渡邉整功さんは、ボシュロムからジョンソン・エンド・ジョンソンに移籍され、ご挨拶に来られました。

投稿No:7708

プロ野球やサッカー選手が球団や、チームを移籍するように、コンタクトレンズ業界でも、会社を移籍する社員の方は、これまで沢山居られました。

ジョンソン・エンド・ジョンソンの営業部ディレクターの渡邉整功さんが、転任のご挨拶に来られました。

転任というのは、前職のボシュロム社から、他の業界に移り、改めてジョンソン・エンド・ジョンソンに移籍されたからです。

渡邉整功さんが、ボシュロムの営業部長の時に、ご挨拶に来られたのは2013年の6月です。

ご一緒に松迺家で食事をしてから、もう5年近くになります。

顔見知りであれば、改めてご挨拶するまでもなく、話はしやすくなります。

これが他の業界から来られて、コンタクトレンズの事にあまり馴染みがなければ、話す内容も説明しながら商談に進むことになります。

渡邉整功さんは、眼科の先生方との人脈があるので、ジョンソン・エンド・ジョンソンでは、これまでの知識と経験を生かしたお仕事をされるのでしょうか?

転任の挨拶の他にも重要なお話があったのですが、これは現在では書けないので、またの機会に書けたら書きます。

ジョンソン・エンド・ジョンソンと我が社は、1991年に取引を開始した時に、どのような経過で取引が始まったのか昔話を披露しました。

あのときは、ジョンソン・エンド・ジョンソンのコンタクトレンズ部門は、廣瀬光雄さんが社長でした。

後に社長となる大瀧守彦さんは、廣瀬光雄さんの片腕として、市場開拓をしていた時代です。

ある人を仲介にして、廣瀬光雄さんと大瀧守彦さんにお会いして、神戸でジョンソン・エンド・ジョンソンのコンタクトレンズの普及にお手伝いすることになりました。

その時に、私と廣瀬社長とのお約束は今でも覚えていますが、ジョンソン・エンド・ジョンソンが忘れていてはいけないので、語り部としてお伝えしました。

渡邉整功さんは、始めて聞くお話なので、頷きながら聞かれていました。

 

ここからは大瀧守彦社長の退任あいさつの回想記録です。

コンタクトレンズのアキビューでお馴染みのジョンソン・エンド・ジョンソンのビジョンケアカンパニーの初代社長 大瀧守彦氏が退任の挨拶に来られました。

ジョンソン・エンド・ジョンソンの大瀧守彦社長とは、1991年に、コンタクトレンズの使い捨てレンズが日本に上梓されるときからの、おつきあいです。 

最初は、廣瀬光雄社長に伴って、ご挨拶に来られていました。

コンタクトレンズの使い捨てレンズは、1995年に、ワンデータイプの使い捨てレンズが発売され、使い捨てレンズ市場は急拡大しました。

コンタクトレンズの装用者は、1950年代から始まる、ハードコンタクトレンズの時代で150万人、1970年代から始まる、ソフトコンタクトレンズの時代で800万人が、1990年代から始まる、使い捨てコンタクトレンズの時代には1500万人以上に、コンタクトレンズの装用者は増えています。

こうしてみると、およそ20年置きに、新しいコンタクトレンズのイノベーションが起きています。

ソフトコンタクトレンズの滅菌消毒の方法は、従来は煮沸消毒だけでしたが、この頃から、コールド滅菌(液体消毒)が認可され、2WEEKタイプの使い捨てコンタクトレンズが、伸びてきました。

使い捨てコンタクトレンズが日本に上陸し、新しいコンタクトレンズの市場を開拓して、使い捨てコンタクトレンズは過度な価格競争が起きました。

ジョンソン・エンド・ジョンソン社は、コンタクトレンズ市場を伸ばし、使い捨てコンタクトレンズ市場シェアナンバーワンのコンタクトレンズメーカーとして活躍してきました。

大瀧守彦社長は、ジョンソン・エンド・ジョンソン社の社長を、14年余りも務めてこられました。 それがついに社長退任です。

大瀧守彦社長さんとは、コンタクトレンズの医療性と営利性の問題について、これまで何度も、ジョンソン・エンド・ジョンソン社の経営理念について、議論してきました。

コンタクトレンズを販売する、ジョンソン・エンド・ジョンソンの企業理念である、「我が信条(クレド)」が大事か、商売拡大が大事か、どちらか大事なのかという、経営理念と事業の拡大が両立できるかどうかという議論のテーマでした。

企業理念とコンタクトレンズビジネスの拡大が両立するように、大瀧守彦社長と松葉博雄は議論してきました。 それがついに、大瀧守彦社長が退任です。 

議論の相手がいなくなって寂しくなります。

社長を退任することをお聞きして、とても寂しく感じます。

大瀧守彦社長が、遅かれ早かれ、いつかはジョンソン・エンド・ジョンソンのコンタクトレンズ部門の社長を退任するときが来るので・・・と言われた言葉に、ついにその時が来たと、納得しました。