こんな所へ来てみたら 祖谷渓へ 徳島三好市 祖谷渓(いやだに・いやけい)温泉 祖谷渓温泉秘境の湯 

投稿No:7864

こんなところまで来てみたら祖谷渓へ 徳島三好市 祖谷渓(いやだに・いやけい)温泉 祖谷渓温泉秘境の湯  祖谷渓温泉秘境の湯を探して、カーナビを頼りに、道を迷っています。

こんな所へ来てみたら 祖谷渓の秘境には、大歩危があれば、小歩危もあり、更に、奥小歩危温泉もありました。 徳島 祖谷渓温泉秘境の湯 (1)

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徳島最高峰の「剣山」近くにある、

最高200mの断崖絶壁とエメラルドグリーン色の

祖谷川が流れる「祖谷渓(いやけい)」

祖谷は日本の秘境に選ばれています。

新緑や紅葉の時期には深いV字型の

渓谷から自然美溢れる景色が広がります。

日本三奇橋のひとつとして知られるかずら橋は長さ45m、

水面上14mにあり、国指定重要有形民俗文化財です。

 

祖谷渓(いやだに・いやけい)温泉秘境の湯に、カーナビをセットして、

ナビで誘導されながら、奥深い丘陵地を進んでみると、

カーナビにからかわれているような現象が起きました。

同じ所をぐるぐる回っているのです。

標示物には、「食事・休憩・宿泊 奥小歩危温泉 4キロ先」

と書かれているので、この奥は、

もっと渓谷だということが分かります。

「ぶっしばし」 仏師橋でしょうか?

何かいわれがあるのかと思い調べましたが、分かりませんでした。

カーナビは、電波が届かない所にあって、

道案内に困っているようです。

あちらこちらをドライブしていて、

日本の国土面積の8割近くが丘陵地や山岳地になっていて、

そこには森林があり、谷があり、渓谷があり、

水が流れているのが分かります。

こんな奥深い所で、不思議なことに、

大型ダンプカーとすれ違う事が多いのです。

多分、この奥の方で、土木工事があるのだと思います。

山城町です。

ここから塩塚温泉までは12キロ、大歩危峡までは5キロ、

野鹿池山までは24キロ、ほたるの里までは13キロ、

観光物産センター歩危茶屋までは4キロ、公共の宿 

サンリバー大歩危までは3キロです。

地図によると、この辺りには円明寺、田尾城跡、

白川釈迦堂、小歩危、祖谷川などの名所があります。

 進行方向の右側は、とびの巣峽まで5キロ、という表示が出ています。

山城町農林組合の、木工品展示・販売の案内がありました。

案内板も、木で出来ています。

少し広い場所に行き当たりました。

車を停めて、付近を見てみます。

この辺りは、山は杉や檜の植林地で、よくもまあこれだけ、

同じような杉や檜を、全国の山に植えるように、

農林省は指導したものです。

お陰で、自然林はすっかり少なくなってしまっています。

大歩危の船下りの船着き場がありました。

夕方なので、もう営業は終了しています。

観光バスの姿も見あたりません。

大型バスと、何度もすれ違うと、その都度道を譲ることになります。

山が迫って、谷が深く、渓流が流れているため、

山と山を結ぶ、鉄橋が、沢山あります。

大歩危橋を渡って、秘境の湯はもうすぐそこです。

大歩危の駅前を、国道45号線の方へ進みます。

祖谷は、日本三大秘境のうちの1つです。

日本三大秘境は、祖谷(徳島県三好市)、

白川郷(岐阜県大野郡)、椎葉村(宮崎県東臼杵郡)です。

向こうに、西祖谷中学校があるようです。

この看板も木で出来ています。

祖谷と書いて、読み方は、いや、です。

初めての人は、そや、と読んでしまいます。

峠から見下ろすと、祖谷渓温泉の里が見えてきました。

きっとあの辺りが、祖谷渓温泉だと思います。

かなりの温泉地のようで、これまでにない、高い建物が、

いくつもあります。きっと、ホテルだと思います。

こんな遠隔地の、初めての場所でも、

インターネットを利用すれば、宿の予約が取れるのです。

インターネットが無い時代は、遠くのホテルを予約するのは、

個人であれば、電話帳で電話番号を探し、直接予約をするか、

交通公社にお願いして、宿の予約をとったものです。

 

