統的建造物群保存地区・新町通り

重要文化財の「旧西川家住宅」に入ります。

京都の町並みと似ていて、間口は狭いものの、奥行きはうんと深く、

格子戸から中に入っていくと、お庭があり、隅には土蔵がありました。

伝統的建造物群保存地区・新町通り

西川家は屋号を「大文字屋」と言います。

伝統的建造物群保存地区・新町通り

お客様をもてなすためなのか、茶室もあります。座敷もあります。

伝統的建造物群保存地区・新町通り

「大文字屋」さんは、蚊帳や畳表などの商いをして、財を成したそうです。

伝統的建造物群保存地区・新町通り

松葉博雄が幼年の時は、蚊帳を部屋に吊すのは、子どもの役目で、

蚊帳の四方に出た紐を、部屋の柱に取り付けている蚊帳の取り付け口に付けて、

四方八方を少しずつ高くしていき、

蚊帳を張り終えるのは、子どもにはかなり熟練を要しました。

伝統的建造物群保存地区・新町通り

近江八幡の街が発展した理由はいくつかありますが、

八幡堀の役割は欠かすことができないそうです。

堀はお城を防御するためにありますが、

豊臣秀次はこの八幡堀を運河として利用することを考えて

、琵琶湖を往来する船をすべて八幡の街へ寄港させました。

伝統的建造物群保存地区・新町通り

ボランティアガイドさんが案内してくれた、この写真のスポットは、

テレビの時代劇にはしょっちゅう出てくる場所だそうです。

この場所を使って、時代劇を撮影しているので、

これから注意してテレビを見れば、「あっ、ここや!」とすぐ気が付くそうです。

伝統的建造物群保存地区・新町通り

多くの商人が八幡の街から全国へと旅立ち、

近江商人として活躍した原動力となった八幡堀も、

高度成長期に入ってくると、どぶ川のようになり、

埋め立てられようとしました。

伝統的建造物群保存地区・新町通り

しかし、市民が立ち上がって清掃活動に取り組み、

その結果、次第にかつての姿を取り戻しました。

伝統的建造物群保存地区・新町通り

やはり、何百年も掛けて守ってきた文化財や文化資産は、

磨けば、改修すれば、素晴らしい値打ちに蘇ることが分かります。

埋めてしまっては、もったいない文化財です。

なんだか、珊瑚礁の海を埋め立てて、

コンクリートの埋め立て地にしている沖縄や奄美の海を、

つい思い出してしまいました。

2010年5月13日(木)

2010年5月29日(土)