死ぬよりも前に 故人(松葉賢一兄)を偲んで 話したこと
投稿No:8352
死ぬよりも前に こんな気持ちになれたら
死ぬよりも前に
平成24年(2012年)8月に、4人兄弟の長兄の賢一兄が心筋梗塞で、突然亡くなってから、今年で7年が経過しました。
姉二人と私の姉弟3人と奥さんの4人で、東天紅で会食をして、故人を偲びました。
今、顧みても賢一兄の死は、突然のことでした。
そこで、話は、死ぬよりも前に何をすべきかの話題になりました。
私が望んでいる、死ぬよりも前に出来たら良いなぁ、と思うことは、
「死ぬよりも前に、欲望から離れ、過去にこだわることなく、今をくよくよと思いめぐらすことがない、」こんな心境になれることです。
でも、現実は難しいのです。
死ぬよりも前に、しておくことはお墓の整備
松葉家のお墓は山の中腹にあり、1000坪もある広い敷地です。
沢山の墓石が並んでいて、お墓は西に面していて、夕日が見えます。
山のすそ野の平野に川が流れ、田んぼや畑を一望できる場所にありました。
付近の山は、以前は松茸が沢山出来ていた松茸山でいたが、段々と山は荒れて来て、手入れをしなくなって、今では竹藪になってしましました。
お墓は竹藪に埋もれてしまい、景色は見えなくなりました。
これではお墓参りもできなくなるので私は墓仕舞いをして、私が造った前方後円墳の敷地にお墓を移転しました。
これには、申請手続きが必要でした。
この一連の手続きを済ませたので、父、母や祖先のお墓参りがしやすくなったと、姉二人は喜んでいます。
死ぬよりも前に すべきことは断捨離
所有する気持ちを断じて、物を所有したいと思わずに、捨てて、所有する欲から離れる、これが、断捨離です。
欲望に捉われないで、諸々の事物に赴くこともなくなれば、心が平安になれるのですが、これも、未だ難しい段階にあります。
身辺整理、つまり終活の話題は、共通していました。
どれだけの私物を残しておくのかは、自分自身が動けるうちにしておかないと、他の人には判断が難しいのです。
写真などは、どんどんたまっていきます。
子供たちにとって、親の残した私物で資産価値の無いものは、迷惑なものになるのです。
あれやこれや整理していくと、子孫へ伝えたいものは何があるのか、考えてしまいます。
何か精神的なものや、松葉家のアイデンティティとはなにか、考えます。
資産価値は受け取って、精神的なものは受け継がない、では何か納得しかねないのです。
では、自分自身は両親から何を受け継いだのか、自問自答しました。
私が両親から受け継いだことは、祖先からの系統を大事にすること、家族を守ること、自立して生活できる学問の大切なこと等があげられます。
死ぬよりも前に 真理を学ぶ
大学院に進学して、経営学を学びました。
学んでいるうちに、真理とは何かを知りたくなりました。
真理は、身近なことからでも学べると思い、経営の課題から、真理を見つけようと、研究に深堀をしてみました。
学位を得て、大学の教職の仕事に就こうと思うような、利益を欲して学ぶのではないのです。
学ぶことで、利益がなかったとしても、落胆することがないように自分自身に言い聞かせました。
話の間に、食事は進んでいます。
頂いているのは、東天紅特製三色冷麺、20年以上愛されている、東天紅の夏の定番メニューです。
三色の麺、体に優しい8種の具材、胡麻と醤油の2種のタレで見た目も味わいも楽しい冷麺です。
死ぬよりも前に、悟りを得たい
企業経営を志せば、利益の追求に心を奪われてしまいかねません。
ここに、落とし穴があるのです。
利益を追及しながら、貪りを離れるのは矛盾するようです、慳(ものおし)みすることは、難しくなります。
何故なら、利益は売り上げから、費用を差し引くからです。
費用の最小化を目指せば、物惜しみにつながりかねません。
ここでは、利益は相手と利益を分かち合わないと、自分への利益は回ってこないと思うことです。
死ぬよりも前に 平静な気分になれるように
若い時に比べると、気持ちはおとなしくなったと、みんな認めています。
気持ちは平静であるよう、常によく気をつけていて、他人を自分とを比較しないようになりました。
他人のことを羨ましいしいとも思わない、自分が勝れているとも思わないし、また劣っているとも思わないように心掛けています。
死ぬよりも前に 慎み深く
テレビや新聞、雑誌で見た快いものに耽溺すると、欲望に捉われてしまいます。
人に褒められると、つい天狗になってしまいます。
高慢にならず、柔和で、温厚な気持ちがつづけば幸いです。
まとめ 死ぬよりも前に、こうなりたい
子供の頃のころ、一緒に育った兄弟姉妹でも、成人すれば、其のあとの人生は別々の人生を歩んできました。
そして、高齢になって、死ぬよりも前に、こうなりたいと話し合えば、子供の頃のように、似たような考えになってきます。
物欲に捉われたも、もって死ねる訳でもなし、慳(ものおし)みしても、自分のものにはならず、嫌われるよりは、好かれたほうが良いのです。
結局、裸で生まれて来て、裸で死んでいくのです。
諸々の欲望を顧慮することのない人、平安なる者であることが、死ぬよりは前に悟れたらいいなあという話になりました。
2019年8月9日(金)