平家の里 大歩危・祖谷温泉郷に着きました。「祖谷渓温泉ホテル秘境の湯」はここにあります。

祖谷渓温泉ホテル秘境の湯で、ゆるり、大自然のおもてなしを受けます。 徳島 祖谷渓温泉秘境の湯 (2)

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平家の里 大歩危・祖谷温泉郷に着きました。

「祖谷渓温泉ホテル秘境の湯」はここにあります。

「祖谷渓温泉ホテル秘境の湯」のホームページによると、

料理については、

「大自然の中で育まれた祖谷そば、川魚あめごなど、

素朴な食材を吟味した郷土料理を、

心行くまでご堪能ください。」

また、この辺りには、「虹の森公園」もあります。

虹の森公園は、道の駅で、

水族館やレストラン、ガラス工房や親水公園

「やすらぎゾーン」など、

多彩な魅力を集めた公園でもあります。

荷物を受け取り、案内してくれたサービス係の女性のお話では、

本当の秘境といえるのは、昔のことで、

今でも秘境と言える場所は、

もっと山奥のほうにあるそうです。

この秘境の湯は、第三セクターで運営されていました。

しかし、経営の立て直しのため、民営化されているそうです。

ここで働いているスタッフは、ここしか働く場所が無いと思って、

一生懸命顧客サービスに努めているそうです。

祖谷渓の切り絵 秋の紅葉のシーズンでしょうか。

かずら橋と渓流が描かれています。

祖谷渓温泉 ホテル秘境の湯の温泉は、

冷泉で加熱しているそうです。

このホテルの売り物は、この近くにある、かずら橋です。

部屋に案内されました。ホテルは3つの棟が、

階段状になって増築されています。

そのため、別の棟に移るためには、

エレベーターで渡り廊下のある階層に上がり、

そこからまた別の棟のエレベーターに乗り換えを繰り返します。

荷物を置いて、温泉に入って、一息入れると、

少し早い時間ですが、夕食です。

片山正喜さんと、松葉博雄と奥さんの3人で乾杯です。

祖谷渓谷なので、アユ料理が出てきます。

最初は、アユの 姿造里です。

祖谷こんにゃくとすだちが添えられています。

先付けの枝豆豆腐、前菜の雨子田楽、蓮芋、うすい豆と、続きます。

片山正喜さんが、バイクで、

北海道と東北地方を回った旅行の話で、話が弾みました。

夏でも、東北地方は寒かったそうです。

東北の人との話は、話すテンポがゆっくりとしているので、

これまでの経験に無いような、

ゆっくりとした話し方を聞いたそうです。

アユの塩焼きです。これにもすだちが添えられています。

気になるのは、この鮎は天然鮎なのか、

養殖鮎なのかということです。

これは、自分の舌で判断してみます。

地産椎茸の酒塩焼です。

「徳島県の生椎茸」は、生産量日本一です。

同じく特産の、すだちをかけて食べると、美味しくいただけます。

割と早いペースで、料理が運ばれてきます。

次は、初夏野菜の天ぷらの盛り合わせです。

サービス係の女性に、この鮎は養殖鮎ですねと、

ずばり尋ねてみると、やはりそうでした。

養殖鮎が出る理由は、価格にあります。

今晩の一泊料金は、およそ2万円ですが、それでも、天然鮎は出ません。

ご飯セット 漬け物 祖谷手打ち蕎麦が出ると、

全部は食べきれません。

食事が終わると、ビールを飲んでいない片山正喜さんに、

