神鋼病院は、JR灘駅から徒歩3分 再建した新しく清潔で綺麗な病院です
1995年1月17日の阪神淡路大震災では、灘区にある、神鋼病院は、壊滅的な被害を受けました。
神鋼病院との関連は、松葉眼科との提携先病院でもあります。
2007年の年が改まったとき、友人のお見舞いのために、神鋼病院に行きました。
松葉博雄の母は、この神鋼病院に長期入院していました。
母の入院のときは、毎日、朝と帰りの夕方の、1日2回お見舞いに、神鋼病院を訪れていたので、神鋼病院には懐かしさを感じます。
同じ名前の神鋼病院であっても、震災前の神鋼病院と、現在の神鋼病院は、様子がまるっきり違います。
病院の廊下は、ベッドの搬入があるので、幅広くとっています。エレベーターも、移動式ベッドが入れるように、奥深く作られています。
車椅子の移動に障害とならないように、床も段差がありません。
お見舞いのために入った、友人の個室には、窓には、ガラスの窓と、もう一つ、障子の窓が付いていて、障子を閉めると、和紙を透かして入る、光がガラス越しの光よりも、柔らかい、緩やかな光になっていました。
JR灘駅がすぐ近くにあり、お見舞いには、駅から近くて便利です。お見舞いが終って帰るころには、西の空は、夕焼けになって、間もなく日が沈みそうな時間でした。