車の運転をお願いして、祖谷のかずら橋に行ってみます。

祖谷のかずら橋は、

日本三奇橋のひとつとして知られているようです。

日本三奇橋は、諸説ありますが、

以下の5つの橋のいずれかが日本三奇橋と言われています。

「錦帯橋(きんたいきょう・山口県岩国市)」、

「木曽の棧(かけはし・長野県木曽郡)」、

「甲斐の猿橋(さるはし・山梨県大月市)」、

「神橋(しんきょう・栃木県日光市)」、

「愛本刎橋(あいもとはねばし・富山県宇奈月)」

かずら橋の営業時間は、終了しています。

しかし、21時までは、ライトアップされているので、

かずら橋に近寄ってみました。

昔と違って、今のかずら橋は、かずらの中にワイヤーが混じっていて、

ワイヤーで強度を高めています。

吊り橋の、歩く部分は、隙間が広く開いています。

この隙間に足を入れると、足がスッポリ入りそうです。

かなり怖い感じです。

有るわけがないのですが、もし、

この隙間から、体が抜け落ちたら、

下の渓流まで真っ逆さまに落ちそうです。

まるで、インディージョーンズの映画のようです。

このぐらい隙間が開いていたら、幼い子が歩くのは、危険です。

孫のU君や、リッキー君は、まだこの橋を歩いて渡ることは危険です。

今は観光用にかずら橋は利用されていますが、

遠い昔は、これが生活道路です。

向こうの山に渡るには、下の渓流を越えて渡るか、

このかずら橋を慎重に利用して渡るかの、二者択一です。

危ないことはやめて、かずら橋から、

平行して走って、道路に行ってみました。

道路を渡ると、看板がありました。左に行けば、

「かずらや」や「新おやま荘」等のお宿、

お山公園、いこい食堂、滝美食堂です。

右に行けば、かずら橋夢舞台、やま里(お食事処)、

「とし子荘」、「ホテルかずら橋」、

「祖谷美人」等のお宿があります。

夜のかずら橋は、とてもスリリングな体験が出来ました。

昼間訪れていたら、こんな体験は出来ません。

かずら橋を支えている両側には、とっても太いヒノキの大木が、支柱に使われていました。

帰り道、真っ暗い所に車を停めて、

車を降りて、夜空を見てみました。

真っ暗い夜空に、綺麗に輝く星が、

杉木立の隙間から見えました。

久しぶりに見る、輝く夜空でした。

祖谷渓温泉ホテル秘境の湯の露天風呂で、アブに刺されました。

祖谷の第二かずら橋は、三好市東祖谷菅生620にありました。 徳島 祖谷渓温泉秘境の湯(3)

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昨夜は、祖谷のかずら橋を見て、その後ホテルに戻り、

また温泉に入って、ビールを飲み、その後はぐっすり眠りました。

徳島県三好市祖谷の、2日目の朝です。

部屋の窓から、山頂に霧がかかっています。あんな所に民家がある、

どうしてなのか、尋ねてみると、

今は使われていない、廃屋だそうです。

家があれば、そこには村で共同して、道を付けたそうです。

清掃の時間に、温泉を撮らせてもらいました。

「祖谷渓温泉ホテル秘境の湯」のホームページによると、

温泉は、「入ると肌がツルツルする炭酸水素塩泉の温泉は、

神経痛、腰痛、肩こり、冷え性、皮膚炎などに効きます。

泉質 :フッ素、メタホウ酸などを含んだ炭酸水素塩泉効能 :

入ると肌がツルツルする炭酸水素塩泉の温泉は、

神経痛、筋肉痛、関節痛、疲労回復、冷え性、打ち身、切り傷、

動脈硬化症、慢性皮ふ病、婦人病、美肌、美容などに効果があります。」

よもぎの湯と称して、よもぎを袋に入れて、

湯槽に浮かべていました。

近付いて、袋を匂ってみると、よもぎの匂いがします。

露天風呂に、昨日入った時、

すぐにアブが飛んできて、左腕を刺されてしまいました。

アブの刺し傷は、その後腫れてきて、

ホテルの方に、応急の薬を頂いて、塗りました。

諺に、「虻(あぶ)蜂取らず」と言います。

「二兎を追う者は一兎をも得ず」と、同じ意味です。

そうすると、今回の旅行は、森林浴の山岳ツアーと、

吉野川での川遊びの、2つを目指しています。

この2つは、両立出来るかどうか、

アブに刺されて心配になってきました。

露天風呂から見る温泉宿の母屋は、

飛騨の山間にある、合掌造りのようです。

部屋に戻り、窓ガラスを見てみると、

ジャコウアゲハが窓に張り付いています。

ジャコウアゲハは、

雄の成虫がお腹の辺りから麝香のような香りを発することから、

その名がついたと言われています。

朝食を頂く場所は、昨夜の夕食の場所と違っています。

継ぎ足し、継ぎ足しのホテルなので、

朝食の会場がすぐには見つかりません。

迷って迷って、スタッフの方を見つけて、

教えてもらいました。

朝食です。焼き魚、練り物、焼き海苔、山菜、梅干し、漬け物、じゃこ、サラダです。

ほっとするような、

日本のスタンダードな和食の品目が並んでいます。

朝食を頂いた後は、剣山に登るため、

早い時間にチェックアウトしました。

祖谷の秘境の地に、こんな大きな施設を作ったのは、三好市です。

三好市が、第三セクターを作り、

そこに運営をさせていたホテルですが、

準公務員の運営では上手くいかず、

今では民営化されています。

ホテルを出発して、まずは、

祖谷のかずら橋に向かいます。

剣山に行くには、国道439号線を走ります。

道幅の狭い道が続きます。

エメラルドグリーンのような、

美しい澄んだ川の流れが、谷底に見えます。

一カ所一カ所、気になる場所毎に車を停めて、

谷底に降りて、遊んでみたい気持ちですが、先を急ぎます。

マンホールの蓋がありました。

蓋には、「ようこそ祖谷へ」と書かれ、

タイルでデザインされた、

祖谷のかずら橋と、自然の山々の景色が描かれています。

祖谷の粉ひき節

♪祖谷のかずら橋ゃ 蜘蛛の巣の如く

風も吹かんのに ゆらゆらと

吹かんのに 吹かんのに 風も

風も吹かんのに ゆらゆらと

♪祖谷のかずら橋ゃ ゆらゆらゆれど

主と手を引きゃ こわくない

手を引きゃ 手を引きゃ 主と

主と 手を引きゃ 

こわくない平成元年三月吉日 山城町 園尾 正夫

第二かずら橋がありました。

ここは、第一かずら橋より奥深い所にあるので、

観光客の人数は、うんと少ないようです。

有料なので、第二かずら橋は渡りませんでした。

かずら橋周辺案内図には、祖谷川を中心に、ホテル秘境の湯から、

かずら橋、善徳天満宮、中津山、平家屋敷、JR大歩危駅、

など、周辺への簡略な道が載っていました。

売店を覗いても、買いたいような物が見つかりません。

ここは早く通り抜けて、剣山に急ぐことにします。

 

三好市の祖谷渓には、平家落人伝説があります。

三好の平家の伝説では、安徳天皇は、関門海峡の壇ノ浦の戦いで崩御されたのではなく、祖谷の地で崩御されたそうです。 徳島 祖谷渓温泉秘境の湯(4)

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祖谷渓温泉ホテル秘境の湯を、

早めにチェックアウトして目指すのは、剣山です。

32号線を、池田、大歩危方面へ進んでいます。

右に行くと、東祖谷です。

酒・米・食品 かずら橋酒販店の脇を過ぎます。

道は大分狭くなってきます。

祖谷は、平家の落人伝説がある地区です。

ウィキペディア「平家の落人」によると、

「徳島県三好市東祖谷阿佐:屋島の戦いに敗れた

平国盛率いる30名の残党が、

讃岐山脈を経て、阿波へと入り、

現在の徳島県東みよし町から

三好市井川地区にかけての一帯に住んだが、

追手に脅かされ、祖谷に住んだと伝わる。阿佐集落に、

平家の末裔と言われる阿佐氏が居住し、平家屋敷や、

平家のものと伝えられる赤旗(軍旗)が数百年前から現存する。」

「この東祖谷阿佐の平家落人伝説は、

遺物が残っていることから学界の注目を集めており、

松永伍一や角田文衛が論考を発表している。

角田によれば、平家の赤旗は古過ぎて年代比定が出来ず、

少なくとも平国盛が屋島の戦い以降消息不明であり、

九条兼実『玉葉』では逃亡したと記されていることから、

他の平家落人伝承より注目度が高いとしている。」

「徳島県三好市東祖谷栗枝渡:

安徳天皇が逃れて隠れ住み、同地で崩御したという。

栗枝渡八幡神社には、安徳天皇を火葬した

「安徳天皇御火葬場」があり、

遺骨を御神体として祀っている(『美馬郡誌』)。」

「高知県〜愛媛県〜徳島県の山地一帯:

高知県の越知町(おち = 落ち?)にある

横倉山に安徳天皇陵墓参考地がある。

またその周辺に県境とは無関係に屋島からたどり着いた

平家の人たちが分散して隠棲したとの言い伝えがある。」

「横倉山の前を流れる川を仁淀川と名付けたほか、

京都ゆかりの地名が多く存在する。

当時京の北の守りであった藤社神社から

北の集落を藤社と呼んだりした。

歴代皇族とそっくり同じつくりの立派な陵が、

非常に険しい山中にひっそりと建立される姿は

尋常では説明が付かないものの、

安徳天皇の墓であるという確証はない。」

「ただし周辺に点在する平家一門の隠れ里では

明治に入るまで墓石がなく、

石に名前を書いて並べ置く風習があったが、

これは戦時の伊勢平氏一門の風習と

合致するうえ香川県の屋島→徳島県の東祖谷→

と逃れた平家一門が最後に住み着いた場所である可能性は高い。」

右は、国道32号線、小島、東祖谷、剣山方面です。

奥祖谷二重かずら橋や、奥祖谷観光周遊モノレールもあります。

「愛媛県にある平家追討軍が引き返したという地にはひっそりと

「平家終焉の地」の碑があるが

そのすぐ南には仁淀川が流れ平家の隠れ里がある。

村おこしや明治以降の尊王思想でできた派手な周辺施設の多くは

後の創作物と思われ本物の末裔は

余りの不便さでほとんどは都会でひっそり暮らしている。」

(以上、wikipediaより抜粋)

阿佐家住宅「平家屋敷」まで3.5キロ、剣山まで28キロ、

奥祖谷二重かずら橋まで21キロ、

いやしの温泉郷まで15キロ、

奥祖谷観光周遊モノレールまで15キロです。

平家の隠れ里については、面白い特徴がありました。

(以下 ウィキペディア「平家の落人」より抜粋)

「平家の落人は大抵、

山の奥深くや離れ島や孤島などに存在している。

そのため、平家は人口が少ないところや

山間部や谷間など人がよりがたい所に里を築く。

食器や生活用品を洗ったりする時に川に誤って流してしまったり

山中に落としてしまったりで外部の人間にきづかれたりすることがある。」

「ただし、気づくのはごく少数であり、

平家の落人の隠れ里にいけるのも少数である。

こういった場合、再度隠れ里に行くことができなかったり

川上から漆塗りの器が流れてきたりすることから

隠れ里自体を妖怪化して考えることがある。

このため、平家の隠れ里が『隠れ里』

として神秘的な存在にとられることも多い。」

と、このように、妖怪の里についての説明がありました。

手づくり燻製2.5キロ、古式そば打ち体験塾があるようです。

この辺りの、東祖谷山村の案内看板にも、

このそば道場のことが載っていたので、

そば打ちの「つづき商店」は、

この辺りでは有名なのかな?と思っていたら、

ホームページがありました。

こんな山奥にあるのがとても意外な、

大分本格的なそば道場です。

1名2500円で、そば粉を石臼でひくところから始まり、

とうふ、じゃがいも、きゃらぶき、

天ぷら(しその実、うどの花など)ベニ花、ボロギクのお浸し、

田舎おにぎり、季節のくだものなど、

地のものを使った料理が付いています。

松葉博雄の目を奪うのは、渓谷と渓谷の間に橋が架かり、

橋の上から見ると、2つの川が合流する、

自然の川の流れの面白さです。

もし、翼があって飛べるものなら、

この鉄橋の上から翼を羽ばたかせて、

この渓流の流れに遡り、もっと山奥へ、山奥へと、鳥の目のように、

自然を追いかけてみたいと、夢のように想いました。

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2014年8月26日(